英語多読における必読図書『源氏物語』ウォッシュバーン英語訳3/4―アーサー・ウェイリーの英語訳は読みにくく、不正確②「桐壺」英文徹底比較

レビュー

(AIが生成したイメージ画像を使用しています。)

英語とフランス語の読書が大好き、ヒデです。

(前回の記事はこちら。)

英語多読における必読図書『源氏物語』ウォッシュバーン英語訳2/4―アーサー・ウェイリー英語訳は読みにくく、不正確①「全体構成」
ウェイリー英語訳『源氏物語』の有する全体構成の不正確さをウォッシュバーン英語訳読書会でおなじみ、圧倒的英語力を有する源氏物語愛好家ヒナさんと共に検討する。

前回の記事では、新進気鋭の研究者であり、世界をまたにかけて日常的に英語を使いこなしておられ、かつ、筋金入りの英語読書家・『源氏物語』愛好家であるヒナさんをお迎えし、ウェイリー訳の問題点を検討しました。

ウェイリー訳は、目次から明らかになる全体的な構成を一見するだけで、不完全なものであることが明らかとなります。

しかし、これらは、英文そのものを読むことの準備段階に過ぎない議論で、いわば、前置きです。

ウェイリー訳の問題点の本質は、やはり、英文を比較することによって明らかとなるのです。

日本において、『源氏物語』の英語訳といえばウェイリー訳という風潮がありますが、『源氏物語』を真に楽しむために日本人が読むべきなのは、ウォッシュバーン訳であることは明らかなのです。

(ヒナさんと僕によるウォッシュバーン訳の読書会はこちら。ウォッシュバーン訳の面白さをこれでもかというくらい深く掘り下げています。)

ウォッシュバーン『源氏物語』英語訳読書会
英語読書を愛し、英語訳を通じて『源氏物語』の面白さに気が付いたヒデと、幼少期から『源氏物語』を愛好し、圧倒的英語力を有するヒナさんによるデニス・ウォッシュバーン英語訳”The Tale of Genji”の読書会。英語を通じて『源氏物語』の真の面白さが明らかとなる。

では英語そのものはどうなのか?――第1帖「桐壺」で比較する

前置きが長くなってしまいました。

ここからが本題です。

今回の記事では、いよいよ(ようやく?)、原文、ウェイリー訳、ウォッシュバーン訳を並べながら、具体的な英文を比較していきます。

目次や構成の話はいったん横に置きましょう。

実際の英文はどうなのか。

個別具体的な英文を比較すれば、日本人が英語多読として読むべき英文が、ウェイリー訳ではなくウォッシュバーン訳であることは一目瞭然となります。

超有名な冒頭

ヒデ:
読んでいただいたウェイリー訳から、具体的に気になった部分について、原文と、ウェイリー訳とウォッシュバーン訳の各英文を引用し、どのような印象だったか教えてください。

ヒナさん、お願いします!

(僕には読みにく過ぎてもはやどこが問題なのかがわからなかったです……)

ヒナ:
それでは、

第一帖「桐壺」(ウェイリー:Kiritsubo /ウォッシュバーン:The Lady of the Paulownia-Courtyard Chambers)から、まずは、超有名な冒頭部分を引用します。

原文
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。

ウェイリー
At the Court of an Emperor (he lived it matters not when) there was among the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber one, who though she was not of very high rank was favoured far beyond all the rest; so that the great ladies of the Palace, each of whom had secretly hoped that she herself would be chosen, looked with scorn and hatred upon the upstart who had dispelled their dreams. Still less were her former companions, the minor ladies of the Wardrobe, content to see her raised so far above them.

ウォッシュバーン
In whose reign was it that a woman of rather undistinguished lineage captured the heart of the Emperor and enjoyed his favor above all the other imperial wives and concubines? Certain consorts, whose high noble status gave them a sense of vain entitlement, despised and reviled her as an unworthy upstart from the very moment she began her service. Ladies of lower rank were even more vexed, for they knew His Majesty would never bestow the same degree of affection and attention on them.

文構造のわかりやすさ

ヒナ:
まずウェイリーは、文章の主語と動詞の構造が非常にわかりにくいです。

文章の途中にいろいろなclauseが挿入されるのですが、それを整理するためのコンマも少ないので、一読して構造を把握しにくいんです。

ヒデ:
ウェイリー訳では、第一文から、

ん? 主語どれ?

となって困ってしまいますね。

ヒナ:
少なくとも、私が普段携わっているscientific writingでは、主語を短くして、できるだけ主語の直後に動詞を置く方がわかりやすいと言われます。

もちろん文学作品なのでscientific writingと同じ基準では評価できませんが、それでもウェイリーは構造をつかみにくいです。

ヒデ:
文学だろうが科学だろうが、言葉として何かを伝えたいのであれば、わかりやすい方がいいにきまっています。

古い翻訳ですからやむを得ませんが、ウェイリー訳からは、わかりやすく伝えようという意図は感じません。

“matters not” ?

ヒナ:
しかも、ウェイリー版には冒頭から、

matters not

という、今なら普通は does not matter とする古風な表現が登場します。

私は最初、ここが理解できませんでした。

ヒデ:
もちろん、僕もわかりませんでした。

まあ、ヒナさんがわからなければ、みんなわかりませんよね(笑)

とはいえ、1920年代に刊行された翻訳です。

ウェイリーに「2026年時点で読みやすい英語を書け」と要求すること自体が無茶でしょう。

問題がウェイリーにあるのではありません。

古くなってしまった英語を、より優れた現代語訳が存在するにもかかわらず、現代において、あたかも英語訳の決定版であるかのように扱うことが問題なのです。

今の僕たちが、英語多読としてあえてウェイリーの英語を選ぶ必要はないです。

この点、ウォッシュバーンの冒頭ははるかに入りやすいと思います。

ヒナ:
ウォッシュバーン訳は、文の骨格を見失いにくく、非常にわかりやすいと思います。

英語訳者による解釈の提示

ただし、私は、ヒデとは違い、ウォッシュバーンを手放しで評価することはできないと思っています。

どちらの翻訳にも、原文には直接書かれていない説明が入っていますよね。

ヒデ:
それはたしかに。

ウォッシュバーンも逐語訳では全然ないですね。

今回原文を併記していただいたことで、僕にもそれがわかりました。

ヒナ:
以下、冒頭からいくつかの部分を詳しく見ていきます。

身分の高い女性たち――「はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた」

まずは、

「はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた」

という部分。

ウェイリーもウォッシュバーンも、彼女たちが高い身分の女性であることがわかるように英訳しています。

しかし、その説明の仕方が違います。

ウェイリーは、彼女たちが自分こそ帝から選ばれるだろうと期待していた、という方向へ意味を具体化します。

ウェイリー: the great ladies of the Palace, each of whom had secretly hoped that she herself would be chosen

一方のウォッシュバーンは、彼女たちの高い身分が、自分たちは特別に扱われて当然だという意識につながっている、と解釈します。

ウォッシュバーン: Certain consorts, whose high noble status gave them a sense of vain entitlement

ここはウォッシュバーンにも少し注意が必要だと思います。

『思ひ上がる』は古文では、現代語の『思い上がる』とは少し違って、『気位を高く保つ』『誇りを持つ』といった意味がありますよね。

そう考えると、ウォッシュバーンが使っている vain entitlement は、かなり強い解釈で、現代語日本語の『思い上がる』に近いニュアンスがあり、古文における『誇りを持つ』というニュアンスからは少し遠ざかると思います。

ヒデ:
なるほど。これは確かに注意が必要ですね。

ウォッシュバーンは非常に読みやすく、面白い。

しかし、

読みやすく面白い=原文に対して常に忠実

ではない!

ということですね。

とはいえ、ウォッシュバーン自身の解釈がかなり明確に表れ、それが読者に読みやすく、面白く感じさせ、読書を推し進めてくれている気がします。

まあ、面白く読み進めることさえできれば、後でこういうところを検討することができます。

実際、読書会ではこれまで本当に楽しい議論ができています。

ウェイリー訳では読むことが苦行になってしまい、議論するまでに至らない気がします。

ヒナ:
そうですね。ウェイリー訳ではそもそもあまり面白さがわからず、読書会が成立していなかったかもしれません。

ウォッシュバーン訳は、読みやすく、面白かったからこそ、これまで本当に多くの場面で、『原文は本当にそこまで言っているのか?』と比較することができたのでしょう。

ヒデ:
また、ときには行き過ぎた解釈を示されることがあるかもしれませんが、ウォッシュバーンのわかりやすい英語訳を読むことによって、日本語原文の曖昧さが浮き彫りになるように感じます。

これも『源氏物語』をウォッシュバーン訳で読む意義ではないでしょうか。

なぜ桐壺の更衣は嫌われたのか――両者とも「upstart」を使う

ヒナ:
冒頭の検討を続けます。次に面白いのが、

「めざましきものにおとしめ嫉みたまふ」

という部分の英語訳です。

原文では、桐壺の更衣が周囲の女性たちから気に食わない存在として見下され、嫉妬される様子が描かれています。

その部分が英語ではこのようになっていました。

ウェイリー: looked with scorn and hatred upon the upstart who had dispelled their dreams

ウォッシュバーン: despised and reviled her as an unworthy upstart from the very moment she began her service

ここでウェイリーとウォッシュバーンには興味深い共通点があります。

どちらも桐壺の更衣を説明するために、

upstart

という語を使っています。

成り上がり者、成金みたいな感じで、急に地位や権力を得た人物、それも周囲から見れば少し生意気に見えるような人物を指す言葉です。

つまり英訳を読むと、

「帝から異常なほど寵愛された女性」

というだけではなく、

宮中の既存秩序を乱した“成り上がり者”として周囲から見られている桐壺の更衣

という構図がかなり鮮明になります。

これは面白いと思います。

ただし、ここから両翻訳の方向性が分かれます。

ウェイリーは、彼女たちの夢が桐壺の更衣によって打ち砕かれたから憎んだ、という説明を加えてい

一方、ウォッシュバーンは、彼女が宮仕えを始めた当初から反感を持たれていた、という時間的な説明を加えています。

ただ、いずれも原文にそのまま書かれているわけではありません。英語圏の読者に向けて、面白くなる要素が、翻訳者の解釈により追加説明されているように思います。

ヒデ:
この英語圏に向けた追加説明は、英語多読ではかなりありがたい。

古典日本語の短い表現の背後にある人間関係を、現代英語である程度具体化してくれており、ドラマ性がわかりやすくなるからです。

しかも、その解釈に疑問を感じたら原文へ戻り、ヒナさんとの読書会が盛り上がる(笑)。

英訳が原文を読むための新しい窓になる。

僕がウォッシュバーンを面白いと思う大きな理由の一つがこれです。

身分の低い更衣たちは、なぜ「ましてやすからず」なのか

ヒナ:
そして次の一文です。

「同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。」

桐壺の更衣と同程度、あるいはそれより低い身分の更衣たちは、なおさら穏やかではいられなかったことを示す文章です。

ウェイリー: Still less were her former companions, the minor ladies of the Wardrobe, content to see her raised so far above them.

ウォッシュバーン: Ladies of lower rank were even more vexed, for they knew His Majesty would never bestow the same degree of affection and attention on them.

英文としてはウォッシュバーンが明らかにわかりやすいです。

ウェイリーは、ここで倒置構文を使っています。

わかりにくい文章ですね。

意味を取れなくはないです。でも、普通の語順にしてくれればずっと簡単なのに、と思います。

ヒデ:
ヒナさんがわかりにくいとおっしゃる英文ですから、僕にとっては意味不明です。

中身を楽しみたいのに、意味が分からず、英文構造解析で頭をひねらなければならなくなります。頭が痛いです。

ヒナ:
ウォッシュバーンを読めばわかるとおり、現代英語に直すと非常に単純な内容なんです。

しかも、ウォッシュバーンは説明を加えてくれます。

なぜ彼女たちが不愉快なのか。

帝が自分たちには桐壺の更衣ほどの愛情や関心を向けてくれないことを、彼女たち自身がわかっているからだ

というところまで踏み込みます。

ヒデ:
親切ですね!

英文がスッと理解できるうえ、内容としてもすごくわかりやすい。

ヒナ:
親切です。ただし――

本当に原文がそこまで言っているのか、という問題はあります。

ヒデ:
やはりそこですか。ヒナさんの目はごまかせませんね(笑)

ただ、これこそがウォッシュバーンを読む面白さです。

ものすごくわかりやすく面白い。でも、ときどき『本当に紫式部はここまで言ったか?』と思うほど面白い情報が付加される。

面白いから、英語多読として読むにふさわしい。

ここは僕にとって重要です。

ウェイリーの英語を解読すること自体を楽しむなら、それはそれで立派な読書です。

しかし僕たちが読みたいのは、

Arthur Waleyの1920年代の英文ではなく、Murasaki ShikibuのThe Tale of Genjiです。

難解な英語が作品と読者の間に立ちはだかるのであれば、本末転倒ではないでしょうか。

源氏誕生――「先の世にも御契りや深かりけむ」

ヒナ:
続いて、源氏誕生の場面です。

原文には、

「先の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。」

という非常に『源氏物語』らしい表現があります。

前世から深い縁で結ばれていたのだろうか、この上もなく美しい御子がお生まれになった――。

ウェイリー: In due time she bore him a little Prince who, perhaps because in some previous life a close bond had joined them, turned out as fine and likely a man-child as well might be in all the land.

ウォッシュバーン: Was she not, then, bound to the Emperor by some deep love from a previous life? For in spite of her travails, she eventually bore him a son – a pure radiant gem like nothing of this world.

ヒナ:ウェイリーはわかりにくいです!

前世で二人をa close bondが結びつけていた、という構造なんですが……、

a close bond had joined them ってなんですか?

なんとなく意味はわかる気がします。

でも、普通に connected them closely のような表現の方が、現代の読者にはわかりやすいですよね。

肝心の、御子誕生については、

as fine and likely a man-child as well might be in all the land. ってなんですか?

ウェイリーの英語は、なんか、もう、考えはじめるとわけがわからなくなります。

私も、もう読むの止めたいんですけど……。

ヒナ:ウォッシュバーンはわかりやすいですね!

ウォッシュバーンは、これを前世からの深い愛という形でかなり明快に説明します。

some deep love from a previous life という表現からは、前世からの深い愛、という意味がスッと入ってきます。

また、ウォッシュバーン訳における、源氏が誕生した瞬間の、

a pure radiant gem like nothing of this world からは、

この世のものとは思えないほど輝く「玉」のような皇子

というイメージが、はるかに直接的に伝わってきます。

ただし、ウォッシュバーンはここでも説明を足しています。

ヒデ:
桐壺の更衣の苦労(travails)にもかかわらず、というところですね。

ヒナ:
はい。原文そのものよりドラマを補っています。

それでも、物語として読んだときの流れは圧倒的に滑らかです。

ヒデ:
物語の流れを止めない流麗な英文がウォッシュバーンの特徴ですよね。

若干説明しすぎる部分はありますが。

ウェイリーの英文は、細かい文法や構文的な解析をいったん横に置き、落ち着いて読めばなんとなくの意味は分からなくもないです。

しかし『源氏物語』は54帖あります。

長い。

ものすごく長い。

そのたびに、

「この主語は何だ?」
「ここは倒置か?」
「この古い表現は何だ?」

と止まっていたら、多読としての爽快感が失われてしまいます。

桐壺の更衣、死す――和歌で致命的な差が出る

ヒナ:
そして、桐壺の更衣の死です。

彼女は帝との別れを前に、和歌を残したうえ、最後のセリフを発します。

限りとて 別るる道の 悲しきに
いかまほしきは 命なりけり

いとかく思ひたまへましかば

死が目前まで迫っている。

別れなければならない。

だからこそ、生きたい。

「行きたい(『生きたい』とかけています。)のは、死への道ではなく命ある道だったのに」という思いが込められた、極めて切実な和歌です。

最後のセリフは、(この和歌を受け)「生きる希望が満たされていれば、うれしかったであろう…」という、仮定法的嘆きです。

ヒナ:ウォッシュバーンは見事です。

ここでウォッシュバーンは、和歌を英語の三行詩として提示します。

ウォッシュバーン:

Now in deepest sorrow as I contemplate

Our diverging roads, this fork where we must part

How I long to walk the path of the living

“Had I known that things would turn out like this…”

道が分かれていく。

自分は死へ向かい、帝は生の側へ残される。

その分岐点で、

私は生きる者の道を歩きたい。

まず、三行詩が非常にわかりやすく美しく悲哀に満ちたイメージを伝え、

桐壺の更衣最後のセリフが、仮定法過去を用いて、はっきり伝わるようになっています。

ウォッシュバーンは、英語においてもかなりのレベルで、原文の和歌をイメージして読めるようにしていますね。

ヒデ:
見た瞬間に、『ここは和歌だ』とわかる。

しかも、原文の「道」というイメージを使って、別れていく二人を的確に英語で表現しているんですね。

いや、本当に美しいです。ウォッシュバーンの面目躍如といったところではないでしょうか。

ヒナ:そしてウェイリーは……

……和歌、どこですか?

ないんですけど……。

私の見落としでしょうか……?

ヒデ:
僕も探しました……。

ヒナ:
これですか?

ヒデ:
たぶん、これです。

ウェイリー: The lady heard him and ‘At last!’ she said; ‘Though that desired at last be come, because I go alone how gladly would I live!’

ヒデ:
和歌は……!?

ヒナ:
そうなのです。

ウェイリーは、なんと、原文の和歌という形式を無視して、散文、すなわち、地の英文にこれを取り込んだのです。

しかも英文そのものが難しいし、原文のニュアンスが全く失われています。

正直、私は、この部分、最初、何を言っているのかわかりませんでした。

しかも、この英文だと、桐壺の更衣が、死ぬ直前にもかかわらず、妙に元気そうな印象になってしまいます。原文及びウォッシュバーンから読み取った悲哀はまったく感じることができません。

なぜ、ここで、At last! と、感嘆符まで付けたのでしょうか。原文とは全く異なる雰囲気になってしまいます。

『源氏物語』を深く読みこんでいけばわかりますが、登場人物たちによって詠まれる和歌には物語上非常に重要な意義があります。

何語に翻訳するにしろ、該当箇所が和歌の形式であることをわかるように翻訳しなければ翻訳としての意味がないと考えます。

和歌を散文にしてしまったウェイリーは、和歌の重要性を理解していなかったと言わざるを得ず、この点からも、『源氏物語』の本質的理解からは程遠いレベルであったことが明らかです。

ヒデ:
ヒナさんのご指摘は非常に的確だと思います。まったくその通りですね!

ヒナ:
しかも英語が古すぎます。

be come という表現。

ヒデ:
何ですか、それ??

ヒナ:
現代英語なら has come に相当する古い表現です。

ヒデ:
いやいや、それを理解することは、僕には無理ですよ。

ヒナ:
私も無理です(笑)

ヒデ:
もちろん、古風な英語それ自体には魅力があります。

古い英文学作品を原文で読むのは、僕も大好きです。

しかし『源氏物語』は英文学ではありません。

紫式部が書いた日本文学です。

僕たちが読みたいのは、ウェイリーの古風な英語そのものなのでしょうか?

それとも、

紫式部が描いた桐壺の更衣の悲しみなのでしょうか?

後者なら、迷わずウォッシュバーンを選ぶべきことは、もう自明ですね。

ヒナさん、結局どちらが読みやすいですか?

ヒナ:
ダントツでウォッシュバーンです。

ヒデ:
ですよね。

ヒナ:
ウェイリーも、時間をかけて構文を確認すれば意味はなんとなくであればわかります。

でも、古い表現があったり、倒置があったり、節が挿入されたりするので、一読して意味を取るのが非常に難しくなっています。

そして、和歌という形式を無視して散文化したことは致命的な欠点だと思います。

一方で、ウォッシュバーンにも問題がないわけではありません。

むしろ今回の比較でよくわかったのは、

ウォッシュバーンはかなり積極的に原文を解釈している

ということです。

なぜ嫉妬しているのか。

登場人物は何を考えているのか。

その場面にはどのような感情が流れているのか。

原文では余白として残されているところまで、英語で踏み込んで解釈を示すことがあります。

だから、ウォッシュバーンだけを読んで『これが原文そのものだ』と思うのも少し危険ですね。

ヒデ:
確かに、そこは重要ですね。

ヒナ:
しかし、英語として物語を読むなら、私はウォッシュバーンの方が圧倒的に読みやすいと思います。

ヒデ:
この点は、僕とヒナさんで意見が完全に一致しました。

英語多読として、『源氏物語』を読もうというのであれば、ウォッシュバーンがおすすめです。

ウォッシュバーンを読むと、日本語の『源氏物語』まで面白くなる

ウォッシュバーン訳の魅力は、単に「英語がわかりやすい」ということではありません。

ウォッシュバーン訳を読んでいると、

「え? 原文にそこまで書いてあった?」

という瞬間が何度もあります。

そこで原文や現代日本語訳へ戻る。

すると今度は、

「なるほど。原文はここを曖昧にしているのか」

と気づく。

さらに、

「では紫式部は、なぜ明言しなかったのか?」

という疑問が生まれる。

新たな切り口が提示され、原文のより深い読解につながる。

これが面白い。

ヒナ:
『源氏物語』ウォッシュバーン英語訳読書会では、英訳を読んでいるはずなのに、日本語原文を前より細かく読むようになるんですよね。

ヒデ:
比較すると、翻訳者がどこを解釈したのかが見えますからね。普段、ヒナさん、ロキさんから示される原文や日本語を聞いて、僕も相当理解が深まっています。

ヒナ:
ウォッシュバーン訳により『源氏物語』を楽しんだうえ、ウォッシュバーン訳が言い過ぎた点を疑うことによって紫式部の原文に戻っていく、

それが非常に効果的で健全な読み方だと思います。

ヒデ:
まさに僕たちの読書会でやっていることそのものですね。

ウォッシュバーン訳を絶対視する必要はありません。

ときには、

「ウォッシュバーン、それは言い過ぎだろう」

と批判的に検証すればいい。

それでも、英語で54帖を走り抜けながら、紫式部の人物造形、恋愛、嫉妬、権力、欲望などを味わうための入口として、ウォッシュバーン訳は抜群に読みやすく面白いのです。

まとめ――『源氏物語』を英語で楽しむなら、ウォッシュバーン訳を読むべき

ウェイリーは、『源氏物語』を世界文学へ押し上げた歴史的翻訳者です。

先例がほとんどない時代に、この巨大な古典を英語にし、世界で受け入れられた。

それだけでも途方もない大事業です。

しかし、約100年後の僕たちには、別の選択肢があります。

Dennis Washburn, The Tale of Genji

第1帖「桐壺」を比較しただけでも、その違いは鮮明でした。

『源氏物語』は54帖あります。

せっかく読むなら、

難解な英文を解読する54帖ではなく、面白い物語に没頭する54帖にしたい。

桐壺の更衣の悲劇から始まり、藤壺、夕顔、若紫、葵の上、六条御息所、明石の君、玉鬘、女三宮、そして宇治十帖へ。

千年前に紫式部が作り上げた巨大な人間ドラマを、現代の美しい英語で最後まで追いかける。

そのために僕がおすすめしたいのが、ウォッシュバーン訳です。

「源氏物語は難しそう」

と思っている人にこそ、むしろ英語で読んでほしい。

そしてKindleなら、気になる英単語をその場で確認しながら、あの巨大な54帖を1個の軽量な端末の中に持ち歩けます。

まずは第1帖「桐壺」 The Lady of the Paulownia-Coutyard Chambers を開いてみてください。

ウェイリーの歴史的価値を尊重しつつ、それでも僕は言います。

今、『源氏物語』を英語で読むなら、ウォッシュバーンを読むべき。

そして「桐壺」を読み終えたとき、おそらくもう第2帖へ進みたくなっているはずです。

Kindleでウォッシュバーン版 The Tale of Genji を手に入れて、54帖の長い旅を始めてみてください。

(「玉鬘十帖」から、僕たちの『源氏物語』ウォッシュバーン英語訳読書会のブログ記事を参照しながら、読んでいただければ、なお一層楽しめることは間違いありません。)

ウォッシュバーン『源氏物語』英語訳読書会
英語読書を愛し、英語訳を通じて『源氏物語』の面白さに気が付いたヒデと、幼少期から『源氏物語』を愛好し、圧倒的英語力を有するヒナさんによるデニス・ウォッシュバーン英語訳”The Tale of Genji”の読書会。英語を通じて『源氏物語』の真の面白さが明らかとなる。

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