(AIが生成したイメージ画像を使用しています。)
英語とフランス語の読書が大好き、ヒデです。
僕と、ヒナさんが読んでいるは、デニス・ウォッシュバーンによる『源氏物語』英語訳。
The Tale of Genji translated by Dennis Washburn
今回紹介するのは、第30帖「藤袴」Chapter 30 Fujibakama: Mistflowers
前回に引き続き、2025年6月に実施された第3回源氏物語英語訳読書会の議論を紹介していきます。

前帖「行幸」では、源氏の突然の方針転換に、読書会メンバー全員が戸惑いました。
この方針転換が、周囲にどのような影響を与えるのか。
玉鬘十帖は、恋愛物語のように見えながら、その実態は「玉鬘という一人の女性を、周囲の有力者たちがどう処遇するか」という政治と欲望の物語でもあります。
メンバー紹介
ヒデ(僕):源氏物語を「権力と欲望」という視点から読み解く
男性。社会人。
学生時代は源氏物語に全く興味を抱かなかったが、社会人になり、デニス・ウォッシュバーン英語訳『源氏物語』を読んで初めてその面白さに気が付く。
源氏物語は、デニス・ウォッシュバーン英語訳しか読んでいないし、現代日本語訳を読む気もない(フランス語ではいずれ読みたいと思っている)。
常に下世話な観点から源氏物語を解釈しており、露骨な表現をオブラートに包んでしまう日本語では、源氏物語の面白さに気が付くことはできないと確信している(露骨な表現が、よりかっこよく、お洒落になるフランス語ではいったいどうなるのか、すごく気になっている)。
源氏物語英語訳は数あるものの、英語作品として絶対的に評価したとき、明らかにウォッシュバーンの訳がアーサー・ウェイリー(Arthur Waley )よりも 優れているにもかかわらず、日本人はウェイリー版しか知らず、ウォッシュバーン英語訳を読んでいる日本人が自分とヒナさんしかいないという状況に強い憂いを感じている。
イケメン、モテる男を敵視しており、源氏に対する極めて強い嫌悪感が読解の根底にあって、源氏に対する敵意に満ちた偏った解釈をしがち。
玉鬘十帖は、源氏の性欲と権力欲に基づく異様な行動に翻弄される玉鬘の様子が面白いと思っている。
「行幸」における源氏の突然の方針転換には当然裏があり、どす黒い権力欲に基づく打算があると考えている。
ヒナ:源氏物語を「孤独と儚さ」という視点から読み解く
女性。第3回読書会当時大学院生。
圧倒的英語力。英語での読書量は他の追随を許さない。
小学生時代に瀬戸内寂聴現代日本語訳を読んでいたという伝説をもつ。
『あさきゆめみし』や宝塚により形成された、清く正しく美しい『源氏物語』が根底にある。
デニス・ウォッシュバーン訳に加え原文も読んでいる。
源氏に極めて好意的。イケメンなら何をやっても許されるという観点から、源氏の行動について全力で善意解釈しようとする。
ヒデに誘われ、なかば強要されてデニス・ウォッシュバーン英語訳を読んだところ、源氏物語の英語による魅力を再発見するに至るが、英語の露骨な表現に喜ぶヒデに相当辟易している。
ヒデの示す源氏への憎悪に満ちた極端な解釈になかば呆れながら、ヒデを「極論主義者」と呼ぶ。
「行幸」帖にきて、源氏の突然の方針転換にとまどい、源氏に対する善意解釈に限界を感じつつあるものの、ヒデの示す下世話な解釈に正面から賛同するわけにはいかず、歯がゆい思いをしている。
ロキ:源氏物語を、従来型シンデレラストーリーへのアンチテーゼとして読み解く
女性。ヒデの同業者であり、長年の読書友達。
高校生時代より『源氏物語』を愛好。
漫画『あさきゆめみし』のイメージがベースにあるものの、テキストを客観的・論理的に分析することを好み、源氏の行動に対しては比較的中立的な立場から評価を加える。
特定の登場人物への肩入れをしない冷徹な視点による分析が特徴。
ヒナの示す情感豊かな美しい解釈に好意的である一方、ヒデの示す下世話な視点からの極端な解釈に対し、強い嫌悪感を示す。
ヒデを「ヘンタイ」と呼んで蔑む。
ヒデとヒナがいくら英語で議論を進めようとも、まったく動じることなく、的確に日本語で議論に介入し、論理的かつ説得的な解釈を導く。
原文、谷崎潤一郎訳、林望訳を携えて参戦(ヒデが、ウォッシュバーン英語訳を勧めれば勧めるほど、深く日本語での読解を進める)。
ヒナと同じく「行幸」における源氏の方針転換について、戸惑い、合理的な解釈を示すのに苦労しているが、決してヒデの示す下世話な解釈に同調することはない。
第31帖「藤袴」Chapter 30 Fujibakama: Mistflowers あらすじ
源氏37歳の年の8月と9月。
玉鬘は23歳、夕霧は16歳。
玉鬘は、源氏と頭中将という二人の有力者から宮中へ尚侍(ないしのかみ)出仕を推し進められているものの、母のいない自らの地位の不安定さを嘆く。
大宮(頭中将の母。玉鬘の祖母に当たる。夕霧から見ても母葵上の母として祖母に当たる)の喪に服する玉鬘のもとを、同じく喪に服する夕霧が訪れる。
夕霧はこれまで妹と思って恋愛の対象と考えていなかった玉鬘を、恋愛の対象と認識し、男女の関係を求めて「藤袴」の花(mistflowers)を御簾ごしに差し入れる。
玉鬘は夕霧の態度の変化に気分を害する。
夕霧は玉鬘のもとを辞去し、源氏と玉鬘の身の振り方の難しさについて語り合う。
一方、これまで玉鬘に言い寄っていた男の一人である、頭中将の長男柏木は、実兄として玉鬘のもとを訪れる。しかし、玉鬘は他人行儀な対応をする。
玉鬘をめぐる恋愛戦線は、源氏が事実上脱落、柏木が資格を失い、夕霧の参戦が遅れた一方、蛍兵部卿、鬚黒などによる恋文でのアプローチが激しさを増す。
このうち、玉鬘は蛍兵部卿にのみ返事をする。
当事者玉鬘の苦境
ヒデ:玉鬘は、その出自が明らかにされ、養父としての源氏と実父としての頭中将という2人の強力な後ろ盾を得たうえで出仕を進められています。
従前からロキさんが指摘しているとおり、これは一種のシンデレラ的ストーリーにも見えます。
しかし、ここまでの玉鬘の苦境、彼女が源氏の思惑に翻弄される様は、当事者としてとても喜べたものではないと推察されます。
次の表現を見てください。
玉鬘の苦境に関する印象的な描写です。
She had no mother, no female relative with whom she could talk and unburden her heart, or at the very least give some small hint of what she was going through. And it was of course impossible to discuss such matters with Genji or her father, who were so glorious and powerful that she felt small and daunted in their presence. Lost in melancholy thoughts about her strange fate, so unlike that of any other woman, she presented a stunningly beautiful sight as she sat on the edge of her veranda gazing up at the sad, lonely patterns of the autumnal sky of the eighth month.
ヒナ:玉鬘の「孤独」
この描写は、本当に胸が痛いです。
玉鬘の周囲には源氏・頭中将という非常に強力な男性の権力者がいます。
宮中にいる秋好中宮は源氏の養女ですし、弘徽殿の女御は頭中将の娘です。
六条院には源氏ゆかりの有力な姫君が多数います。
しかし、これだけ有力者が周りにいても、玉鬘にとって、
「安心して本音を話せる人」は一人もいない。
源氏にも相談できない。
頭中将にも相談できない。
そもそも、相談相手が「問題の原因」であり、問題の本質が異性の問題だからです。
私は、この場面で、恋愛よりも「孤独」が前面に出ているように感じます。
母親がいないことは以前から描かれていましたが、ウォッシュバーン訳では、
unburden her heart(「心の荷物を下ろす」)ことができる相手がいないことが強調されており、
玉鬘がどれほど精神的に追い詰められているかが非常にわかりやすく伝わるように感じます。
最後の、
gazing up at the sad, lonely patterns of the autumnal sky
はとても美しい表現ではないでしょうか。
八月の秋空を見上げるだけで、玉鬘の心まで見えてくるようです。
ロキ:「権力者の後ろ盾があっても安心できない」
ここで重要なのは、玉鬘が「権力者の後ろ盾を得ても安心できない女性」として描かれていることだと思う。
普通のシンデレラ・ストーリーなら、
「身分が上がった。幸せになった。」
というわかりやすい展開になるはず。
しかし源氏物語は違う。
地位が上がれば上がるほど、政治の中心に引きずり込まれていく。
しかも、その意思決定をするのは本人ではなく周囲の男たち。
玉鬘は、自分の人生を選べない。源氏の恣意に翻弄されるだけ。
だから私は、この十帖はシンデレラストーリーのアンチテーゼだと思っている。
ヒデ:玉鬘十帖も終盤で、玉鬘にとって、宮中出仕は、一見華々しい出世に思えるエピソードです。
しかし、まったく本人にとって幸せそうでない。
ここに物語の奥深さを感じます。
夕霧(Genji’s son)の変化
ヒデ:姉弟の関係ではないとわかったことによる夕霧の態度の変化がこの帖のメインテーマです。
次の表現を見てください。
“I would like to say something to you that is not for the ears of others. May I do so?” His implication being clear, her women withdrew a short distance away, moving behind curtains further inside the quarters and averting their faces.
夕霧が男女の関係を求めて玉鬘に接近を試みていることが英語だと非常にわかりやすく表現されています。
このときの夕霧の贈答歌が本帖のタイトルにもなっています。
夕霧の玉鬘への贈答歌
Like mistflowers from the same dew-drenched filed
Our robes are damp from the same loss … please say
If only for show, that you pity me
(同じ野のつゆにやつるる藤袴あはれかけよかことばかりも)
玉鬘の夕霧に対する返歌
If it’s true that his dew comes from a distant field
Then these flowers’ light purple is merely for show
And does not tell the truth of our relationship
(尋ぬるにはるけき野辺の露ならば薄紫やかことならまし)
ヒナ:
ここで、夕霧は「同じ露に濡れた藤袴」として二人の近さを表現します。
それに対して玉鬘は、これを、
「私たちの関係について真実を述べていない」
として、即座に距離を置きます。
つまり、
「私たちは二人とも大宮の孫であり、私とあなたとはそういう関係じゃありません。」
ということです。
優雅なのに容赦がない。玉鬘らしい機知に富んだ返歌ですね。
ただ……
夕霧は、ちょっと浅はかですよね。
昨日まで妹扱いだった人に、急に恋人モードへ切り替えようとしている。
玉鬘が気分を害するのも当然だと思います。
ヒデ:
柏木を引き合いに出して迫る夕霧の厚かましさも面白いですね。
He may have had to give you up, but I envy and resent him now that he can at least be near you as your brother.
夕霧は、柏木の名前まで持ち出して食い下がろうとしているのです。
ロキ:まあ、当時、夕霧は16歳だったし仕方がないのではないだろうか。
それに、夕霧の態度は、源氏に比べて常識的です。
He departed with a sigh that expressed his pain.
ヒナ:ここが夕霧の良いところでもあります。
源氏なら、もう一押し二押ししてしまいそうですが(笑)。
夕霧は拒絶されると引き下がる。
少し物足りなく感じるくらいですが、その「物足りなさ」が健全さなんでしょうね。
私は源氏のような圧倒的カリスマと大胆な行動力に魅かれるので、夕霧のような普通の行動はイマイチと感じます。
ロキ:夕霧の行動は本当に普通ですね。源氏物語にあって、かえって新鮮です。
夕霧は恋愛経験が少ない青年らしい失敗。
アプローチに失敗したら相手の意思を尊重して帰る。
これは当たり前で、とても重要ですが、やっぱり普通です。
夕霧が引き下がった後、源氏と夕霧が玉鬘について語り合う
ヒデ:源氏と夕霧の玉鬘の処遇に関する会話は、状況の複雑性と、最適解を得ることの難しさを如実に示しています。
I must make sure that Tō no Chūjō understands that my intentions are honorable. Despite Genji’s efforts to present Tamakazura’s move to the palace openly and officially, Tō no Chūjō had cleverly surmised that the plan was ambiguous enough that Genji could still keep her for himself anyway.
会話の後の源氏の内面はその後の展開にとって、示唆に富んでいるように感じます。
権力闘争的側面からのバランスの難しさが含意されているように感じるのです。
柏木も源氏に比べれば常識的?
次に、玉鬘に言い寄っていた男の一人であった、頭中将の長男柏木も態度が変わります。
I myself am a man of no significance, but it is said that the bond between brother and sister is eternal and unbreakable … and, while it may sound old-fashioned of me, I hope you might trust me as your brother.
ヒナ:柏木は、恋人になれないと分かったら、
「兄として支えたい。」
という立場へ切り替えています。
常識的な対応に感じますが、源氏と比較するとやはり物足りない、つまらないと感じてしまいます。
源氏ばかり見ていると感覚がおかしくなりますね(笑)。
「藤袴」ラスト、蛍兵部卿にのみ返事をした玉鬘の思い
ヒデ:玉鬘をめぐる恋愛戦線も大詰めを迎えてきました。
多数の恋文のうち、玉鬘は、蛍兵部卿にのみ返事をします。
ここには玉鬘のどういう意図があったのでしょうか。
For some odd reason, Tamakazura decided to reply―and briefly at that―to Prince Sochinomiya alone:
ヒナ:普通に考えて蛍兵部卿が有力です。
少なくとも現時点では、最も安心できる夫候補だったのではないでしょうか。
派手さはありませんが、皇族、すなわち「宮」です。
玉鬘自身が主体的に意思表示をしたと思います。
ロキ:私も、その点は重要だと思う。
これまで玉鬘は、周囲の男性たちに翻弄されるだけの立場だった。
しかし最後に蛍兵部卿へだけ返事を書くことで、初めて玉鬘自身が主体的に選んだと言えそう。
もちろん自由な恋愛とは程遠いけども。
恋愛戦線最終盤状況整理
ヒデ:玉鬘をめぐる恋愛戦線が大詰めを迎えてきました。状況を整理します。
源氏は玉鬘の出自を明らかにしつつその処遇を頭中将と合意し、事実上戦線を離脱。
柏木も実の兄であったことが発覚し資格を喪失。
夕霧は出遅れ。
一方で有力候補蛍兵部卿、鬚黒たちのアプローチは依然として粘り強い。
玉鬘をめぐる恋愛戦線の勝敗は?
まとめと次回第31帖「真木柱」予告
玉鬘の孤独、夕霧の変心、源氏と頭中将の政治的駆け引き、玉鬘をめぐる恋愛戦線が複雑に絡み合い、玉鬘十帖もいよいよ大詰めを迎えてきました。
そして、僕に、玉鬘十帖における、登場人物たちの繊細で複雑な心理の機微を気づかせてくれたのが、デニス・ウォッシュバーン英語訳です。
英語で読むと、人物の感情が輪郭を持ち、政治と恋愛が同じ舞台で動いていることが実によく分かります。
「源氏物語は古典だから難しい。」
そう思っている方ほど、一度ウォッシュバーン英語訳を手に取ってみてください。
日本語で何となく知っていた物語が、ドストエフスキーやトルストイといった名だたる世界文学に匹敵する心理小説として新たな光を放つようになるのです。
2025年6月に実施された、第3回ウォッシュバーン源氏物語英語訳読書会の記事はここまでです。
次回からは、2025年7月に実施された第4回ウォッシュバーン源氏物語英語訳読書会。
第4回では、第31帖「真木柱」、第32帖「梅枝」、第33帖「藤野裏葉」について議論されました。
まずは、第31帖「真木柱」。
玉鬘十帖の結末。
玉鬘をめぐり、これまで複雑に絡み合ってきた要素がどのような収束を迎えるのか。
ウォッシュバーン英語訳の美しく鋭い英語は、どのような物語の結末を僕たちに見せてくれるのか。
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