(AIにより生成したイメージ画像を使用しています。)
【この記事に『白痴』のネタバレはありません。】
英語訳でドストエフスキー四大小説を読むのが大好き、ヒデです。
前回、エパンチン家の食事で提供された料理の名称に関する問題を通じて、複数の日本語訳・英語訳の比較をしました。
結論として、『白痴』はP&Vによる英語訳 “The Idiot” (ヴィンテージクラシックス)で読むべきであること、もし、どうしても日本語訳で読むというのであれば、望月哲男訳(河出文庫)で読むべきことをお伝えしました。
今回は、さらに、翻訳者による力量差が如実にあらわれる箇所をピックアップし、その理由をより一層鮮明なものにしていきます。
前回に引き続き、僕とロキさんとの対談形式でお伝えします。
僕が次の3つの英語訳(タイトルはいずれも “The Idiot” ) を
- Garnett訳:コンスタンス・ガーネット訳(19世紀後半から20世紀初頭の翻訳、パブリックドメイン化しているが、古い英語であり、あまりお薦めしない)
- P&V訳:ドストエフスキーのニュアンスを英語で正確に伝える(最もお薦め)
- マクダフ訳:David Mcdaff訳。わかりやすく正確な英語訳に定評のあるペンギンクラシックス所収(英語多読の素材を探している人、英語学習者に最適)
ロキさんが次の3つの日本語訳を
- 木村浩訳 新潮文庫(誠実な翻訳であり、ドストエフスキーのニュアンスを日本語でなんとか伝えようとする努力に好感がもてる)
- 望月哲男訳 河出文庫(誠実かつ正確な翻訳であり、日本語訳としては最もお薦め)
- 亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫(論外。これを読んでドストエフスキーを語るべきではない)
引用し、比較検討していきます。
テーマ2 エヴラムピヤ・ニコラエヴナの哲学について(第1部5より)
ロキさんによる問題提起 訳によって意味が真逆になっている!?
ロキ:前回記事のエパンチン家食事場面に引き続く場面である、ミシュキン公爵と、エパンチン母・三人娘との歓談タイムに疑問がある。
ミシュキン公爵が、スイスでの療養生活が幸せだったと言い、スイスの山奥からナポリのような大都会を夢見たことについて「人は監獄の中でさえ、とてつもなく大きな生活を見出すことができる」と教訓めいた話をする。
これに対してアグラーヤが当てこすって言った言葉が問題。
最後の一文に注目(黄色でハイライトする)。
木村訳(1971年)
「それから、あなたの哲学はエヴラムピヤ・ニコラエヴナのものと同じようですわね」またもやアグラーヤが言葉をひきついだ。「そのかたは、ある官吏の未亡人で、居候みたいな形であたくしどものところへ出入りしているんですの。…あのかたはただずるいんですのよ。あなたのおっしゃる牢獄の中の偉大な生活も、これとまったく同じことですわね。それから四年間の田舎住まいの幸福も。だって、あなたはそのために、ナポリの都まで売っておしまいになったんじゃありませんか。おまけに、幾コペイカにしろ、利息までおとりになって…」
望月訳(2010年)
「あなたのその哲学って、あのエヴラムピヤさんの哲学にそっくりですわね」またもやアグラーヤが話を横取りした。「エヴラムピヤさんというのはお役人の未亡人で、うちに通ってくる、まあ居候みたいなものですけれど。この人の場合、人生の課題はすべて安上がりということに尽きるのです。とにかく少しでも安上がりに暮らしたいということで、しゃべる話題もはした金のことばかり。しかも、いいですか、本当はお金を持っているくせに、そうして人目を欺いているのです。あなたの言う監獄の中のとてつもなく大きな生活というのも、まったくこれと同じ口ですし、またおそらく村で過ごした四年間の幸せというのも、そうしたけち臭い話でしょう。なのにあなたはそんな幸せのためにナポリの町まで売り払ってしまって、しかも損はしないとおっしゃる。もっともたいしたもうけにもならないでしょうが」
亀山訳(2015年)
「それに、あなたの哲学は、エヴラムピアさんのとまるでそっくりですもの」アグラーヤがまた言葉を継いだ。「そういうお役人の未亡人がうちに来るんです。居候みたいにしてね。…ずるい人なんですね。あなたのいう、牢獄のなかでの大いなる生活っていうのも、それとまるきり同じですわ。それに、ことによったら四年間の村での幸せなくらしというものも、それとまるきり同じですわ。それと引換えに、ナポリの町を売ってしまわれたわけでしょう。小銭程度とはいえ、儲けはそれなりにあったようですし」
木村訳と亀山訳は、「前の文で得た儲けに追加でわずかばかりの儲けを得た」という方向性がたぶん同じ。
ところが、望月訳は、「前の文で得た儲け自体がわずかである」ということで意味が真逆。
ここは前後の文脈から望月訳が正しいと考えます。
アグラーヤは、本当に価値あるものを軽んじて、けちけちした「幸せ」で満足する卑小さをバカにしているのであって、せこせこと小金(幸せ)稼ぎをする貪欲さを嘲笑っているわけではないと思うからです。
それにしても、ドストエフスキーのオリジナル原文から、なぜ真逆の日本語訳がなされてしまったのか。
英語訳はどうなっているのか、教えて、ヒデ!
ヒデによる英語訳分析
ヒデ:ロキさん、大変興味深いご指摘ありがとうございます。
小説の筋としても大事な内容に入ってまいりました。
いよいよ、僕の愛する絶世の美少女アグラーヤの個性が浮き彫りになってくるとても重要な個所だと思います。
エヴラムピア・ニコライエヴナの哲学に関するご指摘について、3つの英語訳をもとに僕の考えをまとめたいと思います。
なお、このブログの読者の皆様は既にお気づきだとは思いますが、僕は、アグラーヤの魅力を最大限引き出す訳を最も優れた訳として扱い、学術的・技術的な問題は副次的考慮要素としますので、この点あらかじめご承知おきください。
以上を前提にロキさんの提起した問題について検討を進めます。
エヴラムピア・ニコライエヴナの哲学について3つの英語訳引用
エヴラムピアの哲学について、3つの英訳における問題の個所を引用します。
Garnett 訳(1913年)
“And your philosophy is just like Yevlampia Nikolayevna’s,” Aglaia put in again. “She is the widow of a clerk, who comes to see us, rather like a poor relation. Cheapness is her one object in life–to live as cheaply as possible, and she talks of nothing but farthings. And yet she has money, you know; she is sly. That’s like your wealth of life in prison; perhaps, too, your four years of happiness in the country for which you bartered your Naples; and you seem to have gained by the bargain, though it was a petty one.”
P&V 訳(2002年)
“And your philosophy is exactly the same as Evlampia Nikolavna’s,” Aglaya picked up again. “She’s an official’s wife, a widow, she calls on us, a sort of sponger. Her whole purpose in life is cheapness; only to live as cheaply as possible; the only thing she talks about is kopecks—and, mind you, she has money, she’s a sly fox. Your immense life in prison is exactly the same, and maybe also your four-year happiness in the village, for which you sold your city of Naples, and not without profit, it seems, though it was only a matter of kopecks.”
マクダフ 訳(2004年)
‘And your philosophy is just the same as Yevlampia Niko-layevna’s,’ Aglaya again chimed in. ‘She’s an official’s widow and comes to see us, a sort of dependant. All she cares about in life is cheapness; all that matters is how cheaply one can live, all she talks about is copecks, and, yet, mind you, she has money, she’s an impostor. It’s just the same with your immense life in prison, and perhaps your four years of happiness in the country, for which you sold your city of Naples, and at a profit, too, though only a few copecks.’
3つの英語訳から導かれる日本語訳の評価
3つの英語訳を比較した結果を基に、まず先に、日本語訳についていうと、木村訳と亀山訳は誤訳だと思います。
ですから、ここは、いいも悪いもなく、読むのに適した日本語訳は、望月訳一択です。
しかも、望月訳は、適切にわかりやすい日本語になっていると思います。
すべての英訳において、最後は逆説の though が用いられており、「コペックス」(ロシア最小単位の小銭)程度となっていることから、ここは「利益がなかったわけではない、しかし、それははした金の話だ」ということで方向性は3者とも一致しています。
アグラーヤの意図についてはまさにロキさんご指摘のとおりだと思います。華々しいナポリでの生活と引き換えに手に入れたといっているけれども、そんなもの大したものではない小銭程度の問題であるとして、ミシュキン公爵の卑小さを嘲笑っていると考えるとアグラーヤの魅力が一段と高まるように思いますし、自然な解釈だと思います。
また、ここまでの会話を通じて、アグラーヤは、3姉妹のなかで最もミシュキン公爵にいらいらし、反発した態度を示しているように思われ、ミシュキン公爵の哲学者じみたもっともらしい話を、卑小なものとして説得的にはねつける様子を想像するといいですね。
(アグラーヤ好き)
それにしても亀山訳はいったいどうなっているのでしょうか。2015年に刊行された翻訳であり、先行する2010年の望月訳が非常に正確な訳をしているにもかかわらず、露骨に退化したような明確な誤訳をしているのです。
亀山訳における日本語のつながりの悪さは如何ともし難いものがあります。読めば読むほど何が言いたいのかわからなくなるのではないでしょうか。
1971年の木村訳が誤訳していることは、もう相当昔のことで時効といってもいいですし、木村訳のその他の誠実な翻訳態度に照らし、このくらいは「仕方ないな」と思えます。
ところが、亀山訳は、1971年の木村訳と同じ誤訳を繰り返した上に、日本語として退化しているのです。
もはや、ロシア語原文はもちろ、英語訳すら参照していなかったことが明らかです。英語訳を少しでも参照すれば明らかに誤訳であることが一瞬で明らかとなるのですから。
そうすると、亀山訳は、原文を参照せず、木村訳のみを参照した疑いすらあります。
亀山訳はもはや、ドストエフスキーの原文が有するイメージを日本人に伝えるつもりがないのではないかと疑われてきます。
3つの英語訳比較
このような日本語訳の問題をみると、ドストエフスキーを英語訳で読むべき理由がはっきりしてきます。英語訳において、亀山訳のような酷い訳を読まされる心配はありません。
3つの英語訳のなかでは、特にP&V訳が優れていると思います。P&V訳が正確にドストエフスキーのロシア語のニュアンスを伝えているように感じるのです。
kopecs を用いているところ、not without profit と二重否定を用いているところ、最後のit was only a matter of kopecks として直接的にミシュキン公爵を蔑むのではなく、お金を例えとしてミシュキン公爵の卑小さを指摘しているところに、アグラーヤの感情をよく表されているように思うのです。
これに対し、Garnett 訳は意訳が過ぎてドストエフスキーの雰囲気が失われています。
また、マクダフ訳は、and a profit とか、only a few copecks といった表現が直接的でわかりやすい反面、アグラーヤのミシュキン公爵に対するいらだちの感情が減殺されてしまっているように感じます。
まとめ
ロキ 英語訳の方が日本語訳より優れていることはどうやら確からしい
ロキ:ヒデが指摘するとおり、日本語で訳が分かれた最後の部分は、英訳では3者揃って望月訳方向でしたね。
ということは、英語話者にとっては、該当部分の原文は読み間違えようがない(確実に望月訳方向になる)、と推測できます。
これは、英語とロシア語の言語的な近さに起因すると考えます。
こういった文法的な誤解の起きにくさという観点からも、英訳に利がありますね。
英訳>日本語訳は争いようがないように思えてきました。
また、P&Vのその他の箇所の訳語のチョイスも素敵です。
エヴラムピヤ未亡人 を評した「a sort of sponger(寄生虫のようなもの)」、「she’s a sly fox.(彼女は狡い狐)」(slyはスラング)なんて、とっても生き生きした訳だと思いませんか?
他の訳もそれなりに興味深いですが,少し色気が足りない。
Germett訳
- rather like a poor relation(むしろ貧しい親戚のようなもの)
- she is sly(彼女はずるい)
マクダフ訳
- a sort of dependant(ある種の依存者)
- she’s an imposter(彼女は詐欺師)
邦訳では「居候みたいなもの」「人目を欺いている(木村・亀山は「ずるい」)」なので、Germettやマクダフに似ていますね。
ヒデ ロキさんによる問題提起の秀逸さと日本語訳における露骨な差
ヒデ:P&V訳におけるアグラーヤのセリフの色気に関するご指摘、まったくその通りですね。言葉のチョイスから、アグラーヤのミシュキン公爵に対する色気あふれる蔑みが伝わってきて、とてもいい訳に思います。
日本語訳については、アグラーヤの魅力という観点からも望月訳が優れている印象です。言葉の雰囲気から、アグラーヤの性格がよく表れているように思います。実際、望月訳には作品そのものや登場人物達に対する敬意・愛情が感じられます。
木村訳はところどころ誤訳がありますが、古い訳ですので致し方ないのでしょう。
それにしても最新の日本語訳であるはずの亀山訳のクオリティーはいったいどうなっているのでしょうか。
前回記事と合わせて、ここまでわずか2テーマですが、ロキさんの問題提起は本当に秀逸ですね。
翻訳者が悩みその力量差が現れるであろう重要なポイントを的確に突いていると思います。そのため、検討の過程でドストエフスキーの真意に確実に近づいている感覚があり、これが非常に楽しく、”The Idiot” の理解をとても深めてくれる印象です。
次回予告
わずか2テーマですが、英語訳、特にP&V訳の優秀さがはっきりとしてきました。
日本語訳についても、望月訳の優秀さ・誠実さと亀山訳の酷さ・不誠実さがここまで露骨に浮き彫りになるとは驚きです。
それだけテーマ設定が秀逸であったともいえますが。
次回、ロキさんから提示された3つ目のテーマ(この翻訳比較記事における最後のテーマです)に沿って、さらに日本語訳と英語訳の比較を進めていきます。
ネタバレにはなりませんが、『白痴』読解にとって極めて重要な箇所です。
ドストエフスキーの『白痴』をロシア語原文以外で読むのであれば、
P&V英語訳 “The Idiot” (ヴィンテージクラシックス)が最もお薦めであること、
日本語訳で読むのであれば、望月哲男訳(河出文庫)がお薦めであること
が決定的に明らかとなります。
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