英語で読書する意味

はじめに

「英語学習をしたいが、参考書には飽き飽きしている」
「好きなジャンルの本で英語に触れたいと考えている」
「読書を英語学習にうまく取り入れたい」
「英語読書に何度かチャレンジしたが、途中で諦めてしまった」
「英語読書に再挑戦したいと思っているが、きっかけが欲しい」

 英語で本を読む―それは、ただ語学力を鍛えるだけの行為ではありません。とういか、ただ英語力を鍛えるだけのために英語の学習をするって、すごく無駄な行為だと思いませんか?
 世界には素晴らしいコンテンツがあふれているのです。英語で読書をすれば、ページをめくるたび、世界中のワクワクする物語や、研ぎ澄まされた鋭い思想に、ダイレクトに触れることができるようになります。
 この記事では、英語読書が僕たちにもたらしてくれる3つの特別な意義について紹介します。
 「英語で読む」ことの魅力を、あなたにもぜひ知っていただきたいのです。
 英語学習に行き詰まりを感じている方、本好きな方、新しい世界への扉を開きたい方―そんなあなたにこそ、読んでいただけたら幸いです。

英語読書が有する3つの意義

 僕は、英語読書には3つの意義があると思っています。

①英語オリジナル作品の原文をそのまま英語で理解することができる
②英語以外の外国語(ロシア語、中国語等)作品を英語で理解することができる
③日本語作品を英語で理解することができる

①英語オリジナル作品をそのまま英語で理解する

 ①はあえて説明する必要もないでしょう。シャーロック・ホームズシリーズ、ハリー・ポッターシリーズ、カズオ・イシグロ、ブロンテ姉妹、ディケンズ等々、英語オリジナルの優れた作品は枚挙にいとまがなく、これらの英語作品を英語で理解できることの格別な楽しさは、あえて言うまでもありません。
 作者のオリジナルの言葉を通じて、ダイレクトにそのアイデアに触れることができるのですから、それがいかに楽しいものであるかについて特別な説明は不要でしょう。

②英語以外の外国語作品を英語で理解する

 しかし、英語読書の楽しみはそれだけではなく、②英語以外の言語の作品を英語で読むことができることも英語読書の重要な意味だと思います。

 僕の大好きなドストエフスキーやトルストイといったロシア文学を例にとります。

 ロシア語を読めるようになるには相当な労力を要すると考えられますが、ロシア語の英語訳は、英語で読書していれば問題なく読めます。

 そして、翻訳のクオリティが日本語とは比べ物にならないくらい高いのです。

 これは、日本語とヨーロッパ系の言語との、言語的・文化的な違いに由来すると思われます。日本語はロシア語からあまりにもかけ離れた構造や文化的背景を有しており、その翻訳はどうしても不自然になります。したがって、日本語訳は、いくらまじめで有能な翻訳家がその翻訳をしたとしても、それが日本語である限り、どうしても限界があるのです。

 ところが、英語訳は、言語的な近さも相まって、相当正確な訳ができています。

 また、英語読者の数は日本語読者よりも圧倒的に多数であり、厳しい批判の目にさらされ、自然と高いクオリティが求められることになります。
 読者の質も全然違います。ロシア語を解する英語話者、英語を解するロシア語話者は世界にいくらでもいるため、低クオリティの英語訳はすぐに淘汰されます。

 ところが、日本人でロシア語を解する人はほとんど皆無であり、いくらひどい訳であってもなかなか淘汰されないのが実情です。日本語でしかロシア文学を読めない日本人はあっさりと低レベルな翻訳に騙され、オリジナル作品の真の面白さに気が付くことができないどころか、ひどい場合には、内容を誤解してしまうことになります。

 ロシア文学の定評ある英語訳を読んでおけばこのようなことは起こりえません。

③日本語作品を英語で理解する

 さらにさらに、実は、英語読書の最も重要な意味は③にあると思います。
 何をバカなことを言っているんだ、日本語オリジナル作品は日本語で読んだ方がいいに決まっているではないかというお叱りの声が聞こえてきそうですね。
 しかし、そんなバカなことが実際にあるのです。日本語で読んでいても内容がよくわからない、つまらない作品が、英語にすることによって俄然面白くなることがあるのです。


 僕の読書体験上、このことを象徴するのが、源氏物語と村上春樹作品です。

 実は、2025年5月現在、僕は、村上春樹の1Q84読書会と源氏物語の英語訳(デニス・ウォッシュバーン訳)の読書会と、二つの読書会を主催しています。

 英語読書会をやる意味についてはこちらの記事を参照してください。


 これは、まさに③の意義について、少しでも多くの人に共感して欲しいとの願いから企画したものでした。

 源氏物語を英語で読む楽しさは、それだけで大変な説明を要しますので、機会を改め、別の記事で紹介できたらと考えています。
 ただ、ここでは、英語の明快な表現によって源氏物語に光を当てると、日本語では意味の分からなかったつまらない物語が、世界文学の場でドストエフスキーやトルストイといい勝負できると思えるくらいの名作に思えてくるくらいの驚きがあることはお伝えしておきます。

 そして、村上作品です。結論を先に申し上げると、村上作品は英語に翻訳されることによって大幅に面白さが増します。日本語の背後に隠れていた面白い要素や文章の深みが英語によって浮き彫りになるのです。

 それが具体的にどういうことかについても、これを説明するのは容易ではないので、機会を改め、別の記事で、「ノルウェイの森」や「1Q84」などを例に説明できればと考えています。

 ただ、ここで言いたいのは、我々の母語である日本語について、日本語だけで理解するのでは、深い理解にはつながらないということです。言語は、ものの見方、考え方を反映しています。日本語だけで理解するということは日本的なものの見方、考え方でしか物事をとらえられないということを意味しています。

 特に、これから国際社会で活躍することを志しているような皆様であれば、日本人としてのアイデンティティーについて、多面的に深く理解し、効果的に日本人としてのオリジナリティーを世界に発信して行く必要があるはずです。

 そのため、まずは、世界言語たる英語の見方、ものの考え方から、日本語、日本人のオリジナリティーについて考え理解することが必要になるはずです。

 その具体的な方策として英語読書以上に有効な方法は、僕には思いつきません。

 僕は、巷間に流布している無味乾燥な日本語による英語教材よりも、村上作品等の英語訳こそが皆様の今後のキャリア形成にとって決定的に重要な意味を有することになると確信しています。

まとめ

 英語で本を読むことは、日本的な思考の壁を越えて、世界中の物語や思想に触れるための鍵になります。
 英語オリジナル作品はもちろん、他国の文学や日本の作品さえも、新たな視点で味わい、視野を広げることができる―それが英語読書の魅力です。
 さあ、英語読書の旅を、今日から始めてみませんか?

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