英語訳村上春樹『1Q84』10 天吾の内面――青豆の手、『猫の町』、父 スタイリッシュ英語読書会17【Book 2, Chapter 4, 8に言及】

1984年頃の房総半島、千倉町の上空からの風景をイメージ 村上春樹英語訳

(AIが生成したイメージ画像を使用しています。)

【この記事では、英語訳『1Q84』Book 2, Chapter4, 8に言及します。】

英語とフランス語の読書が大好き、ヒデです。

今回も、2025年8月に実施されたスタイリッシュ英語読書会、英語訳『1Q84』第3回の議論を紹介していきます。

今回取り上げるのは、天吾の視点から語られる次の二つの章です。天吾の内面を形成する二つの重要な要素に注目して議論を進めていきたいと思います。

Book 2

  • Chapter 4:IT MIGHT BE BETTER NOT TO WISH FOR SUCH A THING
  • Chapter 8:TIME FOR THE CATS TO COME

前回の記事では、青豆とLeaderが対面し、青豆の世界に関する謎がいよいよ深まり、読者である僕たちは迷宮の中心部に入り込んだ感覚に陥っていました。

英語訳村上春樹『1Q84』9 標的と対面する青豆――崩れ行く境界 スタイリッシュ英語読書会16【Book 2, Chapter 9, 11に言及】
英語訳『1Q84』の青豆視点であるBook2, Chapter 9, 11を読んで、青豆が対面した標的であるはずのLeaderの印象、青豆とLeaderの間で交わされる謎に満ちた会話。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』「大審問官」が引き合いに出される。その意味を推し量ることは極めて困難。英語訳村上春樹『1Q84』9番目の記事、スタイリッシュ英語読書会16番目の記事。

今回は、もう一つの迷宮、天吾です。

天吾という男は、いったい何を考えて生きているのか。

数学に秀で、小説を書く才能にも恵まれ、女性との関係にも不自由していないように見える。

しかし、何かが欠落している。

そんな天吾の内面を形作っているのは、

10歳の頃に手を握ってくれた少女、青豆の思い出。

そして、NHKの集金人だった父親との、決して幸福とはいえない幼少期の記憶。

今回は、この二つの記憶をめぐって、読書会メンバーたちが抱いている感覚を共有してもらいました。

もはや、天吾の内面を理論的に把握することが極めて困難であることは明らか――。

今回も、話し合うのは、あくまで各自の直感。

決して「正解」を求めるものではありません。

論理的な根拠も、まったく不要。

「なんとなく」でいい。

むしろ、僕は、メンバー各自が抱いたその直感にこそすがりたい。

というわけで、今回も、

読書は絶対的に自由である。

各自の第一印象を絶対的に尊重する。

この方針のもと、思う存分、メンバーたちの直感を語り合ってもらいました。

メンバーたちからは今回も多様な捉え方が提示されました。

天吾の内面から導かれるのはさらなる混沌に思えますが――、

メンバーたちの鋭い視点が重なり合い、青豆とLeaderとの対話と呼応するかのように、何か重大な秘密が明らかとなる予感がしてくるから不思議です。

(Book 1の議論、英語訳『1Q84』読書会のコンセプトや、メンバー紹介についてはこちらの記事を参照。)

英語訳村上春樹『1Q84』1 なぜ、2冊目で40万語の超大作に挑んだのか スタイリッシュ英語読書会8【ネタバレなし】
村上春樹『1Q84』英語訳の魅力、スタイリッシュ英語読書会2冊目の課題図書に選んだ理由、読書会の進め方、最初の、冒頭のタクシーに関するテーマ設定。

Chapter 4 青豆の思い出――天吾の愛は気持ち悪い?

10歳の少女が握った左手

ヒナ:
私は、Chapter 4の冒頭から気になります。イタリックで表記された第1文を見てください。

Where is she now, and what could she be doing? Does she still belong to the Society of Witnesses?

Chapter 4は、天吾の内的独白から始まります。

かつて小学校で同級生だった青豆は、今どこで何をしているのだろうか。

ここから、天吾の意識は、約20年前の記憶へと遡っていきます。

青豆が自分の左手を強く握った、あの瞬間。

わずかな時間の出来事だったはずなのに、その感触は何日も消えなかったというのです。

女性目線で読んだとき、Chapter 4の天吾の気持ち悪さは、如何ともし難いものがあります。

ヒデ:
ヒナさんの天吾に対する嫌悪感は相変わらずですね。今回はどういった問題があるのでしょうか。

ヒナ:
内面が最悪なんです。

10歳の少女に手を握られた記憶を、20年以上も後生大事にしている。それだけでも、相当しつこくて嫌な感じがします。

そのうえ、本当に最悪なことに、天吾は、その記憶を自らの性的な目覚めと結びつけているんです。

小学生の女の子だった青豆の身体の発育についてまで、いやらしく具体的に記憶しています。

これ、男性目線からすると、本当にあり得ることなんですか?

ヒデ:
ヒナさんの批判はたいへん耳に痛いところではあるのですが、僕の私見を述べさせていただきます。あくまで、僕個人の感想です。

この天吾、めちゃくちゃリアルです。

ヒナ:
……(怒)。

ヒデ:
いやいやいや、そんなに蔑んだ目で見ないでください。

これは決して、そんなに、やましいことではないと思うのです。

思春期の入り口にいる少年にとって、異性との何気ない接触が、非常に強烈な記憶として残ることは十分あり得ると思うのです。

それが自分の性的な目覚めと結びついていたとしても、僕には不自然には感じられません。

その思春期の体験が性的な情動の核心を形成し、その後の男性の性的な傾向を決定づけることは確かにあるのです。

むしろ村上春樹は、男性の内面の、あまり人に話したくない部分を、驚くほど生々しく、説得的に描いていると思います。

マイ:
ちょっと待って。

てことは、ヒデにも、天吾と同じような内面があるってこと!?

ヒデ:
いやいやいや、そういうことではないです。

僕の内面の問題は、あくまで僕のプライバシーの問題ですので、ここでは一旦置いておきましょう。

僕が申し上げたいのは、天吾のキャラクターが、あくまで一般論としてですが、あり得る男性像であり、同じ男性の目線から見て、非常に説得的なキャラクター造形だということです。

男性諸君もそう思いませんか?

コウキ:
自分は、この論点についてはノーコメントでお願いします。

タク:
僕も、黙秘します。

ただ、男から見た男性キャラクターとして、天吾が「説得的なリアリティ」を有していることは確かなように思います。

これは、女性陣が青豆を「男の妄想」と断じていたことと好対照なのではないでしょうか。

マイ:会いたい。でも、実際に会ったらがっかりするかもしれない…って、何様!?

マイ:
私は、次の天吾による独白がすごく気になる。

すごく苛立ちを覚えたんだけど。

I might be disappointed if I actually met her.

実際に青豆と再会したら、がっかりしてしまうかもしれない。

……これ、ひどすぎない?

天吾は、20年以上も青豆を妄想し続けているんでしょう?

さんざん、勝手に妄想で美化しておいて、実際に会ったらがっかりするかもしれないって……。

しかも、天吾自身だって、こんなウジウジした生活しているんだから、小学校の頃に天吾に好意を抱いていた女子からがっかりされる可能性が高いはず。

自分を棚に上げて現在の青豆にがっかりするかもなんて、いったい何様なの?

ヒデ:
マイさんのお怒りもごもっともです。ただ……。

マイ:
まさか、ヒデ、これも共感できるって言うの?

ヒデ:
恐縮です。実は、結構共感できます。

思春期の少年が、現実にはほとんど接点のない少女に対して、頭の中でさまざまな想像を膨らませていく。

数十年の時を経て、その記憶が美化されればされるほど、現実の彼女に会うことが怖くなる。

これは、男の性(さが)、特に、僕のようなモテない男にありがちな傾向のように思います。

ですから、これは、必ずしもその美化した相手を軽んじているということではないと思うんです。

要は、天吾も普通の男であるということのように思います。

それでも、あえて、少し不自然かなと思うのは、天吾はそれなりにモテる男であることですかね。

天吾は、年上既婚女性との関係も含め、女性関係に苦労していなかったと思われ、そんなモテる男が小学校の頃の記憶に固執しているのは若干不自然に思います。

ヒナ:
しかも、天吾は、青豆を勝手に美化しているだけで、実際に青豆にアプローチする努力をしていませんよね。

そういった後ろ向きな姿勢にも苛立ちを覚えます。

ヒデ:
そうですね。その批判はその通りだと思います。

青豆のことをそれほど長く思っているのであれば、実際に青豆に会うために何らかの行動をとるべきだったでしょう。

そうした行動的な男の方が魅力的だとは思いますが、現実には、そうした行動ができる強い男ってそんなに多くないように思います……。

そういう意味でも、やっぱり、天吾はリアルです。

Chapter 8 『Town of Cats』――猫の町が象徴するもの

天吾、房総半島の千倉へ

さて、Chapter 8、天吾は突然、父に会いに行くことを決意します。

目的地は、房総半島の千倉。

かつてNHKの集金人として働いていた父は、現在、千倉の療養施設で暮らしています。

天吾にとって父親とは、決して温かな存在ではありません。

子供の頃、日曜日になると父親に連れられてNHKの集金に出かけた、あの陰鬱な記憶。

そんな父親と、久しぶりに対面する。

ところが、千倉に向かう列車の中で天吾が読む短編小説が、父との対面以上に天吾の内面に重要な影響を与えていそうな気がするのです。

その小説が、『Town of Cats』。

猫の町。

この短編小説が、いったい何を象徴しているのか。

マイ:短編として面白い『Town of Cats』

マイ:
この『Town of Cats』、普通に短編小説として面白かった!

ヒデ:
村上春樹が短編の名手でもあることがよくわかりますね。

僕も、非常に完成度の高い作品だと感じました。

物語の主人公は、一人の青年です。

彼は列車で旅をしている途中、ある町の駅に降り立ちます。

ところが、その町には人間の姿がありません。

やがて彼は、奇妙な事実に気づきます。

夜になると、猫たちが町に現れるのです。

しかも、その猫たちは、人間のように町で生活している。

猫たちの町。

青年は、この不思議な光景に魅了されてしまいます。

タク:
一読者としては、さっさと帰ったほうがいいと感じるのですが……。

ヒデ:
主人公は、よせばいいのに町にとどまってしまう。

まあ、小説としては当然の展開ですね。

読者としては、もう嫌な予感しかしない。

やがて、猫たちは町に人間の匂いが残っていることに気づきます。

町のどこかに、人間が隠れている。

猫たちは、青年を探し始めます。

マイ:
そこで、私は、次の場面が、とてもスリリングでなおかつ面白いと感じた。

But for some reason they did not see him. He brings his hand to his hand to his eyes and can see it perfectly well. It hasn’t turned transparent. Strange.

猫たちが、目と鼻の先まで近づいてくる。

もう絶対に見つかると思う。

ところが、猫たちが、青年のすぐ近くまで来ているのに、彼を発見できない。

青年は自分の手を見つめる。

ちゃんと見える。

透明人間になったわけではない。

それなのに、猫たちには見えない。

これは、いったいどういうことなんだろう?

タク:
主人公の身体は確かに存在しているのに、猫たちには認識できない。

物理的に見えないというより、猫たちの世界の中で、彼の存在が認識の対象になっていないようにも感じられますね。

コウキ:
同じ場所にいるのに、存在する世界が違う、ということですか。

タク:
面白い説明ですね。確かに、そういう解釈もできる気がします。

違う世界にいるはずの人間が列車によってやってきて、存在を認識されない。

しかし、かすかに匂いがつながる。

本来つながっていないはずの世界が何かの拍子につながり始めている。

けれどもつながり切っていない……。

こうした状況には何か、象徴的な意味合いがありそうな気がします。

ヒナ:青豆の状況が象徴されている?

ヒナ:
私は、これを読んで青豆のことを思い出しました。

青豆は、1Q84に入り込んでいますよね。

青豆も「猫の町」の青年と同じような状態に置かれているのではないでしょうか。

青豆は、1Q84における違和感や、空の光景などを誰とも共有できていない。

普通の1984年から来たということを誰からも認識してもらえていない、孤独な状況。

ところが、青豆は、次章Chapter 9でLeaderと対面を果たす――。

ヒデ:
なるほど。『Town of Cats』は、Chapter 7までの青豆の置かれている状況を象徴しているというわけですね。

マイ:
確かに。

『Town of Cats』において、異世界を支配する者が猫だとすると、1Q84における支配者は、

Little Peopleなのか、

Leaderなのか……。

わからなくなってきたね。

タク:
ヒナさんのご指摘はとても面白いと思います。

猫の町の主人公は、当初、自分の意思で町に降り立っていますよね。

誰かに連れてこられたわけではない。

好奇心に従って町に入り、そこにとどまることを自ら選んだ。

でも、ある時点から、自分の意思では出られなくなる。

ヒナ:
はい。タク君が指摘する通り、そこも青豆と共通しているように感じられるんです。

青豆の場合、首都高速道路の非常階段を降りたのは、一応、自分自身の判断でしたよね。

自分で選んだ道なのに、気づいたら帰り道が消えている。

マイ:
確かにそこも共通だね!

コウキ:irretrievably lostを定義している?

コウキ:
自分は、『Town of Cats』の終盤に登場する、この表現が気になりました。

He knows that he is irretrievably lost. This is no town of cats, he finally realized. It is the place where he is meant to be lost. It is a place not of this world that has been prepared especially for him.

ヒデ:
これは皆様気になったのではないでしょうか。

当然、irretrievably lostという表現が気になりますよね。

Chapter 6における天吾とMr. Yasudaとの電話の場面で意識的に用いられていたこの表現が、ここでもう一度登場する。

Irretrievably は、「取り返しがつかないほど」「回復不可能なほど」という意味の副詞です。

Lost と組み合わせれば、単に「なくした」というのとは明らかに異なる強い意図が込められた表現と読めるようになります。

もう元の場所には戻れない。

自分がどこにいるのかも、どうすれば帰れるのかもわからない。

そんな、絶望的な喪失を表現しているように感じます。

コウキ:
自分は、『Town of Cats』の主人公の状態が、英語訳『1Q84』における、

irretrievably lostの定義

であるように感じられました。

現実世界とは異なる場所に入り込み、そして、そこから戻れなくなる。

これがirretrievably lostの意味するところなのではないかと感じられるのです。

ヒデ:
なるほど。

同じ作品の中で、これだけ特殊な表現が重ねて用いられているわけですから、意味が共通であると考えると自然ですね。

マイ:
しかも、猫の町は、まるで、最初から主人公が迷い込むことを予定されていた場所のようにも描かれている。

「猫の町」と「1Q84」は造り自体が似ている気がする。

しかし、そうなると、自由な意思と運命の問題まで浮かび上がってくるね。

自分で選んだつもりの行動が、実は最初から誰かに定められた道筋だったとしたら……。

ヒデ:
本当にそうですね。

英語訳『1Q84』では、登場人物たちが自分の意思で行動しているように見えながら、何か大きな力によって動かされているようにも感じられます。

ヒナ:
ただ、現時点では、「猫の町」と「1Q84」が同じ構造を持っているのか、青豆がどのような状況に置かれているのか、まったくわかりませんよね。

ヒデ:
もちろんです。

たしかに、わかりませんが、この短編が物語の核心に関わっているのではないか、という予感は強くなります。

英語訳『1Q84』という作品全体を読み解くうえで、重要な示唆に富んでいるように思うのです。

青豆は1984からやってきて、1Q84に存在している。

しかし、周囲は、青豆が1984年からやってきたことを認識していない。

青豆は自分自身の存在を揺さぶられているわけです。

自分の存在がおかしいのか、

世界の存在がおかしいのか。

存在とは何なのか、天吾の読む『Town of Cats』によって、迷宮がさらに奥行きをもった入り組んだものに思えてきます。

そして、『Town of Cats』は、単なる寓話として挿入されているのではなく、天吾自身が父に会う道程において実際に列車に乗りながら読んでいる物語であり、まるで鏡面のように、天吾の状況を映し出しているようにも思えるのです。

猫の町の主人公は、帰る場所を失います。

では、天吾はどうなのでしょうか。

答えを探すかのように、天吾は父と対面することになります。

検討を、父との対面に進めましょう。

Chapter 8 父との対面――「お前は何者でもない」

タク:「私には息子などいない」という発言に衝撃を受けました。

千倉の療養施設で、天吾は父と対面します。

父は、すでに認知機能の低下が疑われています。

かつてはNHKの集金人として、息子を連れて各家庭を訪問していた父。

しかし、目の前にいる父は、もはやかつての父ではありませんでした。

この天吾と父との対面で印象に残っている部分を教えてください。

タク:
次の会話は衝撃的でした。

“I don’t have a son,” his father declared.

“You don’t have a son,” Tengo repeated mechanically.

His father nodded.

“So, what am I?” Tengo asked.

“You’re nothing,” his father said with two short shakes of the head.

父親が、自分には息子がいないと宣言する。

それを聞いた天吾が、自分はいったい何者なのかと尋ねる。

そして父親は、nothing、と答えるんです。

さんざん日曜日に連れまわした子供に対する言葉としてこれはないんじゃないかと思いました。

コウキ:
自分もこれは衝撃でした。この父親、酷いと思います。

マイ:
私は少し違う感想をもったんだよね。

幼少期の天吾に対する父親の態度が酷かったことはわかる。

ただ、父親はもうそれなりの年齢で認知症が疑われる状態にあるんでしょう?

今さら、そんな父親に、まともに質問をぶつけて何の意味があるのかな?

ヒナ:
私も、マイの意見に近いです。

もちろん、子供の頃に受けた心の傷が、大人になったからといって簡単に消えるわけではありません。

ただ、天吾はもう30歳ですよね。

今更、父親を責めていないで、さっさと過去を振り払えばいいと思います。

ヒデ:
お二人とも、天吾に対する、非常に厳しい態度が一貫していてすがすがしいですね。

それにしてもちょっと厳しすぎませんか?

マイ:
父親に何か言いたいことがあるんだったら、認知機能が低下する前のまともな頃の父親にぶつけるべきでしょ?

ヒナ:
まともな返答ができなくなった父に自分の鬱屈した思いをぶつけるなんて、凄く卑小な男なんだなと感じます。

ヒデ:
いやはや、まいりました。天吾の弁護をするのは相当困難ですね。

確かに、父にも何か事情があったのかもしれません。腹を割ってその辺をぶつけ合った方が良かった可能性はありますね。

ヒナ:「愛することができない」は甘えた考えだと思います。

ヒナ:私は、この部分がとても甘えた考えだなと感じました。

I’m tired of living in hatred and resentment. I’m tired of living unable to love anyone. I don’t have a single friend–not one. And, worst of all, I can’t even love myself. Why is that? Why can’t I love myself? It’s because I can’t love anyone else. A person learns how to love himself through the simple acts of loving and being loved by someone else.

天吾は、父親に対して、自らの苦しみを語り始めます。

憎しみや恨みを抱え続けることに疲れてしまった。

誰かを愛することができない。

そして、何よりも、自分自身を愛することができない。

天吾は、その原因を、誰かを愛し、誰かから愛されるという経験を十分に持てなかったことに求め、父を責めています。

幼少期に、無条件に愛されるという経験が乏しかったことが、現在の自己評価や他者との関係に影響している、ということは確かにあるのでしょう。

ただ、そうした経験が必ず現在の人格を決定するわけではありません。

天吾自身が、過去の経験をどのように受け止め、これからどう生きていくのかという問題も残っています。

まして、今現在、ただの一人も友達がいない、

I don’t have a single friend–not one.

ことを父親のせいにするなんて、とても卑屈な男であり、成人男性として恥ずかしくないのかと思います。

マイ:
そうなんだよね。

天吾の不幸な生い立ちは理解できるけれど、だからといって、現在の自分の状況を、今更、父親のせいにしてよいわけではないと思う。

実際、つらい幼少期を過ごしたけど、自分で道を切り拓いている立派な男はいくらでもいる。

ねえ、ヒデ、そう思わない?

ヒデ:
たしかにそう思います。

大人になれば自分次第でいくらでも自分を変えることができるはずです。

友達だって、自分がその気になればいくらでもできる。

とはいえ、世の中、それほど強い男ばかりでもないので、

こういう天吾の弱い側面もまた、リアリティがある

のではないでしょうか。

ヒナ:
まあ、こういうみっともない男はいっぱいいますね。

コウキ:父親の言葉――Your mother joined her body with a vacuum

コウキ:
自分は天吾が『Town of Cats』を読み聞かせた後の父の言葉がさらに衝撃でした。

天吾は、父親に自分の母親について尋ねます。

それに対する父の答えがこれです。

Just a vacuum. Your mother joined her body with a vacuum and gave birth to you. I filled in that vacuum.

ここで父親が口にする言葉が、またしても謎めいています。

母親は「虚空(vacuum)」と結び、お前を産んだ。

そして、自分がその虚空を埋めたのだ、と。

タク:
これは、いったいどういう意味なのでしょうか。

父親の認知機能が低下しているために、意味の通らないことを話しているというのとはちょっと違う気がします。

それとも、何らかの事実を比喩的に語っているのでしょうか。

コウキ:
自分は、後者の可能性が気になります。

認知機能の低下のなかで、父親が、潜在意識下にある事柄を本能的・直感的に比喩表現したように感じます。

もし父親が実の父親ではないのだとすれば、母親と別の男性との間に天吾が生まれ、現在の父親がその役割を引き受けた、ということの暗喩ともとれそうです。

マイ:
でも、どうして普通に、別の男の人だと言わないんだろう。

わざわざvacuumなんて言葉を使うところが、気になるよね。

ヒナ:
言葉の選択が認知機能の低下した人にしては文学的過ぎる気がします。

むしろ、誰かに言わされている……?

それとも、天吾の出生に関する事実を示唆している父親の潜在意識の表現なのか、判断できません。

ヒデ:
これまたわからなくなってきました。

現時点で断定するのは避けましょう。

しかし、このvacuumという言葉が、単なる認知機能の低下による意味不明な発言だとは思えません。

タク:
少なくとも、天吾の出生について、何らかの秘密があることは示唆されているように感じます。

コウキ:
そして、『1Q84』という世界における天吾の存在意義に結びつく可能性もありそうな気がします。

ヒデ:
天吾は、いったい何者なのか。

房総半島千倉への列車旅行にはどのような意味があったのか。

父との対話によって、天吾の出生の秘密が明らかになるどころか、かえって謎は深まりました。

父は、いったい何を知っていたのか。

天吾の母は、どのような人物だったのか。

天吾サイドからも僕たちは迷宮に迷い込んでしまったように感じます。

天吾を形作る二つの記憶――青豆と父親

今回取り上げたChapter 4とChapter 8。

この二つの章を通して、僕は、天吾という人物を、人間的な弱さを抱えた、生々しいリアリティをもった一人の男として再認識しました。

一方、女性陣から指摘された天吾に対する厳し意見もまた、天吾というキャラクターへの理解を深めるという観点から、非常に有意義だったように思います。

読書会で意見が一致する必要はありません。

天吾を気持ち悪いと感じてもよい。

彼の弱さに共感してもよい。

父親を許せないと思ってもよいし、父親に過去を問い続ける天吾の姿に疑問を感じてもよい。

むしろ、同じ英文を読んで、これほど異なる感想が生まれることこそ、英語訳『1Q84』を読書会で検討する醍醐味なのだと思います。

そして、僕たちが議論を重ねるほど、天吾と青豆の物語は、ますます不可思議なものになっていきました。

僕たちは、大迷宮の奥深くへと進み、完全に道を見失ってしまったように思います。

英語多読におすすめ英語訳『1Q84』

英語訳『1Q84』は、英語が簡単であるにもかかわらず、今回取り上げた irretrievably lost のように、日常会話ではあまり使わない表現も登場します。

しかも、そうした表現が、物語の中で、意図的に決定的な文脈で繰り返し使われるのです。

これにより、難しい単語が自然と意味を理解できるようになるのです。

しかも、そこでの理解は、単語帳を通じて得られるような薄っぺらなものではありません。

物語の文脈を通じた、本質的な深い意味が、脳に刻み込まれるのです。

そして、こうした特別な表現は、英語で読むからこそ、繰り返し登場する特殊な言葉として強く意識できるようになり、読解の足掛かりとなるのです。

日本語原文では読み飛ばしてしまっていた何気ない表現を、英語多読において意識することができるようになるのです。

ぜひ、皆様も、Kindle版英語訳『1Q84』を読むことが英語多読としていかに有意義であるかを再認識していただければと思います。

(英語訳『1Q84』が英語多読初心者にとっていかにおすすめであるかはこちらの記事で詳しく説明しました。)

村上春樹『1Q84』英語訳—英語多読初心者に絶対おすすめ【ネタバレ無し】
村上春樹『1Q84』英語訳を、英語多読初心者にもっともおすすめの英語多読素材として紹介する記事。面白さ、英文の深み、難度をネタバレしないようにしながら説明する。

(Audibleの『1Q84』英語訳音源も非常におすすめです。)

Audibleで聴く村上春樹『1Q84』英語訳―英語多読多聴初心者におすすめする至高のリスニング音源
Audibleで聴く村上春樹『1Q84』英語訳―英語多読多聴初心者におすすめする至高のリスニング音源。英語多読多聴を始めたばかりの人に『1Q84』英語訳オーディオブックがおすすめの理由。青豆と天吾の声、オーディオブックの利用方法などを紹介。

次回予告 英語訳村上春樹『1Q84』11 標的と語り合う青豆――Leaderが明かす、世界の秘密

次回は、再び青豆の視点に戻ります。

Book 2, Chapter 13:WITHOUT YOUR LOVE

Leaderとの対話は、いよいよ核心へと迫っていきます。

前回、青豆の前に姿を現したLeaderは、自分がLittle Peopleの声を聴く存在であると語りました。

そして、自らの死を青豆に求めたのです。

しかし、その言葉の意味は、まだ十分には明らかになっていません。

次回、Leaderの口から語られるのは、さらに驚くべき概念です。

Perceiver(知覚する者)とReceiver(受け取る者)。

そして、

Dohta(ドータ)。

これらはいったい何を意味するのでしょうか。

Little Peopleは、この世界に対して、何をしようとしているのでしょうか。

そして、Leaderはなぜ、青豆に対してこれほど多くのことを語ろうとしているのでしょうか。

これまで別々に進んできた、青豆と天吾、二つの物語が、どこかで一つにつながろうとしているようにも感じられます。

Leaderの語る言葉は、読者をさらに深い迷宮へと誘おうとしています。

1Q84とは、いったい何なのか。

ご期待ください。

(次回の記事はこちら。)

英語訳村上春樹『1Q84』11 標的と語り合う青豆――The Leaderが明かす、世界の秘密 スタイリッシュ英語読書会18【Book 2, Chapter 13に言及】
英語訳『1Q84』の青豆視点であるBook2, Chapter 13を読んで、青豆とLeaderの対話について検討する。Leaderから提示される数々の問い。青豆から示される疑問。英語訳村上春樹『1Q84』11番目の記事、スタイリッシュ英語読書会18番目の記事。

(スタイリッシュ英語読書会のコンセプトと初期メンバーの紹介はこちらを参照。)

スタイリッシュ英語読書会 Introduction
英語読書をスタイリッシュに楽しむための読書会の導入。英語で名作を深く読み解き、語り合うことの楽しさを追求し、教養として武器になる英語読書を目指している。読書が好きで、とにかく英語を楽しみたいという人に最適な英語読書コミュニティ。

(これまでの英語訳『1Q84』読書会の記事、一冊目の課題図書『Never Let Me Go』に関する記事はこちらをご覧ください。)

教養として武器となる英語読書を目指す読書会。スタイリッシュな英語図書をスタイリッシュに読みこなし、カッコいい読書歴を形成する。
社会の第一線で活躍し、深い教養と高い英語力を有するメンバー達が、より高みを目指し、村上春樹やカズオ・イシグロ、ジョージ・オーウェルなど、スタイリッシュな英語作品を、スタイリッシュに楽しんでいく。

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