(AIにより生成したイメージ画像を使用しています。)
【この記事は、『白痴』未読の皆様に向けた記事であり、ネタバレはありません。】
英語訳でドストエフスキー作品を読むことを愛する、ヒデです。
(『白痴』のヒロイン、エパンチン三姉妹の三女アグラーヤ・エパンチンのことはもっと愛しています。)
これまで、ロキさんから提示された2つのテーマ、
- テーマ1「エパンチン家の食事に関する問題」
- テーマ2「エヴラムピヤ・ニコラエヴナの哲学に関する問題」
を通じて、複数の日本語訳・英語訳を徹底比較してきました。
(テーマ1についてはこちら)
(テーマ2についてはこちら)
2つのテーマに関する議論を通じて導かれた結論はこうです。『白痴』は、
P&Vによる英語訳 “The Idiot” (ヴィンテージクラシックス)で読むべき
一般論として、日本語訳でドストエフスキーを読むことは望ましくないが、もし、どうしても日本語訳で読むというのであれば、望月哲男訳『白痴』(河出文庫)で読むべき
今回もロキさんにテーマを設定してもらい、引き続き、僕とロキさんとの対談形式でお伝えします。
テーマ1及びテーマ2は、翻訳のクオリティーの差が直ちに読解にとって致命的な問題にはならない箇所でした。
しかし、今回は、『白痴』読解においても非常に重要な意味がありつつ、翻訳者による力量差が極めて顕著にあらわれる箇所がピックアップされています。
ドストエフスキーを英語訳で読むべき理由が明白になります。
僕が次の3つの英語訳(タイトルはいずれも “The Idiot” ) を
- Garnett訳:コンスタンス・ガーネット訳(19世紀後半から20世紀初頭の翻訳、パブリックドメイン化しているが、古い英語であり、あまりお薦めしない)
- P&V訳:ドストエフスキーのニュアンスを英語で正確に伝える(最もお薦め)
- マクダフ訳:David Mcdaff訳。わかりやすく正確な英語訳に定評のあるペンギンクラシックス所収(英語多読の素材を探している人、英語学習者に最適)
ロキさんが次の3つの日本語訳を
- 木村浩訳 新潮文庫(誠実な翻訳であり、ドストエフスキーのニュアンスを日本語でなんとか伝えようとする努力に好感がもてる)
- 望月哲男訳 河出文庫(誠実かつ正確な翻訳であり、日本語訳としては最もお薦め)
- 亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫(論外。これを読んでドストエフスキーを語るべきではない)
引用し、比較検討していきます。
テーマ3 エパンチン母娘の「顔」についてのミシュキン評(第1部5末尾<マリー前>及び同6末尾<マリー後>)に関する問題
ロキ 「顔」に関する問題提起
ロキ:テーマ2と同じ場面、ミシュキン公爵とエパンチン母、三姉妹との歓談場面からもう一つ疑問点を提示します。
ミシュキン公爵には、人の「顔」からその人となり・本質を読み取る癖(というか特技?)があります。
ミシュキン公爵は、スイスで会ったかわいそうなマリーの話をするのですが、これを始める前と後に、エパンチン三姉妹の「顔」について述べています。
エパンチン三姉妹は、長女アレクサンドラ、二女アデライーダ、三女アグラーヤの三姉妹であり、いずれも美女ですが、なかでも、アグラーヤはヒデがこだわっているとおり、類稀な美貌の持ち主であり、『白痴』の中心的なキャラクターです。
以下、便宜的に、マリーの話の前の場面を「マリー前」、マリーの話の後の場面を「マリー後」と呼称して検討を進めます。
ミシュキン公爵によるマリー前の第一声は、マリー後の言葉ともリンクするので、ぜひ上手に訳してほしかったのですが、邦訳はどれもしっくり来ませんでした。
原文が絶対的に難しいのか、それとも日本語訳者にとって相対的に難しいのかは不明です。
そのため、邦訳の比較というよりもむしろ、英訳がどうなっているのか知りたい、そして原文に迫りたいのです。
3つの日本語訳引用
黄色=「顔」について注目箇所
赤色=その他注目箇所
木村訳(1971年)
<マリー前>
「公爵、あの娘(こ)の言うことを真に受けてはいけませんよ」夫人は公爵にむかって言った。「わざと意地悪してあんなことをしているんですから。あの娘は決してあんなおばかさんにしつけられてはおりません。どうぞ、あの娘たちがあなたをいじめようとかかっている、なんてお思いにならないでくださいな。たしかに、何か企みがあるのでしょうが、三人とももうあなたが好きになっているんですから。あの娘たちの顔を見れば、わたしにはわかりますよ」
「私もあのかたたちの顔をよく知っております」公爵はその言葉に妙に力を入れて言った。
「それはどういうことですの?」アデライーダが好奇心にかられて言った。
「あたしたちの顔についてどんなことをご存じなんですの?」他の二人も好奇心をおこした。
ところが、公爵は無言のまま、まじめな顔をしていた。みなは彼の答えを待ちもうけていた。
「のちほど申しましょう」彼は静かにまじめな調子で言った。
「あなたはなんとしてもあたしたちの興味をおひきになりたいんですのね」アグラーヤが叫んだ。「ずいぶんもったいぶっていらっしゃること!」
「それじゃ、ようございますわ」アデライーダがまたせきこんで言った。「もしあなたがそれほど顔を見分ける大家でしたら、きっと、恋をなさったにちがいありません。つまり,あたくしが言ったことが当たったわけですわね。さあ、話してくださいまし」…
<マリー後>
「…ところでさきほど、私があなたのお顔のなかに何を認めたかとのお尋ねがありましたが、いまは喜んでこれにお答えしましょう。…」
望月訳(2010年)
<マリー前>
「公爵、あの娘(こ)の言うことをお信じにならないで」夫人が彼に言った。「あの娘はわざと意地悪であんなふるまいをしているんで、本当はもっとお行儀がいい娘なんですよ。この娘たちがうるさくするからといって、どうか悪くお取りにならないでね。きっと何か企んでいるんでしょうけれど、でももうあなたに好意を持っているんですよ。あの娘たちの顔で分かりますもの」
「ぼくも娘さんたちの顔に見覚えがあります」公爵は妙に力のこもった口調で言った。
「それはどういうことですか?」アデライーダが興味深そうに尋ねる。
「私たちの顔について何をご存じなの?」残りの二姉妹も俄然関心を示した。
だが公爵はまじめな顔つきで黙りこんでいる。皆は彼の返事を待ち構えていた。
「後でお話ししましょう」落ち着いた、まじめな口調で彼は答えた。
「あなたは何が何でも私たちの関心を引きつけたいのね!」アグラーヤが叫んだ。「それにしても、なんともったいぶっていることでしょう!」
「けっこうよ」アデライーダがせわしい口調になった。「でも人の顔をそんなによくご存じの方は、きっとご自身恋をなさったはずよ。つまり私の言ったとおりでしょ。さあ、お話しになって」…
<マリー後>…
「…皆さんは先ほど、皆さんのお顔をどう思うか、何をそこに読みとったかとぼくにお尋ねになりました。ぼくはここに大きな満足を持って申し上げましょう。…」
亀山訳(2015年)
<マリー前>
「公爵、この娘の言うことなんか真に受けちゃだめですよ」夫人が公爵に向かって言った。「なんの恨みがあるのか、わざとああいう口のきき方をしているんですから。ほんとうはこんな行儀の悪い娘じゃないの。この娘たちがなにやかやあなたを困らせるからと言って、どうか悪くは思わないでね。この娘たち、たしかに何かたくらんでいるかもしれないけど、あなたのことがもう大好きになっているんですから。それくらい、この娘たちの顔色でわかりますよ」
「ぼくもお嬢さんたちの顔色はわかっています」公爵は、口にした言葉に特に力を込めながら言った。
「それって、どういうこと?」好奇心にかられてアデライーダが尋ねた。
「わたしたちの顔について、何がわかっているっていうの?」ほかのふたりも、にわかに好奇心にかられたらしかった。
「あとでお話しします」穏やかな、まじめな調子で彼は答えた。
「あなたは、どんなことをしてでも、わたしたちの興味を引きつけたいわけね」アグラーヤが叫んだ。「どこまで思わせぶりなのかしら!」
「でも、いいわ」アデライーダが慌てて口をはさんだ。「もし、あなたがそれほど人の顔を判別できる名人なんだとしたら、やっぱり恋をしたことがある証拠ね。つまりわたしの言ったとおりってわけ。さあ、お話しになって」…
<マリー後>
「さっき、あなたがたのお顔について何か気づいたことがあるか、そうお尋ねになりましたね?大いに喜んでこれにはお答えしましょう。…」
ロキによる日本語訳考察
ロキ:私なりに3つの日本語訳について簡単に考察してみる。
望月訳
まず、これまで相当に信頼がおけると結論付けられていた望月訳からみてみる。
望月訳における「顔」の流れは次のとおり。
ミシュキン公爵:「娘さんたちの顔に見覚えがある」→姉妹:「私たちの顔について何をご存じ?」→マリー後のミシュキン公爵:「みなさんのお顔をどう思うか、何をそこに読み取ったかとお尋ねになりましたね」
「見覚えがある」という言葉は、普通は「同じ顔(又は似た顔)を過去に見たことがある」という意味。そうすると、続くマリーのエピソード中に、「三姉妹を想起させる顔」が登場するはずだが、出てこない。
加えて、マリー後の「みなさんのお顔をどう思うか、何をそこに読み取ったか」という言葉ともリンクしない。
よって、望月訳は、適切な訳ではないと考える。
木村訳
次に、これまで、多少誤訳はあったものの、原文のニュアンスを伝えようという努力は感じられていた木村訳をみてみる。
木村訳における「顔」の流れは次のとおり。
ミシュキン公爵:「あの方たちの顔をよく知っている」→姉妹:「あたしたちの顔についてどんなことをご存じ?」→マリー後のミシュキン公爵:「私があなたのお顔のなかに何を認めたかとのお尋ねがありました」
「顔をよく知っている」の方が、「顔に見覚えがある」に比べると、違和感は多少マシなように錯覚するが、冷静に考えれば意味はほぼ同じ。
よって、木村訳も適切な訳ではないと考えられる。
亀山訳
(エパンチン母の「娘たちの顔色でわかる」を前提に→)ミシュキン公爵:「お嬢さんたちの顔色はわかる」→姉妹:「私たちの顔について何がわかっているの?」→マリー後のミシュキン公爵:「あなたがたの顔について何か気づいたことがあるか、とお尋ねになりましたね」
これは論外。
「顔色はわかる」って何だ!?
「娘たちの顔から、今の気分や考えている内容を窺い知ることができる」という意味ならこの訳もアリかもしれないが、ここはそういう局地的なことではなくて、「顔」からその人の本質をズバリ当てる、というシーン。
だから「顔色がわかる」というのはあり得ない。
文体も全然すてきじゃない。エパンチン母娘から上流階級の香りが全くしない。
アグラーヤも、高慢なお嬢様というより、そのへんによくいる生意気な小娘という感じで全然魅力的じゃない(ヒデの視点が伝染しつつある…)。
日本語訳だと意味が分からない
亀山訳は論外であるとしても、それなりに信頼していた望月訳、木村訳でも意味が分からなくなってしまっている。
そうすると、そもそも、この部分における「顔」に関する文章は日本語に翻訳することが相当に困難な部分と推察される。
ヒデ、英語訳を引用して「顔」に関する疑問を解消して!
亀山訳における日本語の拙さ
しかし、それにしても、亀山訳は、何かと言葉のチョイスが拙い印象。
たとえば本題の中にも出てくる「慌てて言った」という訳。
望月訳・木村訳から推測するに、たぶん原文は「せかせかと、早口で言う」的なニュアンスと思われます。
しばしば登場する語なのですが、亀山訳は決まって「慌てて」と訳します。
確かに「慌てる」には「非常に急ぐ」という意味もありますが、「不用意なため平静さを失い、まごまごする」の意味の方が先にイメージされるので、もっと日本語のニュアンスを大事にしてくれないかなー、と出てくるたびに思います(「慌ただしく」ならまだいいのに)。
ヒデによる英語訳検討
ヒデ:テーマ2に引き続き、エパンチン母娘とミシュキン公爵との会話からの問題提起ですね。
ミシュキン公爵の「顔」に関する話から、マリーの逸話、エパンチン母娘の顔に関する評、そしてこれに引き続くアグラーヤとナスターシャの美に関する会話の流れは第1部において最も重要な個所といっても過言ではないように思います。
ここにミシュキン公爵の人柄が凝縮されているとともに、今後の展開への重要な暗示が込められているように思うのです。
問題となる箇所の文脈上の位置づけを若干わかりやすくするため、ロキさんご指摘の部分に該当する3つの英語訳をやや長めに引用します。
3つの英語訳引用
Garnett 訳(1913年)
<マリー前>
“As soon as you have finished telling us anything, you seem to be ashamed of what you’ve said,” Aglaia observed suddenly. “Why is that?”
“How stupid that is!” snapped her mother, looking indignantly at Aglaia.
“It’s not clever,” Alexandra assented.
“Don’t believe her, prince,” said Madame Epanchin, turning to him. “She does it on purpose from a sort of malice; she has really not been so badly brought up. Don’t think the worse of them for teasing you like this; they must be up to some mischief. But they like you already, I know. I know their faces.”
“I know their faces too,” said Myshkin with peculiar emphasis.
“What do you mean?” asked AdelaÏda curiously.
“What do you know about our faces?” the two others inquired too.
But Myshkin did not speak and was grave. They all waited for his answer.
“I’ll tell you afterwards,” he said gently and gravely.
“You are trying to rouse our curiosity,” cried Aglaia. “And what solemnity!”
“Very well,” AdelaÏda interposed hurriedly again, “but if you are such a connoisseur in faces, you certainly must have been in love, so I guessed right. Tell us about it.”
“I haven’t been in love,” answered Myshkin as gently and gravely as before. “I … have been happy in a different way.”
“How? In what?”
“Very well, I’ll tell you,” said Myshkin, as though meditating profoundly.
<マリー後>
You asked me about your faces and what I noticed in them. I shall be delighted to tell you that. You have a happy face, AdelaÏda Ivanovna, the most sympathetic of the three.
P&V訳(2002年)
<マリー前>
“When you finish a story, you immediately feel ashamed of having told it,” Aglaya suddenly observed. “Why is that?”
“This is quite stupid, finally,” Mrs. Epanchin snapped, looking indignantly at Aglaya.
“Not clever,” Alexandra agreed.
“Don’t believe her, Prince,” Mrs. Epanchin turned to him, “she does it on purpose out of some sort of spite; she hasn’t been brought up so stupidly; don’t think anything of their pestering you like this. They probably have something in mind, but they already love you. I know their faces.”
“I know their faces, too,” said the prince, giving special emphasis to his words.
“How is that?” Adelaida asked curiously.
“What do you know about our faces?” the other two also became curious.
But the prince was silent and serious; they all waited for his reply.
“I’ll tell you later,” he said quietly and seriously.
“You decidedly want to intrigue us,” cried Aglaya. “And what solemnity!”
“Well, all right,” Adelaida again began to hurry, “but if you’re such an expert in faces, then surely you were also in love, which means I guessed right. Tell us about it.”
“I wasn’t in love,” the prince replied as quietly and seriously, “I … was happy in a different way.”
“How? In what way?”
“Very well, I’ll tell you,” the prince said, as if pondering deeply.
<マリー後>
You asked me about your faces and what I observe in them. I’ll tell you with great pleasure. Yours, Adelaida Ivanovna, is a happy face, the most sympathetic of the three.
マクダフ訳(2004年)
<マリー前>
‘As soon as you finish telling something you at once begin to be ashamed of what you have told,’ Aglaya suddenly observed. ‘Why is that?’
‘Really, how stupid this is,’ snapped the general’s wife, looking at Aglaya in indignation.
‘It’s not clever,’ Alexandra confirmed.
‘Don’t listen to her, Prince,’ the general’s wife said, turning to him. ‘She’s doing it on purpose, out of some kind of spite; she really hasn’t been brought up as stupidly as that; don’t go away with the idea that they’re out to tease you. They’ve probably got something up their sleeve, but they already like you. I know by their faces.’
‘I know by their faces, too,’ said the prince, giving his words particular emphasis.
‘How can that be?’ Adelaida asked with curiosity.
‘What do you know about our faces?’ the two others also asked curiously.
But the prince said nothing, and looked earnest; they all awaited his reply.
‘I’ll tell you later,’ he said quietly and earnestly.
‘You really are trying to arouse our interest,’ exclaimed Aglaya, ‘and what solemnity!’
‘Oh, very well,’ Adelaida hurried on again, ‘but if you are such an expert on faces, you must have been in love; so I guessed correctly. Now tell us.’
‘I’ve never been in love,’ the prince replied, quietly and gravely as before. ‘I… was happy in a different way.’
‘How, in what way?’
‘Very well, I shall tell you,’ the prince said softly, as if in deep reflection.
<マリー後>
You asked me about your faces, and what I could see in them. I will tell you that with great pleasure. You, Adelaida Ivanovna, have a happy face, the most sympathetic face of the three.
ヒデによる英語訳検討
ヒデ:結論的には、やはり、P&V訳が最も優れているように思います。
ただ、この部分については好みの問題ともいえるかもしれません。
まず、3つの英語訳とも faces という訳語に違いはなく、この点に言い換え等はありませんでした。いうまでもなく、face は非常に基本的な英単語であるところ、ロシア語においてもさすがに、「顔」に相当する単語は基本的な単語が用いられていると考えられ、その単語には揺らぎがないと考えられます。
したがって、ここでは、用いるべき単語について faces に争いはなく、その基本単語に込められた意味の多義性による意図のすれ違いが会話に深みを与えていると考えることができると思います。
エパンチン夫人は娘たちの母親ですから、 faces について顔の識別の話をしているのではなく、「表情から読み取れる娘たちの現時点における一時的な感情」を意味していることは明らかで、ここではミシュキン公爵を好きという気持ちが顔からわかるという趣旨と考えられます。
一方、ミシュキン公爵の faces は<マリー後>の説明から明らかなとおり、faces を通じて、「人の性質・本質」がわかるという趣旨と考えられます。これは、一時的な感情による表情から離れた、もっと深いものが刻まれたものとしての「顔」を意味していると考えられます。
そのうえで、Garnett と P&V はともに “I know their faces.”/ “I know their faces, too”,で一致していました(コンマのあるなしという細かい違いはありますが)。
これに対し、マクダフ訳は ‘I know by their faces’/ ‘I know by their faces, too,’ でした。by を用いることにより、faces から読み取れる何か、その何かについて、齟齬があるということが非常にわかりやすくなります。しかし、マクダフ訳は、意味を限定してわかり安くし過ぎてしまっているように感じます。
I know their faces, too の方が、ミシュキン公爵の素朴さ、多義的に解される返答の深み、その後のアデライーダの疑問文やアレクサンドラとアグラーヤによる What do you know about our faces? が自然になると思うのです。この What で始まる疑問文は3者で一致しており、これ以外に訳しようがない疑問文となっています。
そうしたときに、初対面の男が、顔から読み取れる感情のことではなく、純粋に「顔を知っている」と捉えられることを言ってきたのに対し、「私たちの顔について何を知っているというの!?」と聞き返しているアグラーヤの方が魅力的ではないでしょうか。
また、マクダフ訳は、by を使ってしまったため、読み取る能力に関する問いとしてアデライーダの疑問文を訳す必要が生じ、 How can that be? と can を使わざるをえなくなっているように思え、アデライーダの発言の含意が限定され、会話の面白みが損なわれているように思います。そのうえ、 but if you are such an expert on faces について、「顔から何かを読み取る専門家」に限定しない方が会話としての面白さが増すと思います。
これに比べ、P&V訳における How is that? の方が、「どういうこと!?」という感情が伝わって来る上、 but if you’re such an expert in faces とのつながりがよく、その後の会話の流れが面白いと感じます。
以上から、僕は、ここでもP&V訳が最も優れていると考えます。
テーマ2までを含めたこれまでの検討から、マクダフ訳は、英文のわかりやすさ・読みやすさを重視する反面ドストエフスキーのニュアンスを幾分減殺しているように感じます。
ペンギンクラシックスシリーズは、英語圏で古典をわかりやすい英語で伝えるシリーズとして定評がありますが、マクダフ訳はペンギンクラシックスのそのような趣旨に沿った訳を進めたのかもしれません。
ヒデによる日本語訳検討
日本語訳についてみると、まず、faces に相当する語については、日本語についても端的に「顔」と翻訳するべきで、言い換えはするべきではないと考えます。
単純な「顔」という単語に込められた意味の多義性が重要だからです。
その意味で、亀山訳は論外です(本当に亀山訳はいったいどうなってしまっているのでしょうか?)。
そのうえで、望月訳、木村訳はいずれも、原文の意味をなんとか日本語にしようとする努力のあとを感じますが、「分かる」と「知っている」を異なる言葉で表現しなければならないところで、明らかに英語よりも劣ってしまっています。
英語訳は know を使うことにより、エパンチン母、エパンチン3姉妹、ミシュキン公爵それぞれの微妙な含意の違いによる齟齬を会話で表現することができていて、ドストエフスキーの意図に相当近いと感じます。
ただ、望月訳、木村訳はこのような困難な部分でも相当な努力を払っていることは表現から感じ取ることができます。
ロキさんご指摘の「せわしい」「せきこんで」について、英語訳はいずれも hurry の類語を用いており、「急いで」という趣旨が込められており、その方向性は一致しています。しかしながら、そこに何か「混乱」した要素はどの英語訳からも感じられません。
それにもかかわらず、「慌てて」などと訳している亀山訳からは、相当テキトーに意訳していることがうかがわれ、大変な苛立ちを感じます。
この部分について、望月訳、木村訳いずれをとるかは完全に好みの問題だと思いますが、望月訳における、
「あなたは何が何でも私たちの関心を引きつけたいのね!」アグラーヤが叫んだ。「それにしても、なんともったいぶっていることでしょう!」
というアグラーヤの発言の方が、アグラーヤの、年若く高慢でかつ美しい様子を表しているように思え、ここでも望月訳を推すことにします。
ロキによる総評
ロキ:ヒデによる分析はなかなか緻密だと思う。
さすが多数の本を英語で読んでいるだけあって、英文の分析・理解は説得的だと感じている。
思い返せば「驢馬」もそうだったけど、今回の「顔」の分析を通じて、原文は多義語を非常に巧みに使っていることがわかってきた。
(「驢馬」に関する問題については、こちらの記事で紹介しています。)
そして、日本語はロシア語における多義語を訳すのには不向きであることを改めて痛感した。
「顔」の箇所を分析しなければ、私はただ日本語訳の一義的なわかりやすさの追求に終止し、原文が持っている(であろう)複雑さと魅力に気づかないところだった。
日本語訳で読むにしても英語訳との対比は非常に有意義だったと思う。
翻訳比較まとめ
ここまでのヒデとの議論を通じた、私の中間的なまとめは次のとおり。
①白痴(ドストエフスキー作品全般?)の会話部分におけるキーポイントは、多義語
②英語訳を読まない私のような人間は、基本的に望月訳で読み、「なんかしっくりこない訳だな」と思ったら、該当箇所をP&V訳で読むとだいたい解決する
ロキによるおまけの分析(「満足」か「喜び」か?)
ロキ:マリー後の部分において、日本語訳にはちょっとした訳の違いがありました。
望月訳は「大きな”満足”をもって申し上げましょう」、木村・亀山訳は「”喜んで”これにお答えしましょう」。望月訳においてはうかつな誤訳は決してなされないという確信があるので、この差が気になる。
ここで英訳はどうかというと、
定評あるP&V訳とマクダフ訳は”I’ll tell you (that) with great pleasure.”、
Garnett訳は”I shall be delighted to tell you that.”
“with pleasure”を露訳すると、”c удовольствие”(ス ウドヴォーリストヴィエ)。これ単体で「ええ、喜んで!」みたいにも使われる語です。
удовольствиеは、露日辞書では「①喜び・満足、②娯楽・楽しみ」。満足も喜びもどっちもあった!
というわけで、きっと正解は”c удовольствие”なのでしょう。
この語なら、邦訳は「喜び」「満足」のどちらでもよいのですが、「私は満足しています」とか「私は喜んでいます」とかではなく、「ええ喜んで!積極的に言わせてください!」というふうなニュアンスなんだな、と理解しました。
“with pleasure”なら当たり前にそういう意味とわかるので、日本語への訳が言語的にいかに苦しいかが窺われます。
結論 『白痴』(The Idiot)をどの翻訳で読むべきか
ヒデ:ここまで、3つのテーマに基づき、『白痴』をどの翻訳で読むべきか検討してきました。
ロシア語原文を読むことができない人がドストエフスキーを読む場合、英語訳で読むべきことがお判りいただけたのではないでしょうか。
さらに、英語訳といっても、各翻訳者の個性や意図により、相当に表現が異なり、そのなかで、P&V訳がいかに優れた翻訳であるかについて、その優秀さの一端を垣間見ていただけたと思います。
これから『白痴』を読もうという皆様は、
P&Vによる英語訳で読むか、
どうしても日本語訳で読むのであれば、望月哲男訳で読む
ことを強くお薦めします。
『白痴』英語訳・日本語訳徹底比較の記事はいったんこれで完結です。
これまでの3つの記事では、『白痴』未読の皆様に向けて、ネタバレをしないように検討してきました。それでもこれだけ、翻訳による力量差が表れるのです。
ただ、『白痴』には、ストーリーの本筋にかかわる、もっともっと面白く衝撃的な場面が多数あります。
そういった部分の英語訳の比較はいずれ、『白痴』英語訳比較読書会を実施して検討していきたいと考えています。
ご期待ください。
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