―― 英語読書のその先へ
フランス語読書との出会い
英語とフランス語の読書をこよなく愛する、ヒデです。
僕がフランス語の読書を始めたのは、2023年12月のことでした。そこから約1年半、試行錯誤を重ねながら読み続け、2025年6月にはフランス語読書会を起ち上げ、2026年4月現在もその営みは続いています。
しかし、意外に思われるかもしれませんが、それ以前の僕はフランス語とはまったく無縁でした。大学では第二外国語としてドイツ語を選択していたものの、ドイツ語の記憶は、現在、ほとんど残っていません。
ドイツ語の挨拶すらろくに思い出せない状態です。
興味のない言語に触れても何も残らない――その実感だけが、妙に鮮明に残っています。
英語読書が導いた「もう一つの言語」
フランス語読書を始めたきっかけは、他でもない英語読書でした。
2023年当時の僕は、すでに英語読書の世界に深く没入しており、特にミステリー作品を数多く読んでいました。アガサ・クリスティのポアロ・シリーズでは、ベルギー人であるポアロの会話の中に自然にフランス語が混ざり込みます。
例えば、ポワロ・シリーズで最も有名な作品の一つ、『オリエント急行の殺人』 Part 1, Chapter 1 だけでも、次のようなセリフが流れるように登場します。
“Mais oui”
“Eh bien”
“En voiture, Monsieur”
こうしたフレーズは、意味が完全に分からなくても、雰囲気で読み進めることができました。
また、僕の愛読書の一つである、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』でも同様です。主人公ジェインは家庭教師としてフランス生まれの少女アデールの教育に従事するのですが、アデールとの会話では、説明もなくフランス語が当然のように差し込まれます。
“N’est-ce pas, monsieur, qu’il y a un cadeau pour Mademoiselle Eyre dans votre petit coffre?”
当初は、それでも問題ありませんでした。英語という軸がある限り、フランス語は「背景」として処理できたのです。
トルストイ「戦争と平和」が突きつけた壁
状況が一変したのは、トルストイの『戦争と平和』英語訳を読もうとしたときです。
トルストイ『アンナ・カレーニナ』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』――いずれも英語訳で読み、大変な感銘を受け、すでに愛読書となっていました。
そして次に挑もうとしたのが、『戦争と平和』英語訳だったのです。
『戦争と平和』の冒頭は、1805年7月のロシアの貴族社会における晩餐会が舞台であり、その主催者である貴婦人のセリフから始まるのですが、いきなり…
“Eh bien, mon prince, Gênes et Lucques ne sont plus que des apanages, des estates, de la famille Buonaparte. Non, je vous préviens, que si vous ne me dites pas que nous avons la guerre, si vous permettez encore de pallier toutes les infamies, toutes les atrocités de cet Antichrist (ma parole, j’y crois)–je ne vous connais plus, vous connais plus, vous n’êtes plus mon ami, vous n’êtes plus my faithful slave, comme vous dites. Well, good evening, good evening. Je vois que je vous fais peur, sit down and tell me about it.”
(War and Peace translated by Richard Pevear and Larissa Volokonsky)
斜線の部分がフランス語を示しており、太字の部分が英語です。
英語で読むつもりで開いた本に、これほどの分量のフランス語が現れる。しかも、それが断続的ではなく、連続して続いていく。
ここで初めて、「雰囲気で流す」ことの限界に直面しました。
当時のロシア上流社会ではフランス語が事実上の公用語であり、その歴史的空気を再現するため、英訳でもフランス語がそのまま残されているのです。
この翻訳者は、Richard Pevear and Larissa Volokonsky (P&V) という夫婦で、僕がロシア文学の英語訳という分野で最も信頼している翻訳者でした。
(P&Vによる訳がいかに優れた翻訳であるかについては別の記事で紹介します。)
この体験が、僕の中に決定的な欲求を生みます。
「雰囲気ではなく、意味として理解したい」
フランス語作品への強いあこがれ
もともと僕は、日本語で読書をしていた頃から、フランス文学に対して強い憧れを抱いていました。いつかは原文で読めるようになりたい――そんな思いが、ずっと心のどこかにあったのです。
振り返ってみると、愛読してきた作品の中には、フランス語を原語とするものが数多くありました。
- モーリス・ルブラン ― アルセーヌ・ルパン・シリーズ
- ジョルジュ・シムノン ― メグレ警視シリーズ
- ガストン・ルルー ― 『黄色い部屋の謎』
- ジュール・ヴェルヌ ― 『二年間の休暇』『海底二万マイル』『神秘の島』
- アレクサンドル・デュマ ― 『三銃士』『モンテ・クリスト伯』
- ヴィクトル・ユゴー ― 『レ・ミゼラブル』
こうして並べてみると、僕にとってフランス語は、英語に次いで「読みたい原書が豊富にある言語」だったことがよく分かります。
英語読書が習慣として定着したあと、自然とその視線がフランス語へと向かったのは、ある意味で必然だったのかもしれません。
最初の一冊でつまずく
とはいえ、フランス語は完全な未経験。そこで僕は、「内容を知っている作品から入る」という戦略をとりました。
最初に選んだのは、ジュール・ヴェルヌ『海底二万マイル(Vingt mille lieues sous les mers)』。
幼少期、福音館古典童話シリーズで愛読し、内容を熟知している作品であり、フランス語も何とかなるのではないかと思ったのです。
しかし、これは失敗でした。
船や海洋生物に関する専門用語が多く、そもそも英語でも難解な作品です。未知の言語で読む最初の一冊としては、あまりにもハードルが高すぎました。
転機となった一冊
そこで方針を転換し、ジャンルをミステリーに絞ります。
選んだのは、ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎(Le Mystère de la Chambre Jaune)』。
この選択が、すべてを変えました。
この作品は、僕が幼少期に夢中になって読んだ一冊です。
密室ミステリーの古典的傑作であり、小学生時代の僕は、若き名探偵ルールタヴィーユの活躍に心躍らせたものです。
そのため、内容は把握しており、フランス語を眺めるだけで、何となく、言いたいことの雰囲気は感じていました。
内容をすでに理解しているため、フランス語の文章を追うだけでも「何が起きているか」は感覚的に掴める。
さらに、英語訳 The Mystery of the Yellow Room を横に置き、参照しながら読み進めることで、部分的に意味が立ち上がってくる。
完全に理解できなくてもいい。
それでも、「原文で読んでいる」という実感がある。
その体験は、想像以上に刺激的で、純粋に楽しいものでした。
(その時の詳細な手順と感想は別の記事で紹介します。)
読書が変えたもの
『黄色い部屋の謎』一冊をフランス語で読み終えたとき、僕の中から「フランス語への抵抗感」は完全に消えていました。
そして同時に、次の欲求が生まれます。
「この体験を、誰かと共有したい」
読むだけでは足りない。
語りたい、議論したい、他の視点に触れたい。
そう思ったとき、ちょうど、その願望を実現する絶好の機会が訪れました。
次回は、僕がどのようにしてフランス語読書会を立ち上げるに至ったのか、その具体的な経緯を紹介します。



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