英語とフランス語の読書が大好き、ヒデです。
僕とヒナさんが読んでいるは、デニス・ウォッシュバーンによる『源氏物語』英語訳。
The Tale of Genji translated by Dennis Washburn
今回から、2025年6月に実施された第4回源氏物語英語訳読書会の議論を紹介していきます。

前回紹介した、第30帖「藤袴」。
玉鬘をめぐる恋愛戦線の最終盤、だれが勝利するのか。
源氏の異母弟にあたる蛍兵部卿が有力視されていました。
今回の記事では、
第31帖「真木柱」Chapter 31 Makibashira: A Beloved Pillar of Cypress
の議論を紹介します。
いよいよ玉鬘十帖の最終章。
混迷を極めた玉鬘をめぐる恋愛戦線とその背後にある権力闘争。
その収束を読み解くことは、それぞれに源氏物語を深く読み込んでいる僕、ヒナさん、ロキさんをもってしても一筋縄でいくものではありませんでした。
玉鬘十帖の混迷
玉鬘十帖における状況は混迷を極めています。
僕は、The Tale of Genji 初読時、これに対し、一読で説得的な解釈を示すのは容易ではないと感じていました。
しかし、何度もウォッシュバーン源氏物語を読み返し、ヒナさん、ロキさんという、源氏物語を深く愛好するお二人との議論を重ね、これを丁寧に読み解いていくと、各帖が、源氏物語という壮大で統一的な物語のなかで、必然性を持った位置づけを有しているように見えてくるから不思議です。
以下、第31帖「真木柱」の議論を通じて見えてきた玉鬘十帖の実態を整理していきます。
第31帖「真木柱」Chapter 31 Makibashira: A Beloved Pillar of Cypress あらすじ
源氏37歳の年の11月から38歳の年の11月まで。玉鬘は23歳から24歳になる。
玉鬘をめぐる恋愛戦線は鬚黒の勝利に終わった。玉鬘をものにしたのは、なんと、鬚黒。
しかし、玉鬘は、蛍兵部卿の風情を思い出しつつ鬚黒を不快に思う。
源氏は、鬚黒の勝利を苦々しく思う。
一方、玉鬘の実父頭中将はこの結果を好ましく思う。
鬚黒は六条院にいる玉鬘を自邸に引き取りたいと思うものの、源氏が難色を示す。源氏は玉鬘の尚侍(ないしのかみ)参内を進めていた。鬚黒は、参内の機会に玉鬘を自邸に移そうと考える。
鬚黒には北の方という妻があった。その父は式部卿宮(紫の上の父。ただし紫の上・源氏とは敵対的)。
北の方には物の怪の病が付いている。
玉鬘をものにした鬚黒は有頂天であり、北の方をないがしろにし、玉鬘を訪れようとする。
ある夜、激高した北の方は香炉の灰を鬚黒に浴びせかける。
北の方に仕える木工君(もくのきみ)などは鬚黒を説得し、玉鬘を訪ねようとする鬚黒を制止しようとするが鬚黒は聞く耳を持たない。
鬚黒と北の方の間には三人の子がおり、一番上が姫君(12~13歳)、2番目が男子10歳、3番目も男子8歳。
鬚黒が玉鬘を訪れている間に、北の方は鬚黒邸を去り、父式部卿宮のもとに身を寄せることにする。
姫君は父鬚黒に別れを告げようと待つが、鬚黒は現れない。
姫君は生来なじんできた寝殿東面の柱に名残を惜しみ、鬚黒に宛てた和歌を書いた紙を柱の割れ目に押し込む(「真木柱」の由縁)。
北の方が父式部卿宮邸に戻ると、その母大北の方は源氏の悪口をまくし立てる。
驚き自邸に戻った鬚黒は、柱に挟まれていた姫君の和歌に涙。式部卿宮邸を訪問。姫君には会えない。鬚黒は二人の男子を連れて自邸に戻る。
年明け、玉鬘が尚侍(ないしのかみ)として参内。
冷泉帝は玉鬘に近づき、玉鬘への未練を隠さない。
鬚黒は玉鬘と冷泉帝の関係を不安に思い、玉鬘を自邸に移す。
2月、玉鬘のもとには冷泉帝や源氏から手紙が届く。玉鬘は源氏を懐かしむ一方、冷泉帝には冷淡。
北の方の病状はますます悪化する一方、鬚黒は姫君との対面を果たせないまま時が過ぎる。
11月、玉鬘が鬚黒の子(男児)を出産。鬚黒の喜びは尋常ではない。
玉鬘の異母兄柏木は、玉鬘が生んだのが帝の子であればと嘆く。
最後になぜか登場した近江の君が夕霧にあしらわれる。
ヒデによる検討
ヒデの出発点:あまりにも唐突な鬚黒の勝利はおかしい
ヒデ:「真木柱」冒頭では、玉鬘をめぐる恋愛戦線が、鬚黒の勝利に終わったことが突如として告げられます。
あまりにも唐突で、おかしいです。
しかも、この勝利は、時の権力者源氏のお膝元、六条院で達成されているのです。
ということは……。
当然、その背景には、直接語られていない源氏の悪逆非道が潜んでいるはずです。
源氏の意図に反して、六条院において、鬚黒が予想外の勝利を得ることなど出来るはずがないのです。
また、これは、僕の独断と偏見ですが、源氏物語は、全体的に、源氏の悪行が露骨になるタイミングで語りがトーンダウンすると感じています。
「真木柱」冒頭、玉鬘の恋愛に決着をつけるという決定的シーンで、紫式部の説明が明らかにトーンダウンしています。
これは何か源氏の悪だくみがあったはずです。
そこで、僕は、なぜ鬚黒が玉鬘をものにすることができたのか。
源氏は何を画策していたのか。以下、検討を進めます。
ヒデの検討ベース:源氏の一貫した方針
ヒデ:これまで、源氏は、頭中将の娘である玉鬘が冷泉帝(時の帝)の御子を生むことを防ぐという一貫した方針に基づいて行動していることが明らかでした。
玉鬘と冷泉帝との間に子が生まれれば、頭中将の孫となり、その権力にとって重要な足がかりになるのです。
ヒデ:黒幕源氏と、翻弄された玉鬘と考えると自然
「真木柱」冒頭の源氏の発言を見てください。
“The situation will be most awkward once His Majesty hears about this. So, for the time being, I’d rather you not say a word to anyone.” Genji admonished the staff at his Rokujō estate, swearing them to silence, though it was highly unlikely that the Major Captain would feel the need to keep quiet about the affair.
源氏は、鬚黒(the Major Captain)が玉鬘をものにしたことを伏せておくよう、六条院のスタッフに厳命しています。
真犯人源氏が、周りに口止めしていると考えると自然です。
これが玉鬘にとって如何に不本意かつ不意の出来事であったかについては、上の引用部分の直後、次の表現を見てください。
Several days had passed since his successful conquest of Tamakazura, but she gave no indication that she was ready to warm to him even a little or to come out of the funk she was in, utterly lost in sad contemplation of her strange, uncertain destiny.
ヒナ:his successful conquest(鬚黒の玉鬘征服の成功)とは、また、強烈な表現ですね。これが玉鬘にとって意に反する男女関係であったことをわかりやすく表現しすぎていませんか?
ヒデ:ウォッシュバーンのこういうところが僕は好きです。
ヒナさんご指摘のとおり、玉鬘は自分が鬚黒に関係されるなどとはまったく思っていなかったことがこの表現からは明らかです。
次に源氏の反応です。さらに、上の引用の直後から引用します。
Genji was disappointed and vexed, but there was nothing he could do now that the Major Captain had initiated sexual intimacies with her.
自ら画策したこととはいえ、苦々しく思っている源氏と考えると自然です。
それにしても、表現が露骨でわかりやすいですね!
一方、冷泉帝が玉鬘の入内を待ち望んでいたことは次の発言から明らかです。冷泉帝も玉鬘との男女関係を待ち望んでいたのです。
“I’m disappointed,” he said, “since I had hoped she would be my Principle Handmaid, but she was destined to be with someone else. Even so, I wonder if she might still consider serving here, so long as her duties did not involve anything of an intimate nature?”
源氏としては当然、冷泉帝の希望をわかっていて阻止したのです。
ところが、玉鬘の実父頭中将だけは、安心しています。
Tō no Chūjō privately expressed relief at this turn of events.
鬚黒がまじめで評判のいい有力貴族だったからだとは思います。
しかし、本来であれば、自分の娘が冷泉帝の御子を生むチャンスがあったのです。
本来はがっかりする場面です。
それにもかかわらず、安心しているのです。
背後に何かなければおかしいです。
翻弄された玉鬘の絶望の深さは次のとおりです。
Tamakazura’s naturally lively, cheerful disposition receded as she fell into a severe depression.
一方、源氏はお気楽なもので、紫の上に対し、
He even chided Murasaki. “There, you see … and you suspected me!”
「ほらみて、あなたは私のことを疑っていたよね」などとからかっているのです。
源氏の態度はあまりにも白々しいと思います。鬚黒が玉鬘をものにしたのは不愉快だけれども、真の目的は達成されたという心の余裕がこうしたお気楽な態度を可能にしていると考えます。
玉鬘と鬚黒の結婚により、紫の上の源氏に対する疑いが晴れたというのは、源氏にとってはこのたくらみの副次的効果だったと思われます。
ヒデの視点:源氏が玉鬘の相手として選んだ鬚黒
まず、前提として、髭黒がどのような男だったか
玉鬘をものにした後、鬚黒は、玉鬘と他の男(源氏や冷泉帝)との関係を心配して思い悩みますが、その鬚黒に対する評がこれです。
–behavior he was not accustomed to, having always acted so forthright–
forthright は「まっすぐで誠実で真面目」と言うような意味合いの英単語です。
鬚黒は本来真面目な男だったのです。
鬚黒が恋愛競争に巻き込まれ、慣れない男女問題について思い悩んでいるのです。
髭黒が玉鬘をものにしたことにより、髭黒の幸せな家庭は崩壊する
髭黒の第一夫人である北の方の様子がこれです。
However, an eerie malignant spirit, which proved stubbornly persistent, afflicted her, and she suffered spells off and on over the years during which she seemed possessed and no longer human.
no longer human (もはや人ではない)と評されるほどに思い苦しみ悩んでいる様子が見て取れます。
北の方の苦しみをよそに、鬚黒は玉鬘を訪れます。
北の方は、長女と長男・次男、三人の子を連れて、実家の式部卿宮邸に身を寄せようとします。
このとき長女の姫君が詠んだ歌がこれです。「真木柱」帖タイトルの由来です。
Though the time has come to leave you
O beloved pillar of cypress
I pray you will not forget me
(いまはとて宿離れぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな)
これに対する母北の方の返歌がこれです。
Though you may consider it precious now
This pillar of cypress beloved of you
That is no reason to stay behind here
(馴れきとは思ひ出づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ)
北の方は姫君に対し、慣れ親しんだ柱など、鬚黒邸にとどまる理由にはならないと断じます。
なかなかにひどい母親の態度ではないでしょうか。
もちろん原因は鬚黒にありますが、それを画策したのは源氏です。
鬚黒のような真面目なだけの男が自分だけの力で玉鬘をものにできたはずがないのです。

源氏の画策により崩壊した鬚黒の家庭。これが第31帖「真木柱」の主題。
源氏の画策により鬚黒が玉鬘をものにし、その副作用として鬚黒の家庭が崩壊した。
源氏の行いの邪悪さとそれによる善良な男の家庭崩壊を「真木柱」帖の主題とすると、「真木柱」帖において鬚黒とその家族の描写が中心であることはごく自然だと思えるようになってきます。
北の方が父式部卿宮(Prince Hyobu)のもとに身を寄せた後、その妻であり北の方の母である、大北の方による次の発言は源氏の行いをうまく表現してます。
So he holds court and makes a big fuss over her to draw in an upright gentleman, someone who isn’t likely to do anything wanton, to take her as a wife. He’s spiteful and cruel!
これまで、誠実な紳士であった鬚黒をこのような男女問題に巻き込んだ時の権力者源氏に対する嫌悪感が的確に示されています。
僕もまったく同感です。
「真木柱」のラスト柏木の発言が源氏の企てを暗示している
「真木柱」帖のラストで、玉鬘は、髭黒の子である男の子を出産します。
鬚黒の喜びはひとかたならぬものでした。
これに対する、頭中将の長男、柏木の一言が、この帖で語られている内容の真意を暗示しています。
“His Majesty is always lamenting the fact that he doesn’t have a son. Had she given him a prince, it would have brought great glory to our house.”
源氏の思惑通り、
玉鬘を帝の子を産むことを阻止できた、
頭中将の藤原家が権力を握ることを阻止できた、
ということが、柏木の嘆きから読み取れるのです。
「真木柱」ラスト近江の君への言及も源氏の企みを暗示している
「真木柱」、最後の最後の場面で、突然紫式部は近江の君に言及します。
OH YES … before I forget, I have something to relate concerning the Palace Minister’s other daughter—the lady from Ōmi who had aspired to be Principal Handmaid.
玉鬘と同じ尚侍(ないしのかみ、Principal Handmaid)を熱望していた近江の君を引き合いに出しています。
僕は常々、近江の君を「源氏の頭中将に対する刺客」ととらえて読んでいるので、ここも、源氏の企みの一翼を担っていた近江の君を登場させることで、源氏の企てが成就したことを象徴しようとしたと思うんです。
そうすると、すごく統一感のある読解ができませんか?
ヒナ:いやいやいや、ですから、近江の君は、読者に、閑話休題、クスッとした笑いを届けるための滑稽な存在にすぎないと思います。近江の君を源氏の企ての根拠にするのはあまりにも極端です。
極論主義者にもほどがあります!
ロキ:だから、ヒデの、近江の君に関する解釈には根拠が乏しすぎるって、何回いわせるの!?
ヒナによるヒデへの賛同(ヒナ補足意見):玉鬘十帖は、孤独を埋めるための愛情と権力の狭間での葛藤の物語
ヒナ:ヒデの「鬚黒を仕込んだのが源氏である」との解釈は、極論主義者のさらに極地にある解釈と思えます。
しかしながら、ヒデが前提とする考え方には、不本意ながら、若干、私も共感できるところがあるように感じています。
ヒナ:ラストの柏木発言から感じたこと
柏木の発言は、
- 柏木の浅はかさ、
- 玉鬘はどう転がっても誰からも幸せと思われる結末にならなかったこと、
を強調しているように感じました。順番にみていきます。
1.柏木の浅はかさ:
頭中将の娘である玉鬘が冷泉帝の皇子を産むことは、諸刃の剣です。
玉鬘+玉鬘の子は藤原家と源氏の狭間にいるため、どちらの家からしても中途半端な存在です。
藤原vs源氏の権力闘争を複雑にするだけで、どちらにとってもいい結末が訪れるとは限らない。
源氏と頭中将はこの対局を理解して、結末を受け入れていたと思われる一方、柏木は大局を理解しておらず、その狭い了見が伺えるのです。
2. 玉鬘の不幸さ:
玉鬘が髭黒と結婚したことは、よくよく考えると悪くない結論のように思えます。
髭黒の北の方家からの怨恨はあるにせよ、
髭黒は身分も悪くなく真面目、
帝との寵愛争いにも加わらずにすむ、
源氏に言い寄られて浮き名を流すこともなくなる、
と、まずまずの相手であったように思われるのです。
しかし、柏木の発言により、髭黒の夫人北の方家以外にも、身内ですら玉鬘の転期に不満を持っているということがわかります。
これにより、結局どう転がっても玉鬘自身が「ハッピーエンド」を迎えることはなかったということが柏木発言により明確にされているように感じるのです。
ヒナが有していた2つの疑問
ヒナ:私が、「真木柱」帖で疑問に思うのは、
- なぜ唐突な始まり方なのか、
- なぜ玉鬘の相手が髭黒になったのか、
の2点です。この2点に対するヒデの説明に、実をいうと、私は、少なからず共感してしまっており、賛成しますが、ヒデの意見は言葉が強すぎるので、以下、私が補足意見を述べます。
1. なぜ唐突な始まり方なのか
先の話にはなりますが、第35帖「若菜・下」に柏木が女三の宮と関係を持つシーンの記述があります。
(ヒデ注:源氏物語中最も有名なシーンの一つ。源氏物語最大の帖である若菜におけるクライマックス中のクライマックス。当然、源氏物語ウォッシュバーン英語訳読書会でも、たいへんな議論がなされ、なんとこの1シーンだけで読書会を1回使ってしまった。読書会は1回で3時間以上に及び、普通の長さの帖であれば、1回の読書会で2~3帖は検討する。このブログでもいずれ紹介するのでご期待いただきたい。)
ですから、同じような感じで玉鬘の寝所に女房が髭黒を手引きしたシーンを真木柱の冒頭に記載することはできたはずです。
ではなぜ紫式部はそのシーンをカットしたのか。
まず、基本的に源氏物語は汚いシーンは書かないスタイルです。
これが、いわゆるすみれコード(「清く正しく美しく」ないことはしないというルール)です。
しかも、メインの読者層(中宮彰子、女房を中心とした女性向け)の意向を考えると、
「汚いおっさん(鬚黒)が玉鬘をものにするシーン」は描きたくなかったのではないかと推察されます。
もう少し文学的な理由としては、紫式部が、読者に、源氏や玉鬘の「突然の出来事に混乱した状態」を擬似体験させるという効果を狙ったのだと感じました。
2.なぜ玉鬘の相手が鬚黒になったのか
玉鬘の相手が髭黒でなかったらどうなっていたのか。
この点を考えるために、少しだけ、第30帖「藤袴」の夕霧と源氏の会話のシーンに戻ります。
(From Chapter 30 Mistflowers)
”You cannot go next month either”, Genji calculated, “and so that leaves the tenth month”
月立たば、なほ参りたまはむこと忌あるべし。十月ばかりに。
尚侍(ないしのかみ)として出仕はほぼ決定事項でした。
ここからは、源氏の「冷泉帝に尚侍として出仕させつつ、自分の愛人としてキープ 」という源氏の真意が伺えました。
しかし、源氏の抱いていた考えには問題点がありました。
まず、言うまでもなく、①世間体がダメです。冷泉帝に仕えている頭中将の娘を自分の愛人として囲う。ひどいですね。
次に、②尚侍(ないしのかみ)になるだけでは源氏の権力固めの駒としての力が弱いです。
すでに源氏は、秋好中宮という、「帝に寵愛されている中宮」を駒として持っています。その下位互換的な尚侍(しかも実子ではない)をゲットしても、源氏の権力基盤としては意味がないと思えるのです。
以上を前提にすると……
ヒナがヒデの意見に共感!?
ここにきて、玉鬘十帖が、源氏の「玉鬘への欲望」と「権力欲」とのせめぎあいの物語であるというヒデの意見に若干共感するところがでてきました。
私としては、ヒデほど極端な表現ではなく、
「孤独を埋めるための愛情と権力のはざまでの葛藤の物語」
と考えるに至っています。
これまで源氏は他人から否定されたことがほぼなく、ある意味で「ありのままの存在」として誰からも愛されてきました。
それでもなぜ源氏は孤独なのか?
権力に執着するのか?
と改めて考えてみたのですが、やはり根本には母親の死と臣籍降下があると考えました。
源氏の孤独の原因は、母親からのuncoditional loveが得られなかっとことだと思います。
源氏に向けられる好意は基本的に、「イケメンで、優秀で、皇子である」という、源氏の属性に対するものであり、源氏は源氏そのものとして愛された経験がなかった。
これが源氏が女性を求める drive になっていた。
一方で、源氏が権力に執着する理由は、
- 源氏が他者から肯定され続けるための条件として、地位・権力が必要だった、
- 「天皇になれないコンプレックス」を埋めるため、
だと考えます。
源氏にとっては高い地位を保つことが、自身のアイデンティティであり、他者から愛情や承認を得るための必要条件でした。
最高位である天皇にはなれないので、天皇になる以外の道で周囲を十分にimpressする地位を維持しなければならない。
より高みを目指さなければならない。
これが権力を求めるdriveになっていたのです。
玉鬘十帖では、(すべて源氏の無意識下のことかもしれませんが)源氏が孤独を埋めるための対象を、
玉鬘個人に求めるのか
vs
玉鬘を利用して自分の地位を高めることで得られる世間や他の女性からの愛に求めるのか、
という構図だったと解釈すると面白いなと思いました。
ヒナ:ヒデに賛成するのは源氏の陰謀があったというところまで
しかし、さすがに、鬚黒を仕込んだのも源氏というところまでは、ヒデに賛成できないです。
現状の冷泉帝後宮の問題点は、皇子がいないことです。
玉鬘を後宮に入れて使える駒とするには、冷泉帝の子を産むことが必須です。
一方で、玉鬘は血縁的には頭中将の娘(藤原家)であり源氏の政敵にあたります。
玉鬘が天皇の子を産んだ場合、必ずしも源氏にプラスに働くとは限らない。
とするとやはり、「冷泉帝に尚侍として出仕させつつ、源氏の手元に愛人としてキープ」が源氏の真意だったのではないかと思うのです。
これにより、世間体の問題はクリアできると思います。
そこそこな有力者と結婚させることで、藤原家が天皇の子を得る可能性も阻止でき、源氏の権力基盤強化の駒としての役割もクリアします。
さらに、玉鬘を都合の良い愛人としてキープすることも達成できます。
ただ、髭黒は源氏からするとかなり意図に反した相手だったように思います。
私は、玉鬘十帖が源氏の意図に反した結末となることで、源氏の英華の崩壊を暗示しているように感じられるのです。
ヒデ:玉鬘十帖における大枠について、ヒナさんに賛同してもらえたのはうれしいです!
ただ、鬚黒の捉え方は僕とヒナさんとで決定的に意見が分かれました。
大枠が一致しても、各自の自由な読み方により、細かな結論の違いが生じるのが面白いですね。
さて、ロキさんは、玉鬘十帖について僕やヒナさんとはまったく異なる意見をもっています。
ロキによる反対意見 すべては宿世(karmic destiny)により定められていた
ロキ:ヒデの源氏による陰謀論に、反対である。あまりにも本文上の根拠が乏しい。
ヒナさんが若干ヒデの意見に引き寄せられ、大枠で源氏の陰謀論に賛同してしまったことは、率直にいって、ショック。
たしかに、ヒデは言っていることはとんでもないのに妙な説得力をもっているからタチが悪い。
(ヒデによる「鬚黒が源氏の仕込みである」「近江の君が源氏の刺客である」などという解釈は、およそ読解としてもってのほか。ヒナさんがそこまでは賛成しなくてよかった……)
とはいえ、玉鬘十帖の解釈が困難であることは確か。
そこで、私が、あくまで本文から導かれる解釈として、合理的・常識的範囲内で説明を試みる。
以下、玉鬘恋愛レースで、ダークホース鬚黒が玉鬘をかっさらうという結論を紫式部があらかじめ定めて執筆を進めていたという前提で検討する。
ロキの結論
玉鬘十帖が、鬚黒の勝利などという、とんでもない結末になったのは、結局は「宿世」(前世から宿縁、英語では karmic bond, karmic destiny)のせいだと考える。
時の権力者である源氏や帝ですら、宿世には抗えない。
式部卿宮家が不幸になったのも宿世のせい。
宿世こそ最強。
また、「真木柱」帖において、鬚黒一家の描写が中心であることは、
妻子ある者が浮気すると家庭が崩壊する、
というみんな知ってる現実を、敢えてシンデレラストーリーの最終章において、臨場感たっぷりに書き、読者に現実を突きつけるという意味があったと思う。
ロキ 根拠箇所引用
ロキ:真木柱の帖には、「宿世」「契り」など、「前世からの宿縁」という趣旨の言葉が多数登場する。
他の帖との客観的比較はしていないが、読んでいる時に、「前世からの宿縁」的な言葉が多く出てくる印象を受けた。
①冒頭(髭黒が玉鬘を得る場面)
原文:
ほど経れど、いささかうちとけたる御けしきもなく、「思はずに憂き宿世なりけり」と、思ひ入りたまへるさまのたゆみなきを、「いみじうつらし」と思へど、おぼろけならぬ契りのほど、あはれにうれしく思ふ。
ウォッシュバーン英訳:
Several days had passed since his successful conquest of Tamakazura, but she gave no indication that she was ready to warm to him even a little or to come out of the funk she was in, utterly lost in sad contemplation of her strange, uncertain destiny. The Major Captain found her reaction hard to take, but he was also moved and overjoyed at the realization that their karmic bond had not been a tenuous one after all.
②玉鬘が鬚黒邸に移ったのちの二月。源氏の思い。
原文:
「宿世などいふもの、おろかならぬことなれど、わがあまりなる心にて、かく人やりならぬものは思ふぞかし」 と、起き臥し面影にぞ見えたまふ。
ウォッシュバーン訳:
A person’s karmic destiny may be unpredictable, but there was no denying that he had only himself―not the actions of another―to blame for what had happened. Whether he was awake or asleep, a vision of her was always in his mind.
③玉鬘が11月に鬚黒の男子を出産
原文:
その年の十一月に、いとをかしき稚児をさへ抱き出でたまへれば、大将も、思ふやうにめでたしと、もてかしづきたまふこと、限りなし。
そのほどのありさま、言はずとも思ひやりつべきことぞかし。
父大臣も、おのづから思ふやうなる御宿世と思したり。
ウォッシュバーン訳:
In the eleventh month of that year, Tamakazura gave birth to an exceptionally fine boy. The Major Captain, rejoicing that this was a sing of the good fortune for which he had been hoping, did absolutely everything in his power to look after the baby. …中略… Tō no Chūjō also rejoiced that his daughter’s destiny had unfolded as he hoped it would.
ロキの読み取った紫式部の主張
私は、基本的に、筆者の誘導に素直に乗って読む。
あくまで私の印象だが、紫式部が、これだけ「前世からの宿縁」を多用するからには、筆者は、この結末をもたらしたものは「前世からの宿縁」であると主張していると解釈した。
ヒデ:ロキさんの解釈は常に本文から読み取る内容に基づいており、論理的・合理的であって素晴らしいですね。
玉鬘十帖の複雑な混迷を運命論的に説明しようというものと感じ、もちろん大変説得てきだと感じています。
ヒデによる玉鬘十帖まとめ
これで、ついに玉鬘十帖の検討を終了しました。
本当に面白かった。
「性欲」よりも「権力欲」を優先させた源氏
僕とヒナさんの読み方によると、(鬚黒の立ち位置は一旦置いておき)源氏の「性欲」と「権力欲」のせめぎあいの物語として読むことができたからです。
最終的に「性欲」よりも「権力欲」を優先させた源氏のしたたかさ。
これにより源氏の権力がさらなる高みに至る下地が作られたと考えることができます。
しかし、そのために犠牲にした「性欲」の対象は類まれな女性、玉鬘でした。
失った「性欲」の大きさから、源氏の玉鬘十帖における心情の複雑性が形成されたと僕には読めるのです。
玉鬘をものにできなかったという「性欲」の面からの悔恨が源氏に影を落とすことになります。
これがのちに、第34帖「若菜・上」以後の女三宮をめぐる醜い源氏へつながると考えると非常に面白いです。
権力の頂点に達する直前の物語としての玉鬘十帖
加えて、源氏物語全体のなかで、玉鬘十帖をどう位置付けるかですが、権力の頂点に至る直前の権力闘争を裏から描いたと考えると僕の中で非常に座りがいいです。
源氏物語について、僕は、権力闘争を裏から―翻弄される姫君たちの視点から―描いた物語として理解できてきました。
男たちの宮廷における権力闘争を表の物語とすると、権力闘争に直接関わることができず、男たちに翻弄されるしかない姫君たちの視点からの男女関係は裏の物語と捉えることができます。
「若菜」以後、権力の頂点を極めた源氏は、「権力欲」という「性欲」へのタガが外れた状態であったといえます。
「権力欲」という歯止めを失い、全面的に「性欲」にはしった者の末路こそが女三宮をめぐる源氏の姿であると考えられるのです。
次回予告 第32帖「梅枝」予告
『源氏物語』のクライマックス、第34帖「若菜・上」、第35帖「若菜・下」。
玉鬘十帖が終わり、いよいよ「若菜」が迫ってきました。
しかし、その前に、源氏は、玉鬘十帖において、玉鬘という最高の女性に対する「性欲」を犠牲にして「権力欲」を満たそうとしたのです。
その結果、源氏が得た権力とは。
次回、第32帖「梅枝」Chapter 32 Umegae: A Branch of Plum
源氏が権力的に目的としていたことの第1段階が達成されることになります。
源氏の権力基盤がより強固になり、源氏の栄華は頂点を極めるかに見えます。
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