(AIで生成したイメージ画像を使用しています。)
Chapter 26 Tokonatsu: Wild Pinks ―「雨夜の品定め」における伏線と近江の君登場の謎
前回の記事では、2025年3月に実施された源氏物語英語訳読書会第1回の議論のラスト第25帖「蛍」の議論を紹介しました。
蛍を用いた印象的な演出、紫式部の物語論を検討したうえ、源氏の玉鬘に対するとんでもない行動と玉鬘をめぐる状況に権力闘争の側面があったことが議論されました。
(前回の記事はこちら)
僕と、ヒナさんが読んでいるのはこちら。デニス・ウォッシュバーンによる英語訳
The Tale of Genji tlanslated by Dennis Washburn
今回から、2025年4月に実施された第2回源氏物語英語訳読書会における議論を紹介していきます。
第2回では、新メンバーによる新たな視点が加わり、第26帖「常夏」、第27帖「篝火」、第28帖「野分」 についてさらに白熱の議論がなされました。
まずは、第26帖「常夏」Chapter 26 Chapter 26 Tokonatsu: Wild Pinks の議論を紹介していきます。
「常夏」では、源氏の玉鬘に対する邪な感情がいや増す一方、玉鬘はその状況に慣れつつあります。頭中将の娘として近江の君が突如として登場し、頭中将を困惑させることになります。
メンバー紹介
ヒデ(僕)
男性。源氏物語を「権力と欲望」という視点から読み解く。
学生時代は古文の『源氏物語』にひとかけらの興味もなかったが、社会人になり、デニス・ウォッシュバーン英語訳『源氏物語』を読んで初めてその面白さに気が付く。
イケメン、モテる男を敵視しており、源氏に対する極めて強い嫌悪感が読解の根底にあって、源氏に対する敵意に満ちた偏った解釈をしがち。
あらゆる凶事の原因を源氏と考える。
第22帖「玉鬘」から第25帖「蛍」までを、源氏の玉鬘に対する歪んだ欲望を中心に読み解くが、和歌、色彩や紫式部の物語哲学といった文化的側面を読み飛ばしがちであることをヒナに指摘され、若干反省している。
ヒナ
女性。源氏物語を「孤独と儚さ」という視点から読み解く。
『あさきゆめみし』や与謝野晶子・瀬戸内寂聴日本語訳のイメージがベース。
さらに、宝塚による『源氏物語』のイメージも重なり、その根底には清く正しく美しい『源氏物語』がある。
そのため、源氏に極めて好意的。イケメンなら何をやっても許されるという観点から、源氏の行動について全力で善意解釈しようとする。
和歌や色彩、音楽、表現技法など、美的・文学的観点から繊細に読み解く。女性心理に対する深い洞察が特徴。
第22帖「玉鬘」から第25帖「蛍」までを和歌や色彩など情緒豊かに読み解きつつ、六条院の姫君たちの心理の機微を鋭く洞察するが、玉鬘十帖における源氏の邪な行為をかばいきれなくなりつつある。
新メンバー ロキ 紹介
第2回から、新メンバーとしてロキさんが加わりました。
僕は、2020年頃から英語でしか読書をしなくなってしまいましたが、それ以前は、日本語で読書をしており、日本語の読書量も相当だったと自負しています。
ロキさんは、僕が日本語で読書していたころからの、長年の読書友達です。
以下、ロキさんについて簡単に紹介。
ロキ
女性。ヒデの同業者であり、長年の読書友達。ヒデを親しみと若干の蔑みをこめて「ヘンタイ」と呼んでいる。いつも読書の話が盛り上がりすぎて、腐れ縁を断ち切れない。
たいへんな読書家。ヒデと同じく、ドストエフスキーやトルストイといった重厚なロシア文学を好むが、『源氏物語』などの日本文学も愛好。
英語が読めないわけではないが、ヒデがいくら勧めても英語では読もうとせず、かたくなに日本語訳を読む。
ロシア語をたしなむ。
2023年から2024年にかけて、すっかり英語読書にはまっていたヒデが、デニス・ウォッシュバーンによる英語訳『源氏物語』、P&Vによる英語訳トルストイ『アンナ・カレーニナ』、ドストエフスキー『罪と罰』・『カラマーゾフの兄弟』・『白痴』などを次々と読了した際、ロキも各複数の日本語訳で並走。読了の都度、二人で議論が盛り上がる。
ただし、いずれの作品についても意見は常に激しく対立し、議論がヒートアップして周囲のひんしゅくを買う。
芸術家気質。日本舞踊をたしなむ。趣味の域を超えた本気の演劇活動において舞台女優として活躍中。ヒデのよく知る有志の小規模演劇集団では多数の脚本を手がける。
学生時代より『源氏物語』を愛好。漫画『あさきゆめみし』のイメージがベースにあるものの、テキストを客観的・論理的に分析することを好み、源氏の行動に対しては比較的中立的な立場から評価を加える。
ヒデに誘われ、源氏物語英語訳読書会には2025年4月実施の第2回より、原文、谷崎潤一郎現代日本語訳、林望現代日本語訳を携えて参戦(あれ、英語は?)。
デニス・ウォッシュバーン訳『源氏物語』を通じた英文による『源氏物語』読解にとって、日本語による視点も、きっと、何かの役立つのではないかとヒデは考えた。
ドストエフスキー英語訳比較読書会にも、2026年1月から実施されている『悪霊』( Demons )の検討から、3つの日本語訳を携えて参戦(あれ、英語は?)。
(ロキさんについてはこちらも参照)
「常夏」あらすじ
源氏(Genji)36歳の年の夏。紫の上(Lady Murasaki)28歳、玉鬘(Tamakazura)22歳。
暑い盛りの六条院、源氏は釣殿で息子夕霧や、頭中将の2番目の息子紅梅らと涼み、頭中将の娘が近江で見いだされたことを耳にする。源氏は頭中将に対する皮肉を言う。
その後、源氏は、玉鬘のいる西の対を訪れる。
庭の撫子を愛でながら、源氏は「撫子のように愛おしい」と玉鬘への隠しきれない愛情を歌に詠むものの、玉鬘は置かれた状況に慣れてきており、玉鬘は実の父(内大臣)に知られずにいたいと願う。
一方、頭中将(当時内大臣)は、田舎育ちで教養がないものの、陽気で少し抜けたところのある娘近江君を引き取るが、その振る舞いの酷さに困り果て、彼女を頭中将の娘である弘徽殿の女御の元へ出仕させる。
源氏は近江君を引き取った頭中将を嘲笑する。
ロキの視点 シンデレラストーリーに対するアンチテーゼ
ヒデ:ロキさんには、第26帖「常夏」から源氏物語英語訳読書会に参戦してもらっているわけですが、第22帖「玉鬘」から第25帖「蛍」までも検討いただいていると思います。
ここまで、玉鬘十帖にどのような印象をもっていますか?
ロキ:私は、玉鬘十帖の「常夏」までの展開から、シンデレラストーリーなど幻想に過ぎないという、紫式部のシンデレラストーリーに対するアンチテーゼを感じている。
前回のヒナさんの物語論に関する指摘に関連するが、紫式部は物語を通じて冷徹に現実を突きつけているのではないだろうか。
源氏物語(1000年前後に成立)の少し前に成立した物語で、現存する有名なシンデレラストーリーには、「落窪物語」(10世紀末成立)や「うつほ物語」(10世紀後半成立)がある。
落窪物語は、「美しい容貌を持つ主人公の落窪の女君が、その名の通り寝殿の隅にある、畳の落ち窪んだ陋屋(ろうおく)に住まわされ、継母からのいじめにあうが、結末は右近の少将に見初められ結ばれる」という単純明快シンデレラ的サクセスストーリー。
うつほ物語は、落窪物語ほど単純ではないが、どちらかというと不遇な主人公一族が、琴の腕前(秘伝)などを武器に、出世して成功と幸せを掴んでいくという展開で、サクセスストーリーであることは共通する。
当時の人々(特に主要な読者層であった貴族女性)がこれらを読んでどう感じたかに関する資料は見当たらないが、おそらくは、「いいなあ」「あんなふうになりたいなあ」と憧れたに違いない。
だがしかし、理想と現実は違う。
現実には王子様はいないし、王子様に見出されて一生幸せに暮らすお姫様にもなれない。
その理想と現実とのギャップへの落胆は、源氏物語より後に成立した更級日記(1060年頃成立)によく表れている。
つまり、当時の多くの女性は、少女時代に「いつか必ず王子様が」などといった幻想(白雪姫の歌的幻想)を夢見て、大人になると王子様不在の現実に直面し、夢から醒める、という古今東西共通の経過を辿ったと思われる。
そこは紫式部も同じで、(落窪物語やうつほ物語を読んで直接憧れていたかは不明だが)王子様とお姫様の物語への希望と失望を経験したと推測される。
で、ここからは私の完全な憶測だが、紫式部は、こういう経験を経て、落窪・うつほのような従来のサクセスストーリーを「くだらない」「底が浅い」と思うようになり、いっそ嫌うようになったのではないだろうか。
そして、これらを読んで「キャーすてきー」とか騒ぐ世の女性たち(特にいい歳した女性)を「この頭ん中お花畑の馬鹿共が」と心底軽蔑していたと思えて仕方ないのである。
そのうえで、私は、源氏物語には、少なくとも、以下の2点の要素はあると考えている。
①世間一般の「幸せ」に疑義を呈する(一般に「幸せ」とされるものが本当に幸せか?という疑問。源氏物語の登場人物はみんなどこかしら不幸だったり、何かが欠けている)
②栄華の絶頂の「続き」を書くことで、「いつまでも幸せに暮らしましたとさ、おしまい」というサクセスストーリーの結語は幻想であることを示す。
これらは、従来型王子様とお姫様の物語・サクセスストーリーへのアンチテーゼであると信じている。
紫式部はなぜ玉鬘十帖を書いたか。
私は、先述のとおり、紫式部は従来型サクセスストーリーや、それに憧れるミーハーな女性たちを毛嫌いしていたと思う。
そして、紫式部はそれらへのアンチテーゼたる源氏物語を、こつこつ執筆してきた。
ところがである。
源氏物語を読んだそのへんの女性陣が何と言ったか。
「光源氏ステキ!」「私も夕顔みたいになりたい!」である(更級日記参照)。
きっと紫式部の同僚の女房たちもそんな感じにキャーキャー騒いでいたに違いない。
きっと執筆開始時からずっと。
紫式部は、そういう声に内心もやもやしつつ、第33帖「藤裏葉」(第一部末)まで書き進めたのではないだろうか。
そして本当に書きたかった第二部(若菜からは始まる女三の宮降嫁をめぐる源氏物語最大のクライマックス)。
すなわち「めでたしめでたしの続き」に入る前に、溜め込んだ鬱憤から、こう考えたのではないだろうか。
「源氏物語大好きなあのミーハーな女性たちに、シンデレラストーリーなんて幻想だということを、源氏物語の作者自ら教えてやろう」
そう考えると、玉鬘の置かれた苦境、玉鬘をめぐるおぞましい権力闘争が紫式部の意図としてよく理解できると考えている。
ヒデ:ロキさんらしい極めて冷徹な視点ですね。
玉鬘は、田舎で暮らしていたところ、時の権力者である源氏に見出され、六条院に迎えられるわけで、単純にみるとシンデレラストーリーと言えます。
ところがです。ガラスの靴がぴったりはまり、お城に迎え入れられたシンデレラ的ポジションについたとたん、これまで見てきたような恐ろしい展開が待っていたわけです。
シンデレラストーリー及びその後が決して幸福でないということを紫式部が伝えたかったということはロキさんご指摘のとおりと思います。
さて、ロキさんから大胆な視点が提示されたところで、「常夏」の文化的側面をヒナさんに解説してもらいましょう。
ヒナの視点 玉鬘の心情の変化
ヒナ:私は、「常夏」を、玉鬘が現実を理解していき、それに伴い次第に心情が変化していく様子が描かれている帖と考えています。
It sounded to Tamakazura as if the relationship between these two powerful men was being stained by this situation, and it made her sad and depressed to think that, as a result, her real father might never be told of her existance.
さは、かかる御心の隔てある御仲なりけりと聞きたまふにも、親に知られたてまつらむことのいつとなきは、あはれにいぶせく思す。
源氏、玉鬘、夕顔、頭中将の関係が密に絡み合っていることが暗示される和歌の贈答があります。
源氏から玉鬘への贈答歌:
Genji said “There was a time, long ago, when he mentioned you to me” and composed the following poem:
Were he to glimpse the ever-charming colors of wild pinks
Growing in this garden of never-ending summer blooms
Would he search the fencerow to find that very first wild pink
撫子のとこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や尋ねむ
常夏は撫子の異名。
掛詞:「常夏」と「床懐かし」。「撫子」と「撫でし子(愛しい子)」
常夏と撫子の両方=玉鬘
垣根=夕顔
玉鬘の返歌:
Is there anyone who would search for her
That first flower from which the wild pinks grew
In the fence row of a mountain peasant
山がつの垣ほに生ひし撫子の もとの根ざしを誰れか尋ねむ
古今和歌集『あな恋し今も見てしか山賤(やまがつ)の垣穂(かきほ)に咲ける大和撫子』を参考。
山がつの垣ほ=夕顔。母親の身分の低さを強調。
撫子=夕顔
上記和歌は、第2帖「帚木」の雨夜の品定めで頭中将が夕顔について話した時の下記和歌を参考にしています。
夕顔:山がつの垣ほ荒るとも折々に あはれはかけよ撫子の露
(山がつの垣ほ=夕顔、撫子=玉鬘)
頭中将:咲きまじる色はいづれと分かねども なほ常夏にしくものぞなき
(古今和歌集『塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花』を参考。参考歌で常夏は妻のことなので、頭中将の歌も常夏=夕顔)
夕顔:うち払ふ袖も露けき常夏に あらし吹きそふ秋も来にけり
(常夏=夕顔)
第2帖「帚木」における「雨夜の品定め」では撫子=玉鬘、常夏=夕顔でしたが、第26帖「常夏」の源氏の歌ではどちらも玉鬘を指しています。
源氏が「雨夜の品定め」での頭中将の話をはっきりと覚えていることが和歌からも読み取れるのです。
夕顔の和歌を知らないはずの玉鬘が、夕顔と類似した和歌を詠んでいることも印象的ですね。
源氏は雨夜の品定めの話を受けた和歌(しかも当時の和歌の「常夏=夕顔」と「撫子=玉鬘」を融合させて玉鬘を表現)を玉鬘に詠みかけると、玉鬘から話の中の夕顔を彷彿とさせる返歌。源氏、玉鬘、夕顔、頭中将の関係が絡み合っていることが暗示される。
この和歌を受けて
[Genji] did not think he would be able to control himself much longer
(なほえ忍び果つまじく思さる)
となったことは、上記を理解すると深みがかなり増すなと思いました。
ヒデ:まさか、「帚木」における「雨夜の品定め」が、玉鬘十帖における「常夏」の伏線となっていたとは。紫式部の構想の壮大さには脱帽ですね。
また、「常夏」「撫子」の掛詞による暗示の巧みさもさすがです。ヒナさんに指摘されるまでまったく意識していませんでした。
このような点に気が付くあたりが、さすがヒナさんです。
ヒデの視点 権力欲からの読解
ヒデ:僕の視点から「常夏」を検討します。
第25帖「蛍」までは、源氏の「性的欲望」という視点から、玉鬘への邪な感情に焦点をあわせて読むと非常に楽しめたが、「常夏」からは一転、「権力欲」に焦点をあわせると面白さが増すと感じています。
すなわち、「常夏」を、源氏の「権力欲」という視点から、頭中将を貶めていく物語として読んでいくと、改めて源氏の恐ろしさが浮き彫りになると考えられるのです。
まず、「常夏」を一読すると次のような疑問がわいてきます。
・源氏と頭中将の関係性は(政治的な関係性、玉鬘をめぐる思惑を含む疑問)?
・頭中将のキャラクターが以前と変わった(常にイライラしており、以前よりも小物になった気がする)?
・近江の君とは何者なのか?
(最大の疑問はこれ。急に、なんで、どこから、出てきた!?)
当時の官位
源氏の権力欲という視点から読み解く前提として、源氏と頭中将の地位を整理します。
- 源氏:太政大臣(第21帖「少女」~)Chancellor
- 頭中将:内大臣(第21帖「少女」~)Palace Minister
二人の出世競争に明らかな差が生じており、頭中将の心中は穏やかでなかったでしょう。
さらに、頭中将の出世にとって、雲居の雁が極めて重要な存在であるにもかかわらず、夕霧との関係が疑われており相当に苛立っていました。
(これらの点については、第21帖「少女」が参考となる。)
そのうえで、「常夏」帖を特徴づけるのは、近江の君の登場による頭中将の困惑ぶりです。
「蛍」帖末尾で娘の存在を察していた頭中将の目から、本来最も望ましい娘である玉鬘をそらす存在として、近江の君を位置づけることができます。
しかも、近江の君は、頭中将の評判を貶める存在です。
そうすると、近江の君を仕込んだのは源氏ではないか、つまり、近江の君は、源氏が頭中将に放った刺客と思えてくるのです。
以下の表現を見てください。
“What’s this I’ve heard? Someone mentioned that your father has discovered a long-lost daughter he had by someone who was not a wife and that he’s going to take her in and look after her. Is that true?”
「常夏」冒頭、頭中将の子供たちに世間話を装って話をふる白々しい源氏。
So it is true, Genji thought.
思惑通りにことが進んでおり、ほくそ笑む源氏。さらに、次の文章で示される頭中将への嫌味から、これを画策していたのが源氏であることが疑われます。
“Well, you have to admit it was greedy of your father to go looking for one gosling that had gone astray–unnecessary, really, given his already enormous flock.
源氏の玉鬘への邪な感情もピークに達している。
His desire for her had reached the point where he did not think he would be able to control himself much longer.
源氏の感情の複雑性が示されている。「性欲」と「権力欲」がせめぎあい、複雑な感情となっているように思われます。
Why am I being so irrational, making myself uneasy and miserable? If, to put an end to these feelings, I did as I pleased and took as my wife a woman who is supposed to be my daughter, I would be condemned as utterly contemptible by people at the court. My reputation would be ruined, and it would be a terrible situation for Tamakazura.
一方の玉鬘、源氏に慣れてきたのでしょうか?
At first, Tamakazura was put off by the lessons and found him unpleasant. But after a while, despite his being so close to her, she recognized that he was showing none of those inclinations worrisome to her. She gradually got used to his presence, no longer finding him quite so disgusting, and would even converse with him on occasion when it was appropriate for her to do so–all without allowing him too much intimacy.
頭中将の後悔。
次の頭中将の内心の表現は、まんまと源氏にはめられたと考えると自然な流れです。
What was I thinking to summon such an eccentric woman to my house without more thoroughly checking her out?
どうでしょうか。
権力争いのライバルである頭中将を貶めるために源氏が画策したのが近江の君と考えると、ここで近江の君が登場することも自然ではないでしょうか。
ヒナ:さすが近江君を源氏の刺客と考える解釈はちょっと極端すぎる気がします。ヒデはホントに「極論主義者」ですね。
ロキ:根拠が乏しすぎるだろ。
ヒデ:この点については、次回、第27帖「篝火」でも議論を継続したいと思います。
まとめと次回第27帖「篝火」予告
第26帖「常夏」では、第2帖「帚木」の「雨夜の品定め」において仕掛けられていた糸が静かに引き寄せられ、頭中将と玉鬘が結びつきました。
『源氏物語』冒頭から、玉鬘十帖まで統一的に構想されていたとすると、そのスケールの大きさ、紫式部という語り手の底知れなさはやはり異次元です。
そして、頭中将と近江君をめぐる一連の出来事。そこに源氏の権力欲の影を読み取るのか、異なる意味を見出すのか、物語の奥行きをいっそう深まっていきます。
次回、第27帖「篝火」 Chapter 27 Kagaribi: Cresset Fires。
非常に短い帖ですが、わずかな分量の中に、情感と示唆に富んだ帖となっており、玉鬘をめぐる運命の流れは、ここで確かに新たな熱を帯び始めます。
ロキさんが加わり、議論は思いがけない角度へと火花を散らしていきます。
静かに燃え上がる「篝火」の光の中で、僕たちは何を見抜くのか。続きをどうか見届けてください。
The Tale of Genji tlanslated by Dennis Washburn を実際に読み進めながらこの記事を読んでいただけると一層楽しめると思います。



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