ドストエフスキー英語訳比較読書会 Introduction 2―どの英語訳を読むべきか

読書会

オリジナルに対する複数の英語訳

ドストエフスキーの小説を英語訳で読むのが大好き、ヒデです。

2025年6月にスタートした、ドストエフスキー英語訳比較読書会ですが、2025年12月には『罪と罰』英語訳(Crime and Punishment )についての検討を終え、2026年4月現在は、『悪霊』の英語訳(Demons)の検討が進行中です。

このブログではこれまでになされた議論を順次整理し、ドストエフスキー作品を英語で読む楽しさを紹介していけたらと思っています。

前回の記事では、ドストエフスキー英語訳比較読書会の最初のメンバーであるコウキ君の紹介と、ドストエフスキー作品を英語訳で読む意義の説明をしました。

この読書会は、複数の英語訳を比較することに最大の特徴があります。

ロシア語で書かれた、ドストエフスキーのオリジナルテキストをもとに、翻訳者が異なることによって、英語訳がどう異なるかを比較し、それを通じてドストエフスキーの思想に迫ろうという試みです。

まずは、『罪と罰(Crime and Punishment)』 の具体的な議論を紹介していきたいと思いますが、その前に、この記事では、僕とコウキ君とが読んでいる英語訳の特徴と、それぞれがなぜその英語訳を読むことにしたのかを紹介していきたいと思います。

各自が読んでいるドストエフスキー英語訳の紹介

僕が読んでいる英語訳は、次のとおりです。

  • 『罪と罰』 Crime and Punishment translated by Richard Pevear and Larissa Volokhonsky(ヴィンテージクラシックス)https://amzn.to/41rAuJc
  • 『悪霊』 Demons translated by Richard Pevear and Larissa Volokhonsky(ヴィンテージクラシックス)https://amzn.to/3PVp2mI

コウキ君が読んでいる英語訳は、次のとおりです。

  • 『罪と罰』 Crime and Punishment translated by David McDuff (ペンギンクラシックス)https://amzn.to/4dDq3tl
  • 『悪霊』 Demons translated by Robert A. Maguire(ペンギンクラシックス)https://amzn.to/41HAfdj

僕が『罪と罰』『悪霊』いずれも、Richard Pevear and Larissa Volokhonsky(P&V)訳を読んでいるのに対し、コウキ君はいずれもペンギンクラシックスから、David McDuff(マクダフ)訳による『罪と罰』、Robert A. Maguire(マグワイア)訳による『悪霊』を読んでいます。

なぜ、僕とコウキ君が、このような英語訳の選択になったのか、これを説明するため、僕の読書仲間であるロキさんにも登場してもらいます。

新メンバー ロキ 紹介

僕は、2020年頃から英語でしか読書をしなくなってしまいましたが、それ以前は、日本語で読書をしており、日本語の読書量も相当だったと自負しています。

ロキさんは、僕が日本語で読書していたころからの、長年の読書友達です。

以下、ロキさんについて簡単に紹介。

ロキ:女性。ヒデの同業者であり、長年の読書友達。ヒデを親しみと若干の蔑みをこめて「ヘンタイ」と呼んでいる。いつも読書の話が盛り上がりすぎて、腐れ縁を断ち切れない。

芸術家気質。日本舞踊をたしなむ。趣味の域を超えた本気の演劇活動において舞台女優として活躍中(本業は大丈夫か?)。ヒデのよく知る有志の小規模演劇集団では多数の脚本を手がける。

ヒデと同じく、ドストエフスキーやトルストイといった重厚なロシア文学を好む。英語が読めないわけではないが、ヒデがいくら勧めても英語では読もうとせず、かたくなに日本語訳を読む。

ドストエフスキー英語訳比較読書会には、2026年1月から実施されている『悪霊』( Demons )の検討から、3つの日本語訳を携えて参戦。

源氏物語も愛好。源氏物語英語訳読書会には2025年4月実施の第2回より、原文、谷崎潤一郎現代日本語訳、林望現代日本語訳を携えて参戦。

(ロキさんが第2回から参加する源氏物語英語訳読書会はこちら。)

ロキが参戦して以後、ヒデは、ロキの参加する読書会について「英語の読書会なのか?」と若干疑問を感じているものの、あくまで日本語は参考にとどめ、英語をメインに進行しようしている。

ただ、議論が盛り上がりすぎて、もはや何語の読書会なのかわからなくなっている。

コウキ君からの相談 英語訳はどれでもいい?

2025年6月、この読書会が始まる前、『罪と罰』の英語訳を読み始めようとしていた大学生のコウキ君から相談されました。

コウキ:ドストエフスキーの『罪と罰』を英語訳で読もうと思っているのですが、どの英語訳を読んだ方がいいとかありますか?それともどれでもいいのでしょうか?自分にとっては英語で読む初めての本格的な文学作品なのですが。

ヒデ:もちろん、どれでもいいなどということはありません。世界文学の最高峰の一角を占める作品なわけで、これから相当の時間をかけて楽しむのですからぜひ、ぜひ、慎重に、自分にあった英語訳を選んでもらいたいところです。

コウキ:インターネット上で検索すると、無料で読めるConstance Garnett による英語訳を見かけますが、これはいかがでしょうか。

ヒデ:Garnett 訳はお勧めしません。

Garnett は英語圏に最初にドストエフスキーやトルストイといったロシア文学を紹介した翻訳者で、その翻訳は長らく英語圏で愛好されてきたそうです。

19世紀の翻訳であり、既にパブリックドメイン化しているので無料で読むことができますし、その英文には確かに、19世紀イギリス文学を彷彿とさせる美しい面もあります。

ただ、英語が古いのと意訳が多すぎることで、ドストエフスキーやトルストイのニュアンスが失われ、あたかも Garnett の作品であるように感じてしまいます。

僕は、Garnett の英文を読んだ際、どこかシャーロット・ブロンテやジェーン・オースティンの雰囲気を感じてしまいました。

これに対し、P&V は、ロシア語を解する英語詩人と英語を解するロシア人神学者の夫婦であり、ドストエフスキー、トルストイの英語訳というジャンルでは最強のカップルです。

ロシア語を解する英語話者や、英語を解するロシア語話者から、ロシア語のニュアンスがものすごく良く反映されているとのもっぱらの評判です。

また、マクダフ訳『罪と罰』 や、マグワイア訳『悪霊』は、いずれもペンギンクラシックスに収録されています。

ペンギンクラシックスは、英語圏で安定した評価を得ている古典シリーズで、日本でいうところの岩波文庫のような立ち位置でしょうか。

ペンギンクラシックスシリーズは、英語圏で古典をわかりやすい英語訳で伝えるシリーズとして定評があり、実際に翻訳を比較すると、そのわかりやすい英語表現が際立ちます。

この点、僕とロキさんとは、以前に四大小説の一つ『白痴』(The Idiot)について翻訳を比較した議論をしたことがあり、どの英語訳を読むとよいか判断の参考になると思いますので、紹介します。

具体例:ヒデとロキの『白痴』翻訳比較から「驢馬」のエピソード

ときはさかのぼり、僕がコウキ君とドストエフスキー英語訳比較読書会を立ち上げるちょうど1年前の2024年6月頃、僕は、『白痴』の英語訳 The Idiot (P&V訳)を読了し、興奮気味にロキさんと議論していました。

以下は、その時の議論の一部です。どの翻訳を読むべきか検討するのに参考になると思いますので紹介します。なお、『白痴』についてネタバレはしないので安心してください。

『白痴』の前半、主人公ミシュキン公爵が、エパンチン家における朝食後に、エパンチンの美しい三姉妹とその母親と歓談している際、ミシュキン公爵がスイスで驢馬を見て元気になったというエピソードを披露する場面。

ミシュキン公爵のセリフに対し、三姉妹の母であるエパンチン婦人が応答する場面。ミシュキン公爵の純真な話しぶりに三姉妹はクスクス笑っている。

なお、僕は、エパンチン三姉妹の2番目、絶世の美少女アグラーヤ・エパンチンを愛している。

ロキ:私は、『白痴』について3つの日本語訳を並行して読みました。

驢馬について日本語訳がどうにも腑に落ちない。まずは、次の3つの日本語訳をみて欲しい。

木村訳

「私はあくまで驢馬(ろば)の味方です。驢馬(ばか)は善良で有益な人間ですからね」

「じゃ公爵、あなたは善良な人間ですか?」

木村訳では、このフリガナによって、続く質問が図らずも「あなたはバカ者ですか」という皮肉になってしまっている面白さを端的に示している。

原文ロシア語「осел」=驢馬、バカ

ヨーロッパ語圏ではわりとポピュラーかもしれないが、日本語だとロバ=バカに直結しないところ、ロシア語の「осел」には、驢馬という意味のほか、バカという意味もあって、ここは掛詞になっている。

そのため、ふりがなによって、驢馬の話の間中、娘たちがずっとクスクス笑いを続けているということがわかりやすく示されているので良訳と感じる。

望月訳

「だってロバは気が優しくて役に立つ生き物ですから」

「じゃあ公爵、あなたは優しい方?」

驢馬=馬鹿は当然の前提として、「公爵自身は純粋にロバの話をしています」的な雰囲気を出す訳なのだろうか?穏当な会話になっている一方、幾分面白みに欠ける応答になってしまっており、娘たちのクスクス笑いとうまく整合しない気がする。

亀山訳

「ロバって、根が優しくて役に立つ人間のことですから」

「それじゃあ、あなたは優しい人ですの、公爵?」

唐突に出てくる「人間」。「ロバ」って「人間」ではまったく意味が分からない。たぶん原語がそうなんだろうけど、だったら木村訳のようにロバ=バカと書いてほしかったところ、非常にテキトーな訳をしているように感じられる。

この点について英語訳はどうなっているのか、教えて、ヒデ。

ヒデ:ロキさん、大変興味深いご指摘ありがとうございます。

『白痴』の筋としても大事な内容だと思います。ミシュキン公爵とエパンチン母娘、特に、僕の愛する絶世の美少女アグラーヤ・エパンチン(三姉妹の2番目)の個性が浮き彫りになる場面につながっていくとても重要な個所だと思うのです。

以下、驢馬に関するご指摘について、3つの英語訳をもとに僕の考えをまとめたいと思います。

3つの訳の該当箇所を引用します。

Constance Garnett 訳(1913年)

“I should have done the same in their place. But still I stand up for the ass; the ass is a good-natured and useful creature.”

“And are you good-natured, prince? I ask from curiosity,” inquired Madame Epanchin.

P&V訳(2002年)

“In their place I wouldn’t have missed the chance either. But all the same I stand up for the ass: an ass is a kind and useful fellow.”

“And are you kind, Prince? I ask out of curiosity,” Mrs. Epanchin asked.

マクダフ訳(2004年)

‘If I’d been in their place I wouldn’t have let the opportunity slip either. I’m still on the donkey’s side though: the donkey is a good-hearted and useful fellow.’

‘And are you good-hearted, Prince? I ask out of curiosity,’ the general’s wife inquired.

そのうえで、驢馬に対応する訳語は、Garnett とP&Vがassを、マクダフがdonkeyを用いていました。

しかし、ここでの訳語は ass 一択だと思います。

驢馬と言われたときに、まず思いつく英単語は donkey です。しかし、少しググればわかりますが、驢馬を ass と呼称することもまた一般的です。

したがって、donkey も ass も驢馬の訳としてはどちらも自然といえると考えます。

しかし、ここで、「馬鹿な人間」や「くそやろう」という意味を掛けることで面白さを出すとなると、明らかに ass が適切です。donkey にも同様の「馬鹿、間抜け」といった意味があるようですが、スラングとしての定着度・頻度からすると ass が圧倒的に自然と思います。自然でなければ自然な笑いが起きませんよね。

マクダフ訳はdonkey, good-heartedなど、非常にわかりやすい単語を選択しており、ペンギンクラシックスらしい、しっかりとした説明がなされた翻訳といえると思います。

しかしちょっと上品すぎて面白くない。

ass  には、「ケツ」といった下品な意味もあります。

しかも、英語圏ではその意味があるとわかっていながら、結構な頻度で会話に登場します。ちゃんとしたプレゼンでも ass という言葉を使い、笑いを誘ったりするのです。

ミシュキン公爵が「ケツ」について真面目に話ているのをきいて思わずアグラーヤが笑ってしまったと想像するとすごく良くないですか?

次に、ミシュキン公爵が驢馬を評したセリフですが、P&Vの an ass is a kind and useful fellow がダントツにいいです。ミシュキン公爵はあくまで「驢馬」について話をしているのに、エパンチン夫人がこれを「人間」と受け止めることで、面白くなり、アグラーヤたちの笑いにつながると思うのです。

そうすると、kind や fellow は動物としての「驢馬」を評するのにそれほど不自然でない感じがしますし、人間に対する表現としてももちろん自然です。

一方、Garnett 訳における creature は動物に寄り過ぎていますし、McDuff 訳における good-hearted は人間側に寄り過ぎていて、ミシュキン公爵が驢馬の話をしつつ、エパンチン夫人が人間としての話を続ける流れにとって不自然ですし、面白みに欠けて、アグラーヤたちの笑いが不自然になってしまいます。

以上から、P&V訳はお見事!と思いますし、ロシア語のニュアンスがおそらく相当しっかり伝わっていると思います。

これに対し、ロキさんご指摘の日本語訳はいずれも苦しいですね。そのなかでも、木村訳における日本語としての驢馬にない意味を何とか説明しようとする努力はかいますが、今一つです。驢馬に「バカ」というふり仮名は日本語として不自然ですよね。

望月訳は日本語として自然であるうえ、ややニュアンスが近づいていますが、「バカ者」という含意が読み取れず、エパンチン夫人の問いの面白さが伝わってきません。笑いどころがわからくなっていると言っていいと思います。

そして、亀山訳は論外です。酷いですね。日本語として破綻していますし、原文が有するこの部分の面白さを伝える努力を放棄したようにしか見えません。

そして、僕にとっては、やっぱりassを用いた英語訳が最高です!

アグラーヤがミシュキン公爵のセリフから「ケツ」を思い浮かべながら笑いを発したシーンが最高ではありませんか。だって、そういった下ネタチックなことを思い浮かべて思わず笑ったアグラーヤって、ものすごくいとおしくないですか?

驢馬の話の中に「ケツ」のニュアンスを感じられないのであれば翻訳としての意味がないと考えます(もはや原文のロシア語に「ケツ」のニュアンスがあるかどうかは問題ではありません)。

したがって、僕は、やはり、ドストエフスキーは英語訳を読むべきであり、P&Vがダントツと考えます。

ロキ:驢馬をassと訳すことが自然であることについては私も少し調べてヒデと同じ結論に至ったけど、fellowやkindといった別の箇所の単語のチョイスの絶妙さに関する考察には脱帽です。

しかし!ass=ケツのくだりは大いに異議がある。ロシア語のоселに「ケツ」という意味はない!

ヒデ:え……、ないの!?

ロキ:日本語訳は、望月訳をベースにしつつ、注釈で「ロシア語の驢馬という単語には、馬鹿という意味もある」と書いてくれたらベストでした。

まとめ コウキ君の選択と次回予告

ヒデ:どうですか、コウキ君、ロキさんと僕の議論は、どの英語訳を読むか考えるうえで参考になったのではないでしょうか。

コウキ:ヒデさんのアグラーヤ・エパンチンに対する愛にはドン引きでした……。

それでも、ドストエフスキーを日本語訳ではなく、英語訳で読むべき意味は再確認できたと思います。

自分は大学生であり、わかりやすい英語を読みたいので、ペンギンクラシックス版を読みたいと思います。

ヒデ:そうですか……、まあ、僕がP&Vを読むから、コウキ君には違うのを読んでもらうのがちょうどいいですね。

こうして、ドストエフスキー英語訳比較読書会は、『罪と罰』を最初の検討課題にして、

ヒデがP&V訳(ヴィンテージクラシックス)https://amzn.to/41rAuJc

コウキ君がマクダフ訳(ペンギンクラシックス)https://amzn.to/4dDq3tl

を読んでそれぞれの英語訳を比較することになりました。

導入が長くなりましたが、次回、いよいよ『罪と罰』の具体的な内容の検討に入っていきます。

『罪と罰』の面白さ、面白く読むための着眼点、英語で読み進めるコツを紹介していきます。

文豪ストレイドッグス(文スト)でドストエフスキーに興味をもった皆さん、ぜひ、一緒に、英語を通じて、ドストエフスキーの魅力の神髄に触れましょう。

ドストエフスキー作品が世界文学の最高峰に君臨する理由の一端がわかるはずです。

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