(AIで生成したイメージ画像を使用しています。)
【この記事には、Never Let Me Go Part 1, Chapter 7 までのネタバレを含みます。そのネタバレには、この作品における1つ目の決定的なネタバレが含まれます。絶対に本文でChapter 7 まで読み進めてから以下の記事はご覧ください。】
英語とフランス語の読書が大好き、ヒデです。
前回の記事では、スタイリッシュ読書会の最初の課題図書である、Kazuo Ishiguro の Never Let Me Go について、違和感にあふれる冒頭部分を、タク君、コウキ君、ヒナさんとの議論を通じて紹介しました。

一見すると、イギリスの寄宿学校か、何か特別な児童養護施設かと思える場所を舞台にした、思い出を静かに振り返るノスタルジックな小説に見えます。
しかし、読み進めるうちに、読者は少しずつ説明しがたい違和感を覚えることになります。
今回は、第1部第7章の、ある一段落を検討対象にします。
第6章までに積み重ねられてきた違和感。
その実態が初めて明確な言葉を通じて読者に対し衝撃的に提示される場面です。
僕は、独断と偏見により、Never Let Me Go には四つの大きな衝撃が存在すると考えています。
今回取り上げる第7章の場面こそ、その第一弾。
僕はこれを、勝手に、
The First Impact
と呼んでいます。
この衝撃だけは、何の先入観もなく、ぜひ原文で味わっていただきたいと思います。
第1部第1章から第6章までの簡単な振り返り
語り手 Kathy H. は、自らの子供時代を回想しています。
舞台となるのは Hailsham。
広大な敷地を持ち、子供たちが寝泊まりしながら学ぶ、何らかの施設と思われます。
言及されるエピソードは、読者に、「美術教育にでも力を入れた寄宿学校のようなものなのかな?」という、漠然としたつかみどころのない印象を与えます。
Kathy、Ruth、Tommy はそこで育ちます。
しかし、彼らの学校生活にはどこか不自然なところがあります。
両親の話が出てこない。
卒業後の進路について具体的な話がない。
教師ではなく guardians と呼ばれる大人たち。
そして頻繁に登場する donation という言葉。
読者は意味を理解できないまま、それらの単語をなんとなく漠然としたイメージとして受け入れて読み進めることになります。
それはまるで霞のかかった風景を眺めるような感覚です。
この感覚で今回問題とする第7章の段落の場面がやってくることになります。
第7章—The First Impact 場面設定
問題の段落がどのような場面かを簡単に整理しておきます。
第7章で、Kathy たちは15歳になっています。
Hailsham 最後の年を迎えています。
その日は雨でした。
students たちは何気ない雑談をしています。
「将来、俳優になったらどうなるんだろう」
どこの学校にもありそうな、ごく普通の会話です。
むしろ、子供たちのする会話としては、夢があふれていて好ましい会話に思えます。
語られる夢が普通過ぎて小説としては物足りないくらいです。
ところが……
その会話を偶然耳にしたのが guardian の Miss Lucy でした。
彼女は突然、子供たちに向かって語り始めます。
そしてNever Let Me Go は決定的な転換点を迎えます。
問題の段落
それが、次の文章で始まる段落なのです。
But Miss Lucy was now moving her gaze over the lot of us.
英語原文を読んでいれば、この文章から始まる段落はすぐにお判りになるはず。
以下は、手元に英語原文を開いた状態で読んでいただけると一層楽しめると思います。
ぜひ、自分の目で、カズオ・イシグロの手による英文を通じて、この段落までをじっくり味わってみてください。
読書会メンバーの印象
読書会メンバーのThe First Impact 以前の部分に対する印象と、この段落から受けた感想を紹介します。
コウキ
じつは、第6章まで、非常に退屈だなと感じていました。
穏やかな日常の学生生活の思い出が語られているに過ぎないと思え、読むのを止めようかとさえ思いました。
ところが、ヒデさんに「悪徳英語教材に引っかかってしまったと思って、いいから、第7章まで読め」と言われました。
それで、仕方なく、この段落まで読み進めたのです。
本当に衝撃でした。
最初は意味が分かりませんでした。
「え? 今なんて言った?」
という感じでした。
でも読み返してみると、本当にそのままの意味なんです。
これによってHailshamの恐ろしい実態がわかりました。
そこから先は完全に読むスピードが変わりました。
それまでの違和感の答えを探したくなったんです。
タク
読み進めた経緯はコウキ君と似たような感じです。
ヒデさんから、冒頭第一段落について、その違和感を指摘され、読み進めてみました。
それでも、第六章までは、なんだかわかりにくい小説だなというのが正直な印象でした。
それで、確かに、問題の段落で印象が変わりました。
ただ、僕はむしろ、
「なるほど、そういう世界だったのか」
という感覚でした。
もちろん衝撃的なんですが、不思議と納得感もあったんです。
今まで出てきた違和感がある程度説明できる気がしました。
ヒナ
私も、第6章まで、すごく描写がきれいだなとは思っていましたが、ヒデが言うようにすごい違和感があるということは意識していませんでした。
ただ、たしかにちょっとした違和感は積み重なっていました。
この子供たちは将来子供をもつことができない。
タバコについては神経質なまでに禁止されているにもかかわらず、男女関係については意外と放任されている。
何か変だとは感じていました。
ただ、それほど、大きな違和感ではなく、何か特殊な病気や属性のある子供たちなのかなという漠然とした印象だったのです。
しかし、カズオ・イシグロの設定は想像の上をいっていました。
たしかに、この段落の衝撃は私もすごいと思います。
ヒデ
この段落を読んだ皆さんにはあえて言うまでもなく、Hailshamの子供たちの存在意義は極めて衝撃的です。
それまで読者は Hailsham を少し変わった寄宿学校又は児童養護施設だと思って読んでいます。
ところがここで突然、
「君たちの人生は既に決まっている」
「将来の夢は実現しない」
「大人になったら臓器提供をする」
という趣旨の説明がMiss Lucyの口からなされます。
まるで物語の床が突然抜けるような感覚でした。
ただし、これは全四段階の衝撃の第一弾にすぎません。
後から振り返ると、この時点ではまだ真実の全貌は見えていません。
それでも相当な衝撃であったことは間違いないでしょう。
“you’ll start to donate your vital organs” の衝撃
英語で初めて読んだとき、
僕はこの一文に強い衝撃を受けました。
その衝撃を、ぜひ、何の先入観もなく、味わっていただきたかったのです。
しかし、実はこの衝撃、日本語で読む日本人ではあまり味わうことができないのです。
タク
日本語では「ドナー」という言葉がありますよね。
臓器移植の文脈で普通に使います。
だから、日本語の頭でdonation と聞いた瞬間に、
「あれ?」
と思ってしまうのです。
コウキ
確かに。
実際、最初の方から donation が何度も出てくるので、日本人が日本語頭で考えると、和製英語である「ドナー」「ドネイション」と結びついて、もしかして、「臓器提供のこと?」となってしまいますね。
ヒナ
面白いですね。
これは、カズオ・イシグロが日本人であることと関係がありそうな気がします。
和製英語の発想を英語に逆輸入する。
英語圏の人たちはdonationとい言葉からどうしても金銭的なことを想像するので、和製英語による意外な意味に衝撃を受けることになると思います。
日本人が日本語で読んでしまうとかえって衝撃が薄らぐ。
ヒデ
ヒナさんおっしゃるとおり、日本人の中でもヒナさんのような筋金入りの英語読書家でないと、ここの衝撃は味わいきれないと思います。
実は、日本語でカズオ・イシグロ作品を読んでいる日本人のありがちな感想は、すべて読み通したうえで、「退屈」「つまらない」です。
それはそうです。
カズオ・イシグロは日本人的発想を英語に持ち込み、英語話者にとって意外な意味を英単語にこめたうえで、英語に最適化された文章をもちいて、英語の世界で英文学の頂点を極めたのです。
これを日本語にしてしまったら、その素晴らしさは何もわからなくなります。
つまり、日本語でカズオ・イシグロ作品を読んでいる日本人がカズオ・イシグロ作品の面白さに気が付くことができないのは至極当然なのです。
だから、英語で読むべきで、日本語訳を読んではいけないのです。
さて、この場面には様々なツッコミどころがあります。
疑問:Decent lives とはいったい何なのか
特に疑問なのが Miss Lucy の繰り返す
decent lives
という言葉でした。
普通に考えれば、
「まともな人生」
「幸せな人生」
という意味です。
しかし、ここでいう子供たちにとっての decent lives とはいったい何なのか。
将来は決まっている。
自由な職業選択もない。
結婚や家庭についても語られない。
そして最終的には臓器提供を繰り返す。
それなのに Miss Lucy は、
「君たちは decent lives を送るべきだ」
と言うのです。
どういうことなのでしょうか。
ヒナの意見
ここがイシグロの恐ろしいところですよね。
誰も嘘をついていない。
でも同じ言葉を使っていても、読者と登場人物では意味が全然違う。
医学でも似たことがあります。
患者さんにとっての良い人生と、社会制度が考える良い人生は必ずしも一致しません。
Miss Lucy は本気で子供たちのことを考えているように見えます。
「将来の夢」を語らない方がよい人生を送れる……
本気でそう思っていそうなのが怖いです。
Miss Lucy はなぜこの場面であえてこんな話をしたのか
これと関連する、大きな疑問があります。
なぜ Miss Lucy は突然、この場面でこんなことを言ったのでしょうか。
他の guardian たちは曖昧な態度を示していたように思います。
ところが Miss Lucy だけがここで決然とした態度を示す。
子供たちが将来の夢を語る姿を見て、
彼女はいったい何を思ったのでしょうか。
この問いについて考えるには第1部第7章の時点では情報が不足しすぎています。
この疑問を頭にとどめて先に進みましょう。
子供たちの反応がおかしい
ヒナ
私が本当に驚いたのは、臓器提供が目的になっていたこと自体ではありません。
子供たちの反応に驚きました。
子供たちがほとんど無反応だったことです。
もし普通の15歳が突然そんな話を聞いたら大混乱になるはずです。
なのに Kathy たちはそうならない。
なぜ Kathy たちは驚かないのか。
タク
確かにそこが疑問です。
なぜ誰も
「そんなの嫌だ!」
と言わないのか。
なぜ誰も逃げ出そうとしないのか。
普通であれば、「自由に将来の夢を語ることができるようになりたい」と思い、戦うということもあり得るのではないでしょうか。
ここは、England なんですよね?
法治国家として先進国のはずなのですが、この子供たちの人権はいったいどうなっているのでしょうか。
コウキ
言われてみると、彼らは既に自分たちの置かれた立場をわかっているという雰囲気です。
しかも、それを当然のこととして受け入れているように見えます。
このことを知らなかったのは僕たち読者だけという雰囲気です。
ヒデ
この場面は秘密が暴露される場面ではありません。
むしろ、子どもたちからは、
「みんな知っている当たり前のことをなぜあえて言うのか」
という、非常に冷めた反応がなされています。
確かに、臓器提供と言う目的自体非常に衝撃的ではあります。
しかし、それ以上に、臓器提供を目的とするKathy達、子供たちはいったいどのような存在なのか?
いったい、彼らはどのような世界にいるのか?
ここはEnglandではないのか?
どうすれば、このようなおぞましい事実を当然のこととして受け入れることができるのか?
より大きな疑問につながっていくことになるのです。
まとめと次回予告
The First Impact は確かに衝撃的でした。
この作品は、カズオ・イシグロの代表作であり、断片的に「臓器移植」が絡む物語という知識だけを取り出して語られることもあります。
しかし、これから、第2、第3、第4の衝撃によりもたらされるものは表面的で浅薄な安っぽいエンターテイメント的衝撃ではないのです。
「donation」という英単語の有する言葉に込められていた、英語話者にとっては衝撃的な(日本人にとってはそれほど衝撃的でない)意味。
これは、単にこの単語の問題だけではないのです。
たとえば、「student」や「complete」などと言った、ここまでに繰り返し用いられてきた極めて基本的な多数の英単語。
これらの意味が一斉に揺らぎ始めたことがお判りでしょうか。
この揺らぎを利用した、もっともっと深い、我々の存在の根源を問いかける驚くべき仕掛けがこの先に用意されています。
しかも、それは決して、決して、日本語では味わうことができません。
なぜなら、英単語に対する和製英語的発想からの揺さぶりがかけられているからです。
英語原書を読んだ者のみが到達できる深みが確かに存在するのです。
The First Impact による衝撃がもたらしたものはさらなる大きな疑問でした。
この疑問に対し、カズオ・イシグロはいかなる仕掛けを用意しているのか。
第14章に次の文章で始まる段落があります。
この段落で語られる内容を、僕は、勝手に The Second Impact と呼びます。
この段落におけるRuthの発言を初めて読んだ際、皆様は何をどのように感じるでしょうか。
But she just carried on:
次回、The Second Impact に関する読書会メンバーの議論をご紹介します。
ご期待ください。
ぜひ、Never Let Me Go を第14章まで読み進めていただければと思います。
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