ドストエフスキー『悪霊』英語訳比較読書会4 語り手は何者なのか――『悪霊』というChronicle(年代記)【全面的にネタバレ】

年代記を書き起こそうとしている羽ペンと紙。遠景にぼやけて見える人物。 ドストエフスキー『悪霊』英語訳比較読書会

(AIが生成したイメージ画像を使用しています。)

【※本記事は『悪霊』全編を読了したうえでの再読・考察記事です。結末を含む重大なネタバレがあります。『悪霊』を1周以上している、または、ネタバレをまったく気にしないという方々に向けた記事であることをあらかじめご承知おきください。】

英語とフランス語の読書が大好き、ヒデです。

ドストエフスキーの四大小説中、最難関である『悪霊』(Demons)。

今回も、2つの英語訳を比較しながら、この恐るべき小説の仕掛けを読み解いていきます。

前回の記事では、プーシキンの詩『悪霊』を引用した第1エピグラフについて、英語における人称や単複といった表現からもたらされる数々の疑問を検討しました。

ドストエフスキー『悪霊』英語訳比較読書会3 第1エピグラフ、プーシキンの『悪霊』が仕掛けた謎【全面的にネタバレ】
ドストエフスキー『悪霊』の第1エピグラフ、プーシキンの詩を英語訳・日本語訳で徹底比較。P&V訳、マグワイヤ訳、米川訳、江川訳、亀山訳から、単数・複数、一人称、語り手の謎を考察します。

ようやく、今回から本文を検討します。

そもそも、この一人称による小説を語っているのは誰なのか?

なぜ、自分の物語をわざわざ Chronicle(年代記)と呼ぶのか。

1周目には何の疑問も感じなかった冒頭第1段落が、2周目には不気味なほど意味深長に見えてきます。

読書会メンバーは次の3人。

まずは、冒頭、第1段落。

そこに、『悪霊』という小説の読み方を紐解く重要な情報が詰め込まれているのです。

(『悪霊』英語訳比較読書会のコンセプトはこちらを参照。)

ドストエフスキー『悪霊』英語訳比較読書会1 導入――ネタバレしてからが、本番だ。
ドストエフスキー英語訳比較読書会、2冊目の課題図書は、『悪霊』。四大小説中最難関の小説である一方、その実態からもたらされる衝撃は『罪と罰』『白痴』を超える。その実態に迫るためには英語訳の比較が不可欠。日本語訳の問題点も参照することで、さらなる深い理解を目指す。

(僕とコウキ君で実施している、ドストエフスキー英語訳比較読書会のコンセプトはこちら。)

ドストエフスキー英語訳比較読書会 Introduction
ドストエフスキー四大長編を複数の英語訳で読み比べ、その作品がもつ圧倒的な深みと魅力に迫ろうとする読書会の紹介記事。「罪と罰」「悪霊」の具体的な翻訳比較を通じて、英語で読む意義と新たな読書体験を提案します。

(僕とコウキ君がそれぞれ、なぜ、その英語訳を選択したかについては、次の記事を参照。)

ドストエフスキー英語訳比較読書会 Introduction 2―どの英語訳を読むべきか
ドストエフスキー英語訳比較読書会の導入記事の続き。どの英語訳を読むべきかについて、『白痴』の複数の翻訳を具体例に検討。P&V訳の優れた点とペンギンクラシックスシリーズのわかりやすさ。

冒頭第1段落を徹底比較――すべてはここから始まる

冒頭第1段落について2つの英語訳を比較してみます。

P&V訳(1-1-1冒頭第1段落)

In setting out to describe the recent and very strange events that took place in our town, hitherto not remarkable for anything, I am forced, for want of skill, to begin somewhat far back–namely, with some biographical details concerning the talented and much esteemed Stepan Trofimovich Verkhovensky. Let these details serve merely as an introduction to the chronicle presented here, while the story itself, which I am intending to relate, still lies ahead.

マグワイヤ訳(1-1-1冒頭第1段落)

As I embark on a description of the very strange events that recently occurred in our town, which until then had not been notable for anything, I am compelled, owing to my lack of experience, to begin in a rather roundabout way, namely, with a few biographical details concerning the talented and much-esteemed Stepan Trofimovich Verkhovensky. Let these details serve merely as an introduction to my proposed chronicle, whereas the story itself that I intend to tell is yet to come.

P&V訳とマグワイヤ訳の違い

ヒデ:
このくらいまとまった分量を比較すると、二つの英語訳の特徴がはっきり見えてきますね。

僕が読んでいるP&V訳は、ドストエフスキーの文章の雰囲気やニュアンス、ややくせのある表現まで、できるだけ残そうとしている印象があります。

コウキ:
自分の読んでいるマグワイヤ訳は、ペンギンクラシックスらしく、英語としてのわかりやすさをかなり意識していると思います。

例えば、

P&V訳の hitherto not remarkable for anything は、

マグワイヤ訳では which until then had not been notable for anything です。

意味はほとんど同じですが、マグワイヤ訳の方がすんなり頭に入ります。

ヒデ:
そうですね。

たとえば、P&V訳の、Hitherto は「それまで」という意味の、やや古風で格式のある副詞です。

P&V訳は、こういう表現を積極的に使うことで、19世紀ロシア文学らしい語り口を英語でも再現しようとしているように感じます。

一方、マグワイヤ訳は until then と平易に表現しています。

コウキ:
P&V訳の for want of skill と、

マグワイヤ訳の owing to my lack of experience も、

少し違いますね。

前者は文章を書く技量の不足、後者は経験不足という印象です。

ヒデ:
P&V訳は簡潔で硬い表現、

マグワイヤ訳は意味がわかりやすく具体化された表現、

という印象を受けます。

コウキ:
全体として、P&V訳がドストエフスキーの雰囲気を感じやすいように思う一方、マグワイヤ訳はわかりやすさを重視している印象を受けます。

冒頭第1段落に潜む疑問

冒頭第1段落の重要性――一人称小説がまずステパンを語る

ヒデ:
冒頭第1段落に、2つの英語訳で決定的な違いはなさそうです。

そのうえで、この冒頭には、注目すべき点が多数あります。

まず、この冒頭第1段落で『悪霊』が一人称の語り手によって語られる小説だとわかります。

小説の形式を指定する、非常に重要な情報です。

ただ、正直なところ、僕は1周目、それ以上には、何の違和感も覚えませんでした。

コウキ:
それは仕方ないと思います。

自分も、この第1段落によって、『悪霊』が一人称小説で、これからステパンという人物の紹介がされるんだな、くらいにしか感じませんでした。

ヒデ:
ところが、すべての出来事と結末を知って、2周目でこの冒頭第1段落を読むと、次から次へと疑問が湧いてきます。

最初にして最大の疑問は、なぜステパンの紹介から始めるのか、という問題です。

ただ、これは、『悪霊』全体に通じる極めて重要なテーマです。

ですから、ステパンについては、改めて一つの記事を使って検討したいと思いますので、ここではいったん置いておきましょう。

今回は、それ以外の問題に集中します。

僕が、英語訳を通じて気になったのは、次の4点です。

冒頭第1段落に隠された四つの問題

  1. 時間軸:recent や recently は、いつなのか?
  2. 語り手の現在:I am という現在形が示す「今」はいつなのか?
  3. 一人称複数:なぜ my town ではなく our town なのか?
  4. 作品の形式:なぜ語り手は自分の物語を chronicle と呼ぶのか?

「最近」とは、いつのことなのか?

ヒデ:
P&V訳では the recent and very strange events

マグワイヤ訳では the very strange events that recently occurred

どちらも「最近起こった奇妙な事件」という意味です。

コウキ:
最近という表現は共通していますが、いつのことなのか。

「最近」と一言で言っても、

数日なのか、数週間なのか、数か月なのか、数年なのか、

いずれもあり得ます。

recentではこれが特定できない。

むしろ、ごまかされている感じがします。

現在形の示す今とは

ヒデ:
しかも、recentと呼応するかのように、この冒頭第1段落では、明確な現在形が用いられています。

P&V訳、I am forced(強いられている)、

マグワイヤ訳、I am compelled(駆り立てられている)、

若干ニュアンスが違う気もしますが、いずれにせよ、今、現在、なにかしらの外的な力によって書かされているという雰囲気は共通します。

コウキ:
自分も、I am は気になりました。これ以上ないはっきりとした現在形です。

語り手が過去の出来事を振り返りながら、今まさに文章を書いていることが強調されます。

ヒデ:
語り手に、現在、どのような外圧が作用して、この小説を書かされているのか。

今の語り手の状況がとても気になる書きぶりですよね。

なぜ「私たちの町」なのか?

コウキ:
前回の記事で、ヒデさんは、一人称複数に強いこだわりを示していらっしゃいましたね。

たしかに、Our town という表現も、言われてみれば気になります。

ヒデ:
前回のプーシキンの詩でも、一人称複数を指摘しましたが、まさにその原因の一つが、この、

Our town

という表現です。

これだけを見ると、なにも不自然ではない、ありふれた表現に思えます。

ところが、ourという表現からは、自分自身である「I」を中心としてどの範囲までの人々が含まれているのかが判然とせず、ぼやけてしまうのです。

日本語訳では見えにくくなる「時制」

ヒデ:
こういった、英語訳を読んでいて感じる問題点について、日本語訳はいかがでしょうか。

ロキ:
前回の記事でも触れたけど、日本語訳を普通に読んでいると、人称の問題はあまり意識できないと思う。

ヒデ:
日本語は、英語のように主語を明示することが求められませんからね。

ロキ:
そう。

日本語では、一人称の主語を省略しても自然に文章が成立しちゃう。

だから、一人称単数とか、一人称複数といった区別も、ほとんど表面に現れない。

ヒデ:
時制はいかがでしょうか。

ロキ:
時制は人称以上に意識することができないね。

一応、日本語にも現在と過去の区別はある。

日本語訳で時制がまったく表現できないというわけではない。

しかし、日本語において、ヨーロッパ系の言語に見られる、現在形、過去形といった、時制表現に対する厳格なこだわりはない。

だから、英語訳で明確に時制が切り替わっている部分について、日本語訳で注意をひかれることはあまりないな。

実際、私も、1-1-1冒頭で特に注意をひかれたことはなかったと思う。

現在形の重要性――カズオ・イシグロ作品との対比

ヒデ:
僕は、ドストエフスキーの作品を英語訳で読むべき大きな理由の一つが時制だと思います。

過去形は小説の基本スタイルといえます。

そして、原則的に過去形で表現される小説に時折登場する現在形には、語り手の現在を示す非常に重要な意味があります。

これを典型的に示すのが、次の2つのカズオ・イシグロ作品です。

いずれもスタイリッシュ英語読書会の課題図書でした。

  • Never Let Me Go(『わたしを離さないで』)
  • Klara and the Sun(『クララとお日さま』)。

どちらも、一人称の小説です。

コウキ:
上記2作品は、スタイリッシュ英語読書会で議論しましたが、現在形の使い方が見事だったと思います。

自分も、イシグロが、希代の語り手であり、類稀な英語の使い手であることがよくわかりました。

ヒデ:
そうでした。

両作品とも、誰が、いつ、どのような認識のもとで語っているかが作品の核心に関わっていましたね。

ちなみに『クララとお日さま』については、いずれスタイリッシュ英語読書会の記事でも詳しく紹介する予定です。

教養として武器となる英語読書を目指す読書会。スタイリッシュな英語図書をスタイリッシュに読みこなし、カッコいい読書歴を形成する。
社会の第一線で活躍し、深い教養と高い英語力を有するメンバー達が、より高みを目指し、村上春樹やカズオ・イシグロ、ジョージ・オーウェルなど、スタイリッシュな英語作品を、スタイリッシュに楽しんでいく。

コウキ:
『悪霊』冒頭に意識的に組み込まれた現在形に照らし、これを単純な事件の記録として読むわけにはいかない気がしてきました。

ロキ:
なるほど。

過去形で語られる英語小説の場合、たまに織り込まれる現在形には特別な印象があるんだね。

日本語がそうした時制の違いを認識しにくい言語であることは、ドストエフスキー鑑賞という面からは少し残念だな。

Chronicleとは何か――語り手が自ら選んだ年代記という形式

ヒデ:
冒頭第1段落で、語り手は自分の物語を Chronicle と呼んでいます。

およそ小説において、一人称小説という形式はまったく珍しくありません。

しかし、自分が書いているものをわざわざChronicle(年代記)と位置づけるのは珍しい。

まず、英英辞書をもとに、その意味を正確に押さえておきましょう。

Chronicle (名詞)
a factual written account of important or historical events in the order of their occurrence.

重要な出来事や歴史的事件を、起こった順序に従って記述した事実の記録。

Chronicler(名詞)
a person who writes accounts of important or historical events.

重要な出来事や歴史的事件を記録する人。

コウキ:
つまり、Chronicle は、

Storyやtaleとは明らかに違うわけですね。

語り手が自由に語るのではない。時系列に従って記録する。

ヒデ:
そうです。

だからこそ、語り手がこの言葉を選んだことには意味があるはずです。

コウキ:
しかし、冒頭からステパンの紹介ですよね。

できごとを時間順に記録するという形式のわりには、最初から遠回りです。

ヒデ:
まったくです。

語り手は、最近起こった奇妙な事件のChronicleを書こうとしている。

それなのに、1周目の読者からすると、語りの意図がわかりにくい。

そして、Chronicleであるにもかかわらず、時系列がわかりにく過ぎるのです。

「私は正確に記録している」――欺瞞に満ちたChroniclerの自己弁護

本文で、唯一、語り手が自分自身を Chronicler と呼ぶ箇所があります。

1-2-6です。

P&V訳(1-2-6)

As a chronicler, I limit myself simply to presenting events in an exact way, exactly as they occurred, and it is not my fault if they appear incredible.

マグワイヤ訳(1-2-6)

As a chronicler, I am confining myself solely to presenting incidents in the exact form in which they occurred, and I am not at fault if they seem improbable.

自己弁護に対する疑問

コウキ:
これは、かなり気になりますね。

P&V訳は in an exact way, exactly as they occurred。

Exact が繰り返されています。

ヒデ:
「私は年代記作者として、出来事を起こったとおりに正確に記録しているだけだ」

そこまでは、年代記作者の言い分としてわかります。

しかし、問題はその後です。

It is not my fault if they appear incredible.

「それが信じられないように見えたとしても、私の責任ではない」

コウキ:
マグワイヤ訳でも、I am not at fault if they seem improbable ですね。

「ありそうもない話に思えても、私の責任ではない」

まるで最初から予防線を張っているみたいです。

ヒデ:
1周した僕たちは知っています。

『悪霊』本編が、Chronicleとしてあまりにもわかりにくいことを。

そのため、2周目、僕がこの文章を読んだ際、どうしても疑いが生じてきました。

なぜ、わざわざ「私は正確に記録しています」と宣言する必要があるのか。

なぜ「信じられなくても私の責任ではない」と言い訳するのか。

そして、結果的に、なぜ、これほどわかりにくいChronicleとなったのか。

コウキ:
読者が信じてくれないかもしれない、という不安があるわけですね。

でも、それはそうです。

だって、年代記としてみたときに『悪霊』ほどわかりにくい本はなかなかないです。

普通の年代記なら、

「●月×日~が起きた」

とはっきり書くと思うんですよね。

出来事を日付や順番を明確にして、淡々と叙述していくのが本来の年代記ではないでしょうか。

むしろ、自分には、語り手が何かをごまかしているように感じられます。

語られる情報の種類

ロキ:
私も、英語におけるChronicleに対する疑問ほどはっきりはしていないけど、気になることがある。

1周した人はわかると思うけど、語り手が知りようもない事実が、すごく詳細に語られることがあるんだよね。

日本語訳で読んでいるからなのかもしれないけど、もはや三人称小説なのではないかと思われる箇所がたくさんある。

コウキ:
確かに。

語り手が知りえないはずの情報が相当盛り込まれていたように思います。

一人称小説という設定をドストエフスキーがうっかり忘れてしまい、間違えて記載してしまったのではないでしょうか。

ロキ:
同感だね。私も、『悪霊』は一人称小説として破綻していると思う。

まあ、ありていに言えば、設定ミスだね。

ヒデ:
お二人のご指摘もわかります。

『悪霊』を1周すると、語り手が知るはずがない情報が非常に詳細に語られているように見える。

しかし、僕は、ドストエフスキーがそんなミスをするとは到底思えない。

そこにはなにがしかの意図があり、説明がつくと思うんです。

むしろ、そのためにChronicleという形式を冒頭で宣言したように思います。

Chronicleとすることで、語り手は、

  1. 自ら経験した事実
  2. 第三者から伝え聞いた事実

を盛り込むことができるようになると思うのです。

本文で語られる情報を上記のいずれに分類することができるかは、これから追々検討を進めたいと思います。

まずは、語り手の情報をできるだけ整理してみましょう。

語り手のLast Name――G―v

『悪霊』の語り手には、名前があります。

しかし、その名前は、語り手が自己紹介する形では明かされません。

まず、1-3-3です。

P&V訳(1-3-3)

“Perhaps you’re bored with me, G―v”(that is my last name), “and would prefer … not to come to me at all?”

マグワイヤ訳(1-3-3)

‘Perhaps you are bored with me, G―v,’ (that’s my surname), ‘and you would like…not to come to visit me at all?’

ステパンによる呼びかけを伏せる意味は?

ヒデ:
これはステパンのセリフです。

語り手に対して、G―vと呼びかけています。

そして、語り手が括弧書きで説明する。

That is my last name.

それが私の姓である、と。

コウキ:
おかしいですね。

名前を明かすなら、普通に全部書けばいいのに。

ヒデ:
そうなんです。

わかるのは、姓がGで始まり、vで終わるということだけ。

その他は伏せられており、正確なlast nameはわからないようになっている。

コウキ:
そもそも、年代記として、正確に事実を記録するのであれば、記録者としての自分の情報も正確に示すべきで、自分の姓を隠す必要があるんでしょうか。

ヒデ:
しかも、語り手は地の文で自分の姓名を記載するのではなく、他人のセリフを通じて、自分の存在を読者に知らせている。

まるで、カメラをずっと他人に向けている人物が、たまたま鏡に映り込んだような感じですね。

リーザが明かす語り手の情報――Confidantという重要単語

そして、次の場面では、リーザによって、さらに重要な情報が明らかになります。

1-3-7。

リーザが語り手に話しかける場面です。

P&V訳(1-3-7)

“I know, I know,” she said, “I’m very glad. Maman has also heard a lot about you. And let me also introduce you to Mavriky Nikolaevich, he is a wonderful man. I’ve already formed a funny idea of you: you’re Stepan Trofimovich’s confidant, aren’t you?”
I blushed.

マグワイヤ訳(1-3-7)

‘I know, I know,’ she said, ‘I’m very glad. Mother has also heard a great deal about you. Let me introduce you Mavriky Nikolayevich as well. He’s a splendid fellow. I’ve already formed an amusing notion of you; aren’t you Stepan Trofimovich’s confidant?’
I flushed.

Confidantの意味

ヒデ:
ここで注目したいのは、Confidant という英単語です。

日常的な英会話では、それほど頻繁に出てこない単語ですね。

しかし、この単語はP&V訳とマグワイヤ訳が一致しています。

コウキ:
ということは、原文にぴったりの英単語ということなんでしょうね。

ヒデ:
まず英英辞書で、単語としての意味を確認しましょう。

Confidant(名詞)
a person with whom one shares a secret or private matter, trusting them not to repeat it to others.

秘密や私的な事柄を打ち明け、それを他人に漏らさないと信頼している相手。

日本語には、ぴったりくる単語はありませんね。

コウキ:
あえて言うなら「腹心の友」とかでしょうか。あまり自然な日本語とは言えませんが。

ヒデ:
この単語には、秘密を共有するほど親密な相手という意味がこめられています。

しかも、リーザはこう言っています。

I’ve already formed a funny idea of you.

「あなたについて、もう面白いイメージができあがっているの」

funnyという表現からは、からかいの対象となるような、相当特殊な関係性が想起されます。

コウキ:
なるほど。

一般的な「友達」程度の、普通の関係性を示す単語ではからかうことになりませんね。

Confidantを日本語訳すると?――三つの翻訳の大きな違い

リーザによるこの語り手とステパンの特殊な関係性に関する指摘について、日本語はどのようになっているでしょうか。

ロキ:
この Confidant に相当する部分の日本語訳は、面白いほど割れていた。

3つの日本語訳を比較すると、こうなる。

翻訳者訳語
米川正夫訳相談柱
江川卓訳個人秘書
亀山郁夫訳相談役

コウキ:
これは、日本語訳、割れましたね。

ヒデ:
まず、米川訳の「相談柱」。

これはかなり独特な表現で、相当な苦労があったと察します。

しかし、こんな日本語はないと言わざるを得ません。

ただ、秘密を共有するほど頼りにする相手、内密にしたい相談を持ちかける相手というニュアンスを、なんとか日本語に移そうとした努力には敬服します。

ロキ:
江川訳の「個人秘書」は、関係が具体的でわかりやすくなるけど、confidantが言いたいこととは印象が違ってしまうね。

ヒデ:
そもそも、Confidant は、職業名ではありません。

「個人秘書」としてしまうと、ステパンと語り手の間に、雇用関係や職務上の役割があるかのような印象を与えかねません。

しかも、秘書だからと言って、秘密を分け合う親密な関係とは限りません。

コウキ:
亀山訳の「相談役」も大きくニュアンスを外してしまっている気がします。

「相談役」というと、会社の役職のようにも聞こえますし、最も重要な要素である、「秘密を共有する」という点への配慮が全くないように感じます。

ヒデ:
亀山訳からは、翻訳における悩みをまったく感じません。ニュアンスを伝える努力を放棄したということでしょうか。

Confidantのロシア語原文は?

ロキ:
それにしても、confidantに対応する適切な日本語は思い浮かばないな。

ロシア語原文がどうなっているか確認してみる……。

そしたら、ロシア語原文は、

конфидент(konfident)

だった。

これは、まさに、秘密を打ち明けられる人物、内密な相談を受ける人物を意味する単語で、ロシア語からみて外来語になるらしい。

フランス語の confident ともつながる語で、英語の confidant と非常に近い意味を持っているということみたい。

そうすると、P&Vとマグワイヤが揃ってconfidantと訳すのは当然だね。

英語訳であれば正確な関係性をつかめる

ヒデ:
やはり、この単語からも、英語訳で読むべき理由がはっきりしますね。

そもそも、英語のconfidantは、ロシア語原文の語源となる単語なのですから、正確な理解につながるのは当然です。

少なくとも、リーザの目からは、語り手がステパンと秘密を分かち合う特別な関係にあったことが読み取れます。

そうすると、この語り手は、登場人物たちとの関係性について、完全に中立の第三者ではないこともはっきりしてきました。

語り手の職業――公務員?

次に、語り手の職業についても、情報が与えられています。だからこそ、confidantを「個人秘書」や「相談役」などといった職業を連想させる日本語で訳すことは不適切なのです。

語り手の職業に関する英語訳を確認します。

1-4-1です。

P&V訳(1-4-1)

(リーザのセリフ)
Mr. G–v, is in the civil service,

(語り手自身のセリフ)
No, madam, I am in the civil service …

ヒデ:
ここでは、語り手の職業が示されています。

The civil service。

公務員ですね。

コウキ:
マグワイヤ訳でも the civil service で一致しています。

ここは翻訳上の問題はなさそうです。

ヒデ:
そうですね。

しかし、僕はここでも少し気になることがあります。

どちらもセリフの中で語られているんです。

コウキ:
何が気になるのでしょうか。

ヒデ:
リーザが語り手の職業を説明する。

そして、語り手自身も自分は公務員だと述べる。

ところが、いずれも、語り手が地の文で自分の職業を客観的に説明しているわけではありません。

コウキ:
自分自身が公務員だと言っているのなら、公務員と考えてよいのでは?

ヒデ:
もちろん、普通はそう考えます。

しかし、2周目の読書において、語り手に対する疑いが生じてくると、この情報も怪しくなってきます。

語り手が公務員というのは、リーザの認識に過ぎない。

語り手が自らを公務員と称するのは、建前に過ぎない。

もし、そうだとすると、本当は――。

公務員という立場が持つ意味

コウキ:
でも、語り手が公務員だということが、それほど重要なのでしょうか。

ヒデ:
僕は、非常に重要だと思います。

『悪霊』の舞台は、ロシア帝国の地方都市です。

そこには行政機関があり、官吏がいて、地方の有力者がいて、さまざまな人間関係がある。

公務員、すなわち、行政官吏であるということは、語り手がそうした社会の制度や人間関係と接点を持っている可能性を示します。

コウキ:
語り手の社会的立場、

語り手がどのような人たちから、どのような情報を得るか、考える材料にはなりますね。

ヒデ:
そのとおりです。

ただ、the civil serviceと示されるのみで、その具体的な地位や職務内容は全く語られていません。

今後、語り手の地位・職務内容を推し量っていく必要がありそうです。

語り手のFirst NameとPatronymic――名前を明かすのもリーザ

ロシア人の名前を読むときには、基本的な構造を理解しておくと便利です。

一般的なロシア人の姓名は、次の三つの要素から構成されます。

要素語り手の場合
First nameAnton
Patronymic(父称)Lavrentievich
Last name / SurnameG―v

Patronymic(父称)は、父親の名前に由来します。

19世紀ロシアの社会では、名と父称を組み合わせて呼ぶことが、丁寧な呼びかけとして広く用いられていました。

例えば、ステパンの息子ピョートルは、

ピョートル・ステパノヴィチ

といった具合です。

そのうえで、語り手のlast nameとPatronymicは、リーザのセリフから明らかになりました。

P&V訳(1-4-1)

She turned to me.

“Anton Lavrentievich … “

…

“Anton Lavrentievich, talk for a while with Mavriky Nikolaevich.

P&V訳(1-4-3)

“… Mavriky Nikolaevich, Anton Lavrentievich is leaving. …”

コウキ:
すべてリーザのセリフですね。

ヒデ:
そうなんです。

語り手の名がアントンであり、父称がラヴレンチエヴィチであることは、リーザの呼びかけによって明らかになります。

Chroniclerは、何を語り、何を語らないのか

コウキ:
この語り手は、自分のことをあまり語りません。

年代記の作者なのに、名前も、職業も、他人との会話を通じて少しずつ明らかになる。

なぜなんでしょうか。

ヒデ:
僕は、2周目を読み始めた段階では、『悪霊』の語り手、すなわち、

Anton Lavrentievich G―v

の意図について、はっきりしたことはわかっていませんでした。

しかし、漠然と、不穏なものを感じていたのです。

事件の中心に近づこうとしながら、自分自身の姿だけはできるだけ目立たせないようにしている――。

一方で、語り手は、自分自身の情報を完全に排除しているわけではない。

登場人物のセリフを通じて、わずかに示される情報。

それは――、

年代記として必要な情報なのか、

それとも、語り手自身が、その場面に特別な意味をみいだしているのか。

1周目では、ほとんど全くわからない。

2周目になって初めて、語り手が示す情報に偏りがあることに気が付いてくる……。

コウキ:
事件を正確に記録すると宣言している人物が、実際には何を選んで記録しているのか。

ヒデ:
Chroniclerは、何を書くか、何を書かないかを選択する。

その選択には、Chroniclerの目的、価値観、関心が反映される。

『悪霊』というChronicleには、何が語られ、何が語られていないのか。

語り手の何が反映されているのか。

これを明らかにしていく必要がありそうです。

次回予告――語り手の描く美しきリーザ

さて、今回の議論で、語り手の輪郭がわずかに見えてきました。

しかし、語り手の意図は、まだまだ、五里霧中の状態です。

それでもヒントはある。

語り手の情報は、主にリーザのセリフを通じてもたらされました。

そのセリフをChronicleに設置したのは、語り手自身です。

では、語り手が、Chronicleにおいてリーザを語る意味とは。

リーザは『悪霊』の中で、圧倒的な美貌を持つ女性として描かれます。

そして、僕がドストエフスキー作品中、最も愛するヒロインの一人です。

ロキ:
……、ヒデの、リーザに対する愛は放っておくとして、

その美しさは、語り手、アントン・ラヴレンチエヴィチを通じて語られるってことだよね。

コウキ:
確かにそうですね。

語り手は、自分の記録を Chronicle と呼んでいる。

事件を正確に記録すると宣言している。

ところが、リーザの美しさというのは、歴史的な事実ではない。

評価です。

何を美しいと感じるか。

どのような表情に心を動かされるか。

何を魅力的だと感じるか。

こうした感覚は、客観的な事件の記録とは明らかに性質が異なるように思います。

ロキ:
つまり、リーザの美しさの描写から、語り手自身の感情が見えてくる可能性があるってことか。

コウキ:
リーザに関する描写が、単なる美女の描写ではなく、語り手自身を知るための手がかりになるわけですね。

ヒデ:
まさにそのとおりです。

僕がリーザを検討したいというのは、決して、僕がリーザを愛しているからという理由によるのではありません。

『悪霊』読解において、リーザの検討が極めて重要だと思うからです。

さて、今回の記事で、2026年2月に実施された『悪霊』英語訳比較読書会第1回の議論の紹介は終了です。

次回から、2026年3月に実施された第2回での議論を紹介していきます。

『悪霊』は、1周して、何が起きたかを知ってから読むのが、本当に面白い。

リーザの運命を知ったうえで振り返る僕たちを待ち受けるものとは。

次回、『悪霊』英語訳比較読書会5

「語り手の描く美しきリーザ」

ご期待ください。

このブログ読者の皆様も、僕たちと一緒に、英語でドストエフスキーの世界を楽しんでみてください。

ぜひ、皆様のご意見、ご感想、解釈などをコメント欄で教えてください。

僕たちと異なる意見も大歓迎。英語を通じてドストエフスキーの真髄に迫りましょう。

(『悪霊』英語訳比較読書会の記事一覧はこちら。)

ドストエフスキー『悪霊』英語訳比較―翻訳の比較を通じた徹底考察
ドストエフスキー『悪霊』を英語で読む!ピヴィアー&ヴォルコンスキー訳とマグワイア訳を比較し、日本語訳との違い、登場人物、思想、伏線、出来事の時系列を徹底考察。難解な大作の真の面白さに迫る英語訳比較読書会。

(ドストエフスキー英語訳関連記事の一覧はこちら。)

ドストエフスキーを英語で読む―おすすめ英語訳・翻訳比較・読書会
ドストエフスキーの『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』を英語で読む。ペンギンクラシックスやピヴィアー&ヴォルコンスキー訳など、複数の英語訳を比較し、作品の魅力や翻訳選びのポイントを紹介します。

(次に読む一冊が、きっと見つかる。ヒデ厳選のコンテンツをAmazon Storeでチェック。)

(洋書を圧倒的にお得な価格で読むには、Kindle Unlimited)

(洋書の音源を圧倒的にお手軽かつお得に入手するには、Audible)

(洋書の映像化作品を観るには、AmazonPrimeに加入してPrime Videoで視聴するのがおすすめ)

コメント

タイトルとURLをコピーしました