第23帖「初音」源氏物語英語訳読書会(第1回の2)

ウォッシュバーン源氏物語

Chapter 23 Hatsune: First song of Spring 第23帖「初音」―新春の光に照らされる、六条院の危うい均衡

前回の第22帖「玉鬘」に関する議論に引き続き、僕とヒナさんによる源氏物語英語訳読書会第1回(2025年3月実施)より、第23帖「初音」に関する議論を紹介していきます。

(第22帖「玉鬘」に関する議論はこちら)

第22帖「玉鬘」では、夕顔と頭中将の娘である玉鬘が、源氏の娘として六条院に引き取られることで、六条院に不穏な空気が生じていました。

第23帖「初音」では、源氏の歪んだ行動により六条院にもたらされた不協和音がさらに増幅されていき、六条院の姫君たちの均衡の危うさが明らかとなっていきます。

メンバー紹介

読書会メンバーについて簡単に紹介。

  • ヒデ(僕):男性。英語とフランス語の読書が大好き。海外経験なし。仕事で英語とフランス語を使うことはあまりない。ただただ英語とフランス語が好き。源氏物語を「権力と欲望」という視点から読み解く。イケメン、モテる男を敵視しており、源氏に対する嫌悪感が読解の根底にあって、源氏に対する敵意に満ちた偏った解釈をしがち。第22帖「玉鬘」を源氏の常軌を逸した性欲が示された帖として読み解く。
  • ヒナ:女性。源氏物語好き。圧倒的英語力。海外留学を経て社会の第一線で活躍中。源氏物語を「孤独と儚さ」という視点から読み解く。和歌や色彩、音楽、表現技法など、美的・文学的観点から作品を読み込む。繊細で構造的な分析が魅力。「あさきゆめみし」や与謝野晶子・瀬戸内寂聴日本語訳がベースにあり、源氏に好意的。イケメンなら何をやっても許されるという価値観が根底にあり、ヒデほどではないがやや偏った解釈をすることもある。ヒデを日頃「極論主義者」と呼んでいる。第22帖「玉鬘」を優れた和歌や色彩豊かな衣配りなど情緒豊かな帖として読み解く。

「初音」あらすじ

源氏36歳の新年、六条院。源氏の正妻紫の上は28歳、玉鬘は22歳。

華やかな新年祝賀の雰囲気のなか、源氏はそれぞれの姫君を訪れる。

その一見穏やかな巡礼は、六条院に潜む姫君たちの力関係の微妙なバランスを照らし出すとともに、源氏の玉鬘に対する歪んだ欲望がもたらす空気の不穏さが一層増すことになる。

ヒデの視点 玉鬘に向けられる視線の異様さ

ヒデ:新年、六条院で姫君たちを訪れる源氏ですが、玉鬘に対する態度は明らかにおかしいです。次の部分を見てください。

The moment he caught a glimpse of Tamakazura, she took his breath away. She was gorgeous in the formal robe of yellow mountain rose that he had sent her, and her dazzling radiance seemed to illuminate every corner of the room, dispelling all dark shadows.

Would he now be able to let her go?

源氏は、the formal robe を身に着けた玉鬘の輝くばかりの美しさを目にして思わず息をのみ、彼女をこのままにしておけるのか疑問に感じています。

このような表現からは、「父」の「娘」に対する素朴な愛情のようなものは一切感じません。

ただただ、男として、美しい女性に目を奪われているとしか思えないのです。これが、単に男として玉鬘をみているのであればいいでしょう。しかしながら、源氏は、まがりなりにも、玉鬘の「父」という言い訳を用いて玉鬘を六条院に囲ったのです。このような感情をいだくのであればそもそも「父」などと名乗るべきではなかったと言えるでしょう。

この後、さらに源氏の玉鬘に対する感情の歪みが明らかとなっていきます。

次の表現を見てください。

Tamakazura had grown accustomed to him looking directly at her with no curtain or blind to separate them, but there was still a distance between them―he was not, after all, her real father―and she remained wary about many things, doubting that all this could be reality and not a dream. For his part, Genji found her reticence and cautious demeanor extremely delightful.

玉鬘は、父であるはずの源氏の視線の異様さに気が付いており、寡黙で不安な状態になっているところ、源氏は、そのような玉鬘の様子すら、extremely delightful として心からいとおしく思っているのです。もちろんここでも娘としてではなく22歳の魅力的女性としていとおしく思っているのです。

どうですか、ヒナさん、源氏の玉鬘に対する性的に歪んだ感情はやや気持ち悪いものとさえいえるのではないでしょうか。

ヒナによる分析 extremely delightful = いとをかし

ヒナ:確かに英語訳を前提とすると、源氏の玉鬘に対する態度は気持ち悪いと言わざるを得ません。源氏は本当にこんなに気持ち悪かったのか、extremely delightful の原文と英語訳の違いについて検討してみます。該当箇所の原文は次のようになっています。

かくいと隔てなく見たてまつりなれたまへど、なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつの心地もしたまはねば、まほならずもてなしたまへるも、いとをかし

(このように何の隔てもなくお目にかかっていらっしゃるが、やはり考えて見ると、どこか打ち解けにくいところが多く妙な感じなのが、現実のような感じがなさらないので、すっかり打ち解けた態度ではいらっしゃらないのも、たいそう興を惹かれる。)

英語版だと「隔たり多くあやしき」理由が、原文にもある” doubting that all this could be reality and not a dream”に加えて ”he was not, after all, her real father”と追加で説明されている。(原文だと、「ううつの心地」がしないから完全には打ち解けていない、と記載されている)

原文では、語り手(いわば神の声)が、玉鬘の源氏に対する完全に打ち解けてはいない態度を「いとをかし」と評している。そうすると、原文においては、一見、第三者が玉鬘を評価していると捉えることができ、源氏の気持ち悪さが幾分減殺されると思います。

一方、英語では、Genjiが玉鬘の態度をextremely delightfulと評価しているという表現になっています。源氏を主語にすることで気持ち悪さが強調されてしまっています。

ヒデ:文脈上、ここで「いとをかし」と思っている人物は源氏しかありえません。そうすると、原文が露骨に表現することを避けた源氏の気持ち悪さを英語訳は容赦なく露骨に表現したといえるのではないでしょうか。

ヒナ:そういった面があることは否定できないでしょう。

ヒナによる疑問 新年第1夜を明石の上のもとで過ごしたのはなぜ?

ヒナ:玉鬘十帖における本筋からは少しそれるのですが、「初音」帖において気になるのは、源氏が新年第1夜を明石の君のもとで過ごしていることです。

ヒデ:確かに。源氏にとっても周囲にとっても、六条院の姫君たちのナンバーワンが紫の上であることははっきりしているわけです。そうすると新年第1夜は紫の上の下で過ごし関係を結ぶのが自然に思います。ところが明石の上と夜を過ごしている。実際、紫の上の周囲の女御たちは源氏の態度に相当苛立っているように思います。

これは一体どういうことなのでしょうか?

ヒナ:第二部(「若菜」帖以後、女三宮の降嫁をめぐるストーリー。源氏物語中最大のクライマックス。源氏物語英語訳読書会においても、たいへんな議論がなされた。詳細は本ブログの今後の記事をご期待いただきたい)以降の布石を打っているのではないでしょうか。

第二部で女三の宮が降嫁することで六条院の姫君たちのパワーバランスが揺らぎます。

「初音」帖は、そのパワーバランスの揺らぎを強調するために、女三の宮降嫁前の危ういバランスを描写しているのではないでしょうか。

ここで、六条院における代表的な姫君である紫の上、明石の上、花散里について若干の分析をしておきます。

紫の上:衣配りからも伝わる圧倒的トップ。一方で、そもそもの出自が微妙(親王の愛人の子)、子がいない、ということで、紫の上がトップである理由は源氏の寵愛のみ。(他のidentityとしては、中宮候補である明石の姫君の継母)。新年の和歌、新年初日も紫の上に気を遣って早朝に帰る、衣配りや玉鬘のことも相談している、ことなどから、源氏に最も近い立場にいる、源氏の寵愛、信頼を獲得していることが伺われる。

明石の上:衣配り、源氏が新年初日に泊まることから、源氏の明石に対する相当な敬意が伺われる。身分は低いが、中宮候補の実母であるということで紫の上よりも優位性がある。紫の上が自分の存在を脅かす存在と考えて、最も嫉妬しているのも納得。

花散里:identityは夕霧、玉鬘のお世話係。身分は悪くはない(女御の妹なので、女御を出せる家の娘ではある)。源氏との関係は、もはや恋人ではなく友人。源氏の”寵愛争い”には入らないが、源氏の子の養育係を任せられることから、信頼を獲得しているのがわかる。「信頼できるがトップにはならない存在」。

ヒデ:なるほど。源氏から最大の寵愛を受けているのは紫の上ですが、紫の上には子がいない。一方源氏と明石の上との間には中宮になることができる明石の姫君という子供(実際の娘)がいる。これにより相当な緊張関係が生じているのですね。

そのようななか新年第1夜を明石の君の下で過ごした源氏は、紫の上をどう思っているのか疑問です。また、花散里により微妙なバランスが保たれている感じもおもしろいです。

「初音」というタイトルの皮肉

「初音」には、新春の最初の歌、新しい始まりを告げるはずの響きが込められているように思います。

しかし、「初音」帖で鳴り響いているのは調和ではありません。
むしろ、均衡が崩れ始める前の、張り詰めた静寂、ときおり漏れる不協和音。

玉鬘に向けられる歪んだ視線。
紫の上の不安定な優位。
明石の上の静かな上昇。

すべてが、次の波乱を予感させます。春の歌は、すでにどこか不穏に響いているのです。

このようななか、玉鬘の運命は?

いよいよ、次回第24帖「胡蝶」Chapter 24 Kocho: Butterfliesにおいて、源氏の本性が露わとなります。

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