英語読書が大好き、ヒデ英語です!
僕が過去に読んだ英語の本の中から面白かったものを紹介していきたいと思います。
今回ご紹介するのは、Gone with the Wind by Margaret Mitchell(邦題「風と共に去りぬ」)です。ヴィヴィアン・リー主演の映画が非常に有名ですが、その原作です。
僕は、英語で、Gone with the wind を読了する以前、映画を観たことがなかったのですが、原作読了を機に、映画を観てみました。
原作が非常に面白く、映画の評価が高いことも知っていましたので、映画を観て比較してみようとおもったのです。
映画「風と共に去りぬ」の字幕版はAmazon Prime で視聴することができるのですが、日本語の字幕を見たくなかったので、Blu-ray Disc を購入し、英語字幕を付けて視聴しました。
まとまって映画を観る時間を確保することが難しく、全体で3時間以上の映画でしたので、1週間程度かけて、少しずつ観て視聴を完了しました。
そのうえで、映画を観たことがある皆様に、英語読書の一環として、マーガレット・ミッチェルによる原書を読むことを強くおすすめしたいと思うに至った次第です。
原書は、全体で418,053語と大長編であることは確かですが、その分、長くスカーレット・オハラとともに、The Civil War とその後の Reconstruction Era におけるジョージア州の世界観に浸ることができます。
映画を視聴したことがあるのであれば、そのシーンを基に想像を膨らませることで、より深く風と共に去りぬの世界を体験できると思います。
映画の感想と原書との比較、英語多読において Gone with the Wind を強くおすすめしたい理由を以下、簡単にご説明いたします。
【※以下、映画「風と共に去りぬ」のネタバレを多数含みます。映画を未視聴の方はご注意ください。原書「Gone with the Wind」についてはなるべくネタバレをしないように注意しましたがネタバレが気になる方はご注意願います。※】
映画の感想
まず、映画を観た率直な感想です。
1939年に公開された映画と考えると本当にすごいなと感じました。
⑴ キャスティングがとても素晴らしいですね。
スカーレット・オハラのヴィヴィアン・リー、レット・バトラーのクラーク・ゲーブルは、評判通りすごいですね。原作の雰囲気をとても大切にしているように感じます。ヴィヴィアン・リーには目力がありますね。クラーク・ゲーブルの醸し出す雰囲気は原書を読んで感じたレット・バトラーの雰囲気そのままです。
メラニー・ウィルクスは原作で読んで想像していたのより素敵な女性でした。
スカーレットが恋していたアシュレーはちょっとイメージと違うかなと思いました。原作を読んだときはもうちょっと線の細いイケメンを想像していました。
スカーレットの父ゲラルド・オハラはすごくよかった。前半の自信と誇りに満ち溢れたアイルランド系南部人としての表情と南北戦争後失意の表情の対比が印象的でした。一代で巨大な綿花プランテーションを築き上げた人物としての尊厳と、南北戦争ですべてを失った絶望の対照的な演技が素晴らしかったと思います。
個人的には、黒人奴隷達のキャスティングが最高でした。一番印象に残っています。
オハラ家に仕えるマミーとプリッシーの母娘がすごくぴったりでした。プリッシーはアトランタでのエピソードでとても重要な役割をはたしますし、マミーは原作でも全編を通じてとても重要な役割を担っていますが、すごく力強く、印象的でした。
オハラ家のポーク、サム、ハミルトン家のピーターもよかったです。
⑵ 次にプロットもすごくよかったです。
映画は、原作のダイジェストとして良くまとまっていると感じました。
全体で3時間以上あり、映画としては長いですが、原書の長さ(英単語約40万語)と比較するとやはりかなり短く感じます。それでも、印象的なエピソードを要領よくまとめている印象でした。
スカーレットのアシュレーへの恋心と、スカーレットを愛するレット・バトラーとの関係を中心とした一大ロマンスとして仕上がっていると思いました。
原書を換骨奪胎して、ロマンスとしての盛り上がりに必要な要素を的確にピックアップしていたと思います。
スカーレットのアシュレーに対する恋心と二度の結婚に関連するエピソードがわかりやすくまとまっていました。
⑶ 映像も原書のイメージを大事にしていてよかったです。
冒頭のバーベキューのシーンからレット・バトラーとの最初の出会いのあたりの南部の豊かな情景がとても印象的で、なるほど、こういう雰囲気だったのかと納得感がありましたね。
舞台がアトランタに移ってからも、アトランタの街並みや舞踏会の様子がとても印象的でした。
傷病兵の様子も生々しく再現されていて効果的でしたね。
アトランタが火の海になるあたりの再現はすごかったですね。1939年にこのような映画を撮影していたハリウッドはすごいなと思いました。
スカーレットがカーテンから作った緑のドレスは素敵でしたね。
映画と原書の違い
さて、ここまで映画の感想について述べてきましたが、原書はかなり雰囲気が違います。
映画がスカーレットのラブロマンス的雰囲気を重視していたのに対し、原書はスカーレットの視点を通じたドキュメンタリーです。
映画よりも、もっともっと泥臭く、凄絶で、原書のスカーレットには、映画よりもはるかに過酷な試練を経た力強さがあると思います。
思いつく映画と原作の違いは次のとおりです。
⑴ 登場人物の大幅な削減・簡略化が行われています。
映画では、原作に登場した重要な人物が何人か省略されています。ぜひ、原作を読んで誰が省略されているか確認していただきたいです。
省略に伴い、その人物に関連した重要なエピソードもあわせて省略され、ストーリーも改変されています。この点は、仕方ないとはいえ、残念です。
また、映画で一瞬登場するだけに簡略化されている登場人物も多数います。
映画の冒頭でスカーレットと楽しげに会話する双子ですが、実は原作ではちゃんと名前があり、しっかりと描きこまれています。二人はゲティスバーグで亡くなるのですが、映画ではあっさり登場しなくなります。
しかし、この双子は16年という歳月を、豊かな南部の農園で、スカーレットの幼馴染としてすごしてきた友人たちだったのです。
原書を読んで双子の死を知ったときは、一読者にすぎない僕自身が結構ショックで、スカーレットの感じたであろう心の痛みをヒシヒシと感じ、南部人として当時感じたであろう辛さを、僕自身で疑似体験した思いでした。
また、ミード医師の息子も映画でほんの一瞬登場しますが、原書ではもっともっとしっかりと描きこまれています。
映画のワンシーンに、オハラ家の黒人奴隷であるポークに対し、スカーレットが父ゲラルドの遺品である懐中時計を贈るシーンがあります。映画では、ポークによる長年のオハラ家への献身に対する贈り物かと感じると思いますが、原書においてはその背景に壮絶なエピソードがあります。ポークのオハラ家への献身は想像を絶するものがありますので、この点もぜひ原書を読んでいただきたいです。
この他にも簡略化された部分は枚挙にいとまがありません。
それぞれの簡略化された登場人物にまつわるエピソードはどれも強い印象を残すエピソードで、原作においては、それらが複合的に作用して16歳から28歳までのスカーレットの激動の時代に壮絶なリアリティーを与えています。
⑵ 原書を読んで特に驚いたのは、黒人奴隷と奴隷所有者との関係性です。
この点は映画だけではなかなか感じ取るのが難しいのではないでしょうか。
後半の Reconstruction Era に入ってからの描写ですが、南北戦争が奴隷解放を大義名分としていたにもかかわらず、北部人よりも南部人の方が黒人に敬意を有しており、北部人の方が黒人に対して差別的な態度を取っていたのです。
南部における黒人奴隷と奴隷所有者との関係は思いの外、相互の敬意に満ちていました。全編を通じてスカーレットが最も信用し、レット・バトラーがスカーレットとの結婚後最も敬意を表していたのはスカーレットの乳母であったマミーです。
また、先述のポークによるオハラ家への献身とスカーレットによるポークへの信頼にはゲラルドの時代から続く強い絆を感じます。
映画にも登場しましたが、ゲラルドの綿花プランテーションで働いていたサムもオハラ家に対する厚い敬意を持っていますし、スカーレットもサムに対してなんら差別的な態度はありません。
もちろん、原書にはクークラックスクランも登場し、深刻な黒人差別の問題も顔を出しますし、歴史の教科書的には、南北戦争後の南部における深刻な黒人差別問題は日本人でも聞き知っているところですが、個々の家庭における黒人奴隷とその所有者であった白人たちとの暖かな関係性に驚きがありました。
⑶ 原書と映画では歴史的事実の果たす役割が全く違いました。
映画は、あくまでスカーレットのロマンスを中心にしており、南北戦争とそれに続く時代は舞台設定・背景に過ぎなかったように思います。
しかし、原書は、歴史的事実が密接不可分に物語と結びついていました。
南北戦争の開始、当初の南軍の勝利、ゲティスバーグの敗北、北部シャーマン将軍の進軍、南部リー将軍の降伏、その後のReconstruction Era における carpetbaggers や scalawags の躍動といったマクロ的な歴史的事実を、その時代を生き抜いた一個人であるスカーレットというミクロ的な視点から見ることによる、圧倒的なリアリティーが原書にはありました。
教科書的、マクロ的な視点で歴史を学んでも、各事実が生じた時の個々人の感情や街の様子、家庭の様子はなかなか想像が難しいと思いますが、「Gone with the Wind」はスカーレットの視点を通じて、見事にミクロ的な視点からこれらを再現しています。
原書をドキュメンタリーと申し上げた所以がこれです。
英語で原書を読む
ということで、映画を視聴した皆様には、英語原書の「Gone with the Wind」を読むことを強くおすすめいたします。
ただ、40万語を超える上、その英語には若干の難しさがあることも確かです。
僕が難しく感じたのは次の2点ですが、いずれもなんとかなると思いますので、気にせず英語で読んでしまえばいいと思います。
⑴ 南北戦争・Reconstruction Era にまつわる歴史知識、専門用語が必要です。
英語読書のコツはなるべく辞書を引かないことですが、Gone with the Windを読みこなすには、これら予備知識が不可欠です。事前に調べておいた方がいいと思います。
ただ、難しく考える必要はなく、Youtube上にある簡単に歴史が学べる英語の動画を視聴すれば十分ではないでしょうか。
僕自身、原書の第1章を読んだ時点で、すぐに、「これは南北戦争の知識がないとヤバイ」と考え、YouTubeを視聴しました。
英語圏で大人気の、Oversimplifiedチャンネルから、下記URLの動画を視聴しました。
この動画を観た後はすごくスッキリ原書の内容が頭に入ってくるようになりました。
⑵ 主に黒人奴隷たちの使う訛り African American Vernacular English が難物です。
これは、正直、理解を諦めました。「読み飛ばす」ことをおすすめします。
英語圏の読者は当然のものとして読めているんでしょうか?
日本語の小説を読んでいて、登場人物が関西弁を喋っている表記があっても日本人的にはなんとも思わないですし、むしろ、キャラクターとして関西の人なんだとわかっていいのですが、同じことを英語でやられると日本人的にはお手上げです。
ただ、映画を観て、マミーやポークのセリフを聞いて、なるほど、こういう雰囲気かというのはわかりました。黒人奴隷のセリフが出てきたら、映画の雰囲気を想像して雰囲気だけ楽しんではいかがでしょうか。
終わりに
以上、簡単に映画の感想、映画と原書の違いを述べてきましたが、結論としては、ぜひ皆様に原書を読んでいただきたいということです。
映画はとても素晴らしかったですが、原書により、その世界観がより一層厚みをもった充実したものになること請け合いです。
原書は大長編で、毎日少しずつ読み進め、読了に約3ヶ月を要しましたが、とても充実した読書体験だったと思っています。
読了した時、僕は、スカーレットのTara、Atlantaとの別れの喪失感で、kindle片手にしばらく動けませんでした。
それだけになかなか全てを語り尽くすことができていませんが、一人でも多くの皆様と原書「Gone with the Wind」の世界観を共有したいと切望している次第です。
最後に、タイトルのもととなったと思われる英文を紹介します。
Was Tara still standing? Or was Tara also gone with the wind which had swept through Georgia?
物語の前半、南北戦争終盤の時期に登場する一文です。ぜひ、どのような文脈でこの文が出てくるか原書で確かめていただきたく思います。
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