(AIで生成したイメージ画像を使用しています。)
【この記事には、Never Let Me Goの全面的なネタバレを含みます。絶対に本文で最後まで読み進めてから以下の記事はご覧ください。】
英語とフランス語の読書が大好き、ヒデです。
前回の記事では、Miss Emily により語られた、Hailsham の衝撃的な真実―The Fourth, Final, Impact―を検討しました。

これまで、Never Let Me Go の有する四つの衝撃的な場面について、スタイリッシュ英語読書会メンバーの、コウキ君、タク君、ヒナさんとともに、検討を深めてきました。
2025年2月から4月にかけて実施されたNever Let Me Go 読書会の議論を紹介する記事は、この記事で完結です。
すべての衝撃の先に待つ哀愁に満ちた展開。
ラストの結末を見届けた後に改めて冒頭から読み直すことにより見えてくる全く異なる景色。
Never Let Me Go は間違いなく、現代英語文学を代表する傑作です。
カズオ・イシグロは、本作を通じ、人類がこれまでに経験したことのない全く新しい視点から、誰も経験したことのない悲哀を我々に体験させることに成功しています。
しかも、それが恐ろしく簡単で、しかし、極めて美しい英文によって実現されているのです。
これを英語原文で読むことは、僕たちの有する、世界、社会、常識に対する認識を大いに揺さぶることは間違いありません。
そして、僕は、Never Let Me Go の真に優れている点は、ラストから冒頭へのつながりの見事さにあると考えています。
The Fourth Impact から第23章のラストにかけてのまとめ
第22章続き
第22章、The Fourth Impact の後、Kathy、 Tommy と Miss Emily の話はさらに続きます。
Hailsham 閉鎖の背景にはMorningdale scandal と呼ばれる何らかのcloneにまつわるスキャンダルがあったこと。
そのスキャンダルの背景には、優れたcloneが普通の人間を超えてしまうことに対する怖れがありました。
Kathy たちがそのスキャンダルを知らなかったことから、Clone 達に与えられていた情報が制限されていたこと、普通の人間とcloneの接触が制限されていたことがうかがわれます。
そこには、なんらかのregulation(規制、規則)の存在が示唆されていました。
Miss Emily は、Kathy達に、regulationに違反して、あえてこの話しをしていました。
さらに、Miss Emily は、Miss Lucy (The First Impact の場面であの話しをした guardianです)についても語ります。Miss Lucy は、Hailsham において、studentsにもっと気づかせるべきとの意見を有しており、Miss Emily と意見が異なり、Hailshamを去ったというのです。
そして、Miss Emily はこう語ります。
Very well, sometimes that meant we kept things from you, lied to you. Yes, in many ways we fooled you. I suppose you could even call it that. But we sheltered you during those years, and we gave you your childhoods. Lucy was well-meaning enough. But if she’d had her way, your happiness at Hailsham would have been shattered.
Miss Emily は、studentsを欺いていたけれども、そのかわり students に、
「childhoods(子供時代)」
「happiness(幸福)」
を与えていたというのです。
Kathy とTommy は、Miss Emily からの衝撃的な話しを受け、失意のうちに元の生活に戻っていきます。
第23章(ラスト)
Tommy にfourth donation の the notice がやってきます。
Tommy は、completeを前に、Kathy ではない、別のcarerを希望します。
Tommy の次のセリフが非常に印象的です。
‘I suppose you’re right, Kath. You are a really good carer. You’d be the perfect one for me too if you weren’t you.’
Kathy は、別のcarerにTommyを引継ぎ、Tommyのもとを去ります。
ラスト、Kathy により語られる次の文が心を打ちます。
I lost Ruth, then I lost Tommy, but I won’t lose my memories of them.
Kathy がTommy のcomplete を耳にして数週間後、彼女がNorfolk を訪れた場面で物語は終わります。
冒頭の違和感再確認
さて、ラストにかけて、これ以上なく哀愁に満ちた展開でした。
ここで、改めて、第1章に戻り、冒頭を確認してみましょう。

初読時にはわからなかったことが非常によくわかるようになっています。
名前
My name is Kathy H.
という、超絶簡単な英文で始まるNever Let Me Go ですが、この名前ひとつとっても恐るべき意味が込められていたことがわかります。
まず、彼女はcloneであり、普通の人間ではなかった。だから、ファミリーネームをもたなかったのです。
しかも、それだけではありません。ファミリーネームの代わりに用いられるアルファベット大文字。
その意味は明確には語られていませんが、明らかに人為的な分類がなされていることを感じます。
たとえば、由来する遺伝子の種類により「H」と分類されているという読み方まで出来そうです。
いずれにせよ、Kahty Hがcloneとして、人為的な分類に基づく存在であることが名前一つから感じられるのです。
管理者としてのThey
本作を読み通せばお判りだと思いますが、Kathy 達cloneは常に外部の誰かの恣意によって、その運命を定められていました。
いつcarer からdonorになるのか。
どのcarerがどのdonorを担当するのか。
いつdonationするのか。
They はこれらを定める管理者達と読むことが出来ます。
時系列
物語の現在は1990年代後半(Late 1990s)でした。
Kathy が英語の現在形を用いて語っているのは、1990年代後半なのです。
冒頭、Kathy は、現在、31歳、carerになって11年だと言います。
一方、Kathy がcarerとして、Ruth やTommy と再会したのがthe cottages を出てから7年後、Tommy のcarerになったのがその1年後ということでした。
そうすると、第23章のラストから、第1章の冒頭の現在までの間には、数年の時間間隔があったと思われます。
Kathy に何があったのか
ラストまで読み通してみると、そのキャリアは、相対的にみて、確かに長いといえそうです。
しかも、Kathy は、その長いキャリアのなかで、Ruth とTommy を失うという経験に加え、多くのcompleteを目にしてきたはずで、ただ長いのではなく、非常に重い意味が込められた長さだったと言えると思います。
第23章は上記のとおり、哀愁に満ちていました。
ところが、第1章冒頭が非常に明るい雰囲気だったことは、上記の記事でヒナさんが指摘していたとおりです。
この間にKathy には何があったのでしょうか。
この点に関する読書会メンバーの意見を紹介します。
「受け入れ」か「あきらめ」か
ヒデ:全編を読み通した後、再度第1章を読んだうえで、冒頭第1段落において、Kathy が明るい雰囲気だった理由について、皆さんの感じたことを教えてください。
コウキ:
自分は、Kathy が、自分の運命を「受け入れ」ることができたということなのかと感じました。
タク:
僕は、「あきらめ」たのではないかと感じました。
自分の力であらがってもどうにもならない。
Ruth やTommyはもう戻ってこない。
悲しんでいても仕方ないのであきらめてやれることをやろうと開き直った感じに受け取りました。
ヒナ:
私はKathy が自らの置かれた立場を「受け入れ」たと感じています。
Ruth やTommy を失うつらい経験を乗り越え、自分自身の存在意義を見つめなおし、自らの役割について自分の中で納得がいったという印象です。
ヒデ:
「受け入れ」と「あきらめ」。
似ているようで、少しニュアンスが異なるのが面白いですね。
「受け入れ」には前向きな積極的ニュアンスを感じます。
一方、「あきらめ」には、自分の立場に対する否定的な評価が前提にあって、消極的・後ろ向きなニュアンスを感じます。
しかし、この二つの評価は、二律背反の関係にはなく、両立し得るものと言えそうで、読者の皆様各自がどう捉えるかに読者それぞれの価値観が反映していると言えそうです。
語り手 Kathy は誰に語り掛けているのか
いずれにせよ、第23章のラストと冒頭とで、Kathy の雰囲気は明らかに変わっています。
Kathyはおもむろに自己紹介をして、語り始めていました。
およそ一人称小説において、語り手が誰に向けて語っているのかは非常に重要です。
コウキ:
自分は、Kathy H が、同じ、clone達、すなわち、今後、carer になり、donorになる者たちに向けて語っていると思いました。
Kathy Hは、Hailsham 出身者として、他のclone達に思い出を与えようとしていたのではないでしょうか。
ヒデ:
コウキ君の意見は大変すばらしいと思います。
僕も完全に共感します。
そう考えると、管理者を代名詞theyで表現していたことなど、Kathy H の語り方のつじつまがあいますし、 本作で語られている内容の意味づけがはっきりします。
僕たちは、cloneがcloneに語り掛けている物語を、そうとは知らず、まったく外側から読んでいたと考えると非常に面白いのではないでしょうか。
Regulationの存在
また、第22章における、Miss Emily の一連の話を振り返ってみてください。
Regulation の存在により、
cloneは取得する情報が制限されていたこと、
普通の人間との間でコミュニケーションをとることはできなかったこと
が読み取れたと思います。
つまり、Kathyは、普通の人間に対して何かを語ることは許されていなかったのです。
また、cloneは普通の人間から何かを語られることは厳しく制限されていたのです。

上記の記事でThe Third Impact について検討しましたが、regulationのそんざいによって、carerはcloneでなければならなかった理由もよりはっきりとしてきます。
普通の人間はcloneと十分なコミュニケーションをとること、carerとして十分に語ることが出来なかったのです。
「思い出」の重要性
およそ人はいずれ必ず死にます。
その点は、人為的にcompleteされることが定められたcloneであっても、いつ死ぬかわからない普通の人間であっても一緒のはずです。
人生を終えるときにもっとも重要なことは何か。
僕自身、現在40代であまり想像は付いていないというのが正直なところです。
しかし、過去を振り返るときにもっとも重要なのは「思い出」なのではないでしょうか。
死の間際、幸せな思い出を振り返ることができるかどうか。
その生に意味を見出すことができるかどうかは、「思い出」の存在によるところが大きいと思うのです。
そうすると、同じ、cloneであっても、Hailshamにおけるchaildhoodを思い出として有するKathy H は、本当に幸福だったのではないかと思えてきます。
子供時代につらい記憶しかない普通の人間よりも決して劣ってはいない人生だったといえるということなのではないでしょうか。
本作は、Katyh H が、Hailsham での思い出、RuthやTommy との思い出の有する高い価値、重要性に気が付き、これを、そうした「思い出」を持たない同族のcloneに伝え、多少なりとも「思い出」を共有しようという思いから語られた作品と感じられてくるのです。
いわば、「思い出」のおすそ分けですね。
そうすると、冒頭Kathyの有する明るい雰囲気も自然に思えてくるのではないでしょうか。
読書会メンバーによる Never Let Me Go 評価
まだまだ、語りつくすことができていない点は多数ありましたが、時間に限りがあったことから、以上により、読書会の議論は終了しました。
僕は、読書会の最後に、検討課題とした図書の評価をすることを恒例にしています。
評価基準は次のとおりです。
- S:これまでに読んだもっとも面白い本に匹敵するかそれを超える面白さ
- A:もっとも面白い本ほどではないが上位30%台に入る面白さ
- B:上位40%台~60%台に入る面白さ。面白いとはいえる
- C:あまり面白くない
- D:まったく面白くない
そのうえで、読書会メンバーのNever Let Me Go に対する評価は次のようになりました。
- コウキ:S
- タ ク:S
- ヒ ナ:S
- ヒ デ:S
全員一致のS、きれいなStraight S となりました。
当然の結果だと思います。
深く読み込めば読み込むほどに、その斬新な切り口、構成、語りの見事さに対して驚きを新たにします。
おわりに
生まれたときから運命を決定づけられていたKathy たちclone。
本作は、Cloneの置かれた状況という、人間がこれまでに経験したことがない全く新しい視点・立場を通じて、極めてユニークで哀愁に満ちた感情を体験させてくれる作品なのです。
そのmelancholicな雰囲気はカズオ・イシグロにしかなしえないきわめてユニークなものだったと思います。
また、Morningdaleスキャンダルに見られる、普通の人間によるcloneへの怖れ。
これは、まさに、今、現在において、AIに超えられることを恐れている人間と対比することが可能ではないでしょうか。
そうすると、カズオ・イシグロの先見性と人間に対する鋭い洞察には目を見張るものがあると思います。
本作のラストは、イギリス文学史に残る悲哀が満ちていたように思います。
しかし、そのなかで、Kathy は、自らの役割、運命に向き合い、喪失を乗り越え、前向きに生き、思い出を語ろうとする姿勢は胸を打つものだったのではないでしょうか。
Never Let Me Go は、一周しただけでその真価を味わい尽くすことはできません。
何周でも読むべき作品です。
また、その真価は英語でなければ決して測りえません。
僕たちスタイリッシュ読書会のメンバーは、英語原文でNever Let Me Go を読んで議論を深めたことにより、日本語訳『わたしを離さないで』を通じてしか本作に触れたことがないという読者が決して到達することができない地点に達したと断言できます。
ここまでお読みいただいた皆様はお判りでしょう。
日本語訳で『わたしを離さないで』を読んだとしても、決して僕たちが達した領域に達することが出来ません。
カズオ・イシグロのユニークさ、見事さを日本語では決して感得しえないのです。
カズオ・イシグロの見事な英文を日本語に置き換えてしまっては、言葉の力が半減してしまうのです。
日本語には、僕たちの既存の価値観を揺さぶり、思索を深めるためのパワーはありません。
カズオ・イシグロの英文を通じて議論と思索を深め、Never Let Me Go を深く読解し、既存の価値観、社会常識を新たな視点から捉えることができるようになった僕たちスタイリッシュ読書会のメンバー。
スタイリッシュじゃないですか?
カズオ・イシグロの英語は驚くほど簡単であるにもかかわらず、圧倒的に美しいです。
こういう作品こそ英語多読の素材とするべきではないでしょうか。
この記事をご覧の皆様も、日本語訳などに頼らず、
カズオ・イシグロ自らの手による英語原文、Never Let Me Go
に直接触れてみてください。
まったく新しい視点が切り開かれるはずです。
スタイリッシュ英語読書会2冊目の課題図書予告
さて、次回から、スタイリッシュ英語読書会2冊目の課題図書に関する議論を紹介していきます。
2冊目は、1Q84 by Haruki Murakami (村上春樹『1Q84』英語訳)です。
実に40万語を超える超大作ですが、その英文は、カズオ・イシグロの英文よりもさらに簡易であるにもかかわらず、その美しさ奥深さはカズオ・イシグロ以上といえるものになっています。
(『1Q84』英語訳については、こちらのレヴュー記事もご参照ください。)

2026年5月から11月、約半年の期間をかけて検討された議論からは、1Q84英語訳の有する驚くべき実態が明らかとなりました。
次回のスタイリッシュ英語読書会の記事以後、これを順次明らかにしていきます。
ご期待ください。
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