玉鬘十帖から始まる、新しい読書の愉しみ
英語読書大好き、ヒデです。
僕は、2025年3月から、同じく英語読書を愛好するヒナさんをお迎えし源氏物語の読書会を実施しているので(2026年3月現在も進行中)すが、そこでとてつもなく面白い議論がなされているので、過去議論された内容を紹介していきます。
僕(ヒデ、男性)もヒナさん(女性)も英語読書が好きということと、源氏物語が好きという共通点があります。
特にヒナさんは幼少期から源氏物語を愛好し、漫画「あさきゆめみし」や与謝野晶子、瀬戸内寂聴といった現代日本語訳のみならず、原文も読んでいる強者です。
英語については、いまさら、英語力について云々するのも失礼なくらい、英語を用いて第一線で活躍しておられます。
このようなヒナさんをお迎えしたことで、読書会は想像を絶する楽しいものとなっています。
僕と、ヒナさんとはいずれも、デニス・ウォッシュバーンによる英語訳
The Tale of Genji (https://amzn.asia/d/0cTxtWFR)
を読んでいます。
源氏物語について
源氏物語は、言うまでもなく、千年の時を超えてなお現在も読み継がれている日本文学の古典中の古典です。
僕自身、源氏物語は、日本文学史上の最高傑作であり、ドストエフスキーやトルストイなどといった世界文学の最高峰と互角に渡り合える唯一の日本文学だと考えています。
ところが、これだけ有名な源氏物語であるものの、実際に内容を把握している日本人は驚くほど少ないのです。
そもそも原文はいわゆる古文であり、読むことに抵抗があるのは致し方ないですし、僕自身、原文を読んだことはありません。
それでも、多数の現代日本語訳が存在するので、もっと多くの日本人がその内容にふれていてもおかしくないはずです。しかし、どれでもいいので、源氏物語現代日本語訳を実際に読んだことがある日本人もまたごく少数です。
なぜか。
源氏物語の面白さが世間に伝わっていないからです。面白ければみんな読む。面白くないものは読まれない。当たり前です。
源氏物語は、文化的、歴史的な存在意義など脇に置いておいて、まず、なにより、圧倒的に面白いのです。それにもかかわらず、大多数の日本人に読まれていない。
なぜか。
日本語では、面白さが伝わりにくいからです(独断と偏見)。
僕は、「源氏物語」の面白さを英語で読んで初めて気が付きました。
そこで、僕は、ヒナさんという、圧倒的な英語力を有し、筋金入りの英語読書家でありつつ、源氏物語にも詳しい話し相手をお迎えし、源氏物語英語訳について徹底的に掘り下げていこうと考えたのです。
英語訳 The Tale of Genji が面白い理由
英語で読むことの面白さは、単に英語の勉強になるとかそんなくだらない問題ではありません。
日本語ではあまりにあいまいに流れてしまう感情や関係性が、英語というフィルターを通すことで、むしろくっきりとした輪郭を帯び、冷たく、時に残酷なまでに明確になるのです。
その要因の第一は、英語によって時制、人称が非常に明確になることです。
日本語があいまいにごまかしていた主語や時系列が英語では明確に語られることになるのです。
第二の要因は、英語の語彙の豊かさです。
“amorous,” evanescent,” “lament”—そんな言葉が、千年前の物語のあいまいなイメージに強烈な光をあて、驚くほど鮮明な映像を映し出します。
玉鬘十帖から始める理由
この読書会は、玉鬘十帖から読み始めました。
なぜそこからなのか。
面白いからに決まっています。源氏物語でアリがちなのは、冒頭第1帖「桐壺」から読み始めたはいいものの、第12帖「須磨」あたりで挫折し、その先を読まないという流れです。
もったいない。
その先に日本文学の頂点を形成する驚くべきストーリーが待ち受けているのですから。
さんざん学校の古文で紹介され、そこら中にいい加減な要約があふれているのですから、いまさらネタバレも何もないですし、最悪全体を読まないまでも一番面白いところを読んでおけばその後挫折しても良いではありませんか。
皆様もぜひ、この記事にあわせて、玉鬘十帖から読み進めてみてはいかがでしょうか。
源氏物語をどうとらえるのか
それではまず、読書会開始前における僕とヒナさんとの議論を紹介します。この議論から、「源氏物語」英語訳読書会がスタートすることになったのです。
ヒデ:僕は、常に、次の視点から、源氏物語を読解しています。
「源氏の権力欲と性欲、それに翻弄される姫君たちの儚い運命」
この視点からすると、玉鬘十帖とそれに引き続く女三の宮の降嫁は素晴らしい。
なぜなら、ただ権力者が権勢を欲しいままにする物語よりも、権力者が築き上げた栄華が崩壊していく有様こそが物語として面白いから。
僕の視点から、玉鬘以前の源氏物語を要約すると、こうなります。
源氏は、自らの性欲の赴くまま次々と地位と美貌を備えた姫君達を籠絡する。
自らの意中の女性を手中に収めるのみならず、効果的に権力に肉薄する。さらには異母兄である朱雀帝を帝の座から追い落とし、実質的には自分の子である冷泉帝を帝に据えることで権力を手中に納め、六条院を築き、いよいよ栄華の絶頂を極める。
しかし、ここまで権力・性欲の面であらゆる成功をおさめてきた源氏に影がさす。
玉鬘の登場である。
これが僕にとっての玉鬘十帖。
ヒナさんにとっての玉鬘十帖とは如何に?
ヒナ:私は、一言で源氏物語を説明するなら「孤独と儚さ」かなと思っています。
源氏にとって、母親がいないことが無意識下で一種のchildhood traumaになっている。
源氏は小児期に養育者との愛着形成がうまくいかず、その結果、成長後もずっと他人と愛着を形成することが困難になっているのではないでしょうか。孤独だから”母親像”を求めて次々に姫君と関係を結ぶ。
権力は、臣籍降下して天皇にはなれないというコンプレックスが大元にあって、さらに母親の家の庇護がない=後ろ盾がない源氏は、自力で権力を獲得する以外にidentityを確立することができないのではないでしょうか。
玉鬘十帖までの源氏は、どれだけ姫君たちと関係を結んでも結局常に孤独。太政大臣になっても権力(= identity)への執着は消せない。
玉鬘の登場は、昔愛した人の子が孤独を埋めてくれるかもしれないという感情と、権力の強化に使える「娘」を最大限活用したいという葛藤を源氏に引き起こす。
玉鬘十帖では、そんな源氏の葛藤(と、中流出身・玉鬘の成長)を描いているのではないでしょうか。
ヒデ:源氏物語の読み方が人によって全く異なることが大変に興味深いです。
今回の議論を通じて、ただ漫然と本を読むのではなく、その印象を他者と比較することがいかに重要であるかに気が付きました。
ヒナさんと僕の読み方は、全く視点が異なり、同じ文章を180度違う視点から読んでいる印象ですが、そのために極めて立体的に理解を深めることができる気がします。
ヒナさんの「孤独と儚さ」という捉え方は素晴らしい。
その捉え方により、第1帖「桐壷」の存在意義が非常にすっきりと理解できるようになりました。源氏の行動の根源にあるtraumaを明らかにしたものだったのですね。
まとめ
玉鬘十帖は、
頂点に達した男が、初めて揺らぎ始める地点であり、
同時に、孤独と欲望が交錯する最も人間的な章でもあります。
この地点から読み始めることで、僕たちは「華々しい源氏の英雄譚」ではなく、
崩れゆく栄華と、満たされない心の物語として「源氏物語」を捉え直すことができるのです。
英語で、玉鬘から。
それは単なる読み方の工夫ではありません。この読書会がスタートしてちょうど1年になりますが、僕は、最近、これを、千年前の物語の本当の面白さを明らかにするための、ひとつの大胆な試みと思うようになってきました。
次回、第22帖「玉鬘」の議論を紹介します。

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