(AIが生成したイメージ画像を使用しています。)
【この記事には、英語訳『1Q84』Book 2, Chapter 13 までについて、重大なネタバレを含みます。】
英語とフランス語の読書が大好き、ヒデです。
今回も、2025年9月に実施されたスタイリッシュ英語読書会、英語訳『1Q84』第4回の議論を紹介していきます。
前回の記事では、一読者である僕から、『1Q84』の自由な読み方の一つとして、ある仮説を提案しました。

場合によっては、『1Q84』英語訳の世界に対する認識を根底から揺るがす仮説だったかもしれません。
『1Q84』の奇数章で描かれている青豆の物語は、偶数章の天吾が執筆している長い小説なのではないか。
これまで僕たちは、青豆と天吾という二人の独立した人物が、それぞれの視点から、並行して存在していると考えていました。
ところが、Leaderが口にした、一言。
he discovered his own story.
この言葉から導かれた仮説が、僕たちのこれまでの理解を根底から揺さぶることになったのです。
青豆は、天吾と並列の、視点となる人物ではなく、天吾の想像力によって生み出された天吾の小説の中の登場人物なのかもしれない。
そう考えた瞬間、これまで不自然に思えていた数々の出来事が、驚くほど自然に説明できるようになります。
もっとも、これはあくまで、読者が、自由な読書のなかから、自由に想像した読み方の一例にすぎません。
読書は絶対的に自由である。
各自の第一印象を絶対的に尊重する。
というのが、僕の主催する読書会におけるもっとも重要な指針です。
読者は、本を、特定の考え方に縛られることなく、自由に読み進めるべきです。
しかし、いったんこの仮説に取りつかれてしまうと、もう以前と同じようには『1Q84』を読むことはできません。
今回は、衝撃から少し冷静さを取り戻したメンバーたちとともに、Book 2, Chapter 13までの青豆の物語を振り返ってみます。
すると、様々な出来事を、これまでとは全く異なる角度から見ることができるようになっていきます。
青豆という、あまりにも不可解な女性
ヒデ:
ここまで僕たちが読み進めてきた青豆が、
実は、天吾の長い小説の登場人物だった、
と仮定するといろいろなことが自然に思えてくるような気がしています。
とはいえ、この読み方は単なる一仮説にすぎませんので、皆様にも、批判的に検討していただきたいところです。
Book 2, Chapter 13 までを、この仮説に基づいて振り返ってみて、いかがでしたでしょうか。
青豆の有する空想的な能力が自然
ヒナ:
私も、言われてみると、ヒデの言う通りな気がしてきました。
まず、青豆というキャラクターそのものが、空想の産物という感じがします。
私、最初から青豆の能力がちょっと現実離れしていると思っていたんです。
ヒデ:
そうでしたね。
ヒナさんは、第1回『1Q84』英語訳読書会のときから、青豆が有する能力は、相当不思議な感じがするとおっしゃっていました。

ヒナ:
彼女の特殊な能力が、あまりにも空想的だと思っていたんです。
現実の人間というより、フィクションにおける登場人物と言われた方がしっくりきます。
天吾の想像した架空の人物と考えると、むしろピッタリと当てはまるように感じます。
ヒデ:
なるほど。青豆が天吾の書いた小説の登場人物なら、そこにリアリティが乏しくても不思議ではない。
青豆というキャラクターが有する「男の妄想感」が自然
ヒナ:
それに、青豆の、
特殊な仕事を終えた後、情欲にかられて男を求めること、
偏った男性の好み、
いずれをとっても、私にとって、青豆って、ずっと、男の妄想感があったんです。
なんだか男性が想像した理想の女性という感じがして、現実離れしていました。
美人で、知的で、強くて、男性に依存しない。
性的にも自由で、しかも特別な使命を背負っている。
女性の目から見ると、男性の願望が過剰なまでに詰め込まれている気がしたんです。
女性の主体性が強調されているようでいて、どこか男性の視線によって造形されている感じがしたんですよね。
ヒデ:
なるほど。
ヒナさんご指摘の青豆の特徴は、村上春樹が男性作家だから、という説明も、もちろん、できそうな気はします。
しかし、村上春樹ほどの作家が、意図せず、結果的に、いかにも男の妄想という女性キャラクターを造形してしまった、というのはどうもしっくりきません。
それよりも、
才能はあるけれどもまだ世に出ていない男性小説家、すなわち、天吾が創造したということにリアリティを与えるため、
青豆に、あえて、男の妄想感を付与した
と考えるとどうでしょうか。
ヒナ:
ウワッ……、
村上春樹は、青豆の人物造形に、男性的な願望の側面を、あえて付与していたということですか。
天吾の、小説家としての未熟さを演出するために――。
そう考えると、青豆は、天吾が創造したキャラクターとして自然です。
なんというか、村上春樹の力量は、とてつもなくすごいとは思いますが……、
私にとっては、天吾がなお一層気持ち悪く見えてきました。
対比としての天吾が有する生々しいリアリティも自然
タク:
待ってください、そうすると、天吾の生々しさも気になります。
以前、ヒデさんは、10歳の青豆を思い出していた天吾に、生々しいリアリティがあるとおっしゃっていましたよね。

青豆には、空想感・妄想感があるけれど、天吾には生々しいリアリティがある……、
村上春樹があえてこのような対比を描き分けていたとすると、『1Q84』すごすぎませんか?
ヒデ:
そうです。
僕は最初から、1人の男として、天吾に現実の人間らしさを感じていました。
優柔不断、
過去にとらわれている、
自分の感情さえうまく理解できないことがある。
むしろ、そういう不完全さが人間らしいと思うのです。
タク:
天吾が現実の人間で、青豆が彼の理想や願望を投影した架空の人物だと考えると、二人のリアリティの違いが説明できるわけですね。
ヒデ:
そう思います。
青豆という女性が現実離れしていること。
天吾という男性が、妙に現実的であること。
これまで別々に感じていた二つの印象が、一つの仮説によってつながり始めたと僕は思うのです。
10歳の初恋――あまりにも陳腐な恋愛設定がむしろ自然
マイ:
私は、青豆と天吾の恋愛設定が気になっていたんだよね。
ヒデ:
10歳のときの、あの出来事ですね。
それに、マイさんは、Leaderに突然愛を語り始めた青豆に違和感を感じていましたよね。

マイ:
そう。
青豆ほどの女性が、10歳の頃に経験した恋を、30歳になっても忘れられない。
しかも、天吾と青豆が、お互いに特別な感情を抱き続けている。
以前、ヒデも言っていたけど、恋愛小説の設定として考えると、ちょっと陳腐すぎる。
ヒナ:
運命の相手を20年間思い続けるヒロイン。
おとぎ話の世界ですね……。
マイ:
現実には、そんな女いません。
相手がどんな大人になっているかさえわからないのに、
小学生のころの思い出の男を思い続けるなんてあり得ない!
ヒデ:
ところが、天吾の書いている小説だとしたら?
マイ:
一気に自然になる。
天吾は10歳のときの青豆を忘れられない。だから、自分の書く小説の中に青豆を登場させる。そして、その青豆もまた、天吾をずっと思い続けていることにする。
タク:
ああ、それは確かに男性の願望として、自然ですね(笑)。
自分が忘れられなかった初恋の相手も、実はずっと自分を愛していた。そんな物語を自分で書いているとしたら、状況としては自然です。
ヒナ:
……、かなり痛々しいですが。
ヒデ:
現実には再会できない女性を、小説の中で表現する。
小説家としてはまったく自由ですし、強い思いがある方が良い小説が書けるかもしれませんね。
マイ:
そう考えると、天吾の書いている青豆の物語って、恋愛小説というより一種のファンタジーだし、『1Q84』自体、天吾自身の自己満足的小説ってことになってくるよね。
タク:
そう考えると、今まで青豆と天吾の純愛だと思っていたものが、少し違って見えてきますね。
コウキ:
もし、そうであるのなら、次に、天吾は、どうやって青豆と自分を再会させようとしているのか、気になります。
ヤナーチェク『シンフォニエッタ』――二つの世界に響く同じ音楽
ヒナ:
『1Q84』において、もっとも印象に残る演出が、音楽です。
青豆の物語は、冒頭からヤナーチェクの『シンフォニエッタ』と強く結びついていました。

そして、天吾の章にも、同じ音楽が登場します。
Book 1, Chapter 14 Tengo
THINGS THAT MOST READERS HAVE NEVER SEEN BEFORE
学生時代、自らティンパニー奏者としてかかわっていた音楽だったというのです。

ところが、それだけではありませんでした。
Book 2, Chapter 2 Tengo
I DON’T HAVE A THING EXCEPT MY SOUL
While listening to the music, Tengo faced the screen of his word processor and typed in characters. It was a daily habit of his to listen to Janáček’s Sinfonietta early in the morning.
この章では、天吾が早朝に『シンフォニエッタ』を聴きながらワードプロセッサーに向かうことが、日常的な習慣として描かれています。
ヒデ:
天吾の思い出の曲というだけにとどまらず、天吾の小説執筆活動にも結び付いていたということですか。
これは、再々度『シンフォニエッタ』を聴いてみないといけませんね。
改めて聴いて思うんですけど、
ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』って、誰もが毎日聴くような音楽ではないですよね。
ヒナ:
執筆みたいな、集中して作業する時に聴く音楽でもない気がします(笑)。
とはいえ、青豆の物語が天吾の小説だとすると、『シンフォニエッタ』が青豆の物語で用いられていることがとても自然に思えてきます。
作家って、自分の好きな音楽や、日常的に触れているものを作品に取り入れることがありますよね。
コウキ:
天吾が自分の小説を書き始めるとき、日常の中で耳にしている音楽が、物語の中でも鳴り始める。
『シンフォニエッタ』のファンファーレは、青豆の冒険の始まりであると同時に、天吾の創作世界の幕開けだったのかもしれないと思えてきますね。
ヒデ:
僕たちは『シンフォニエッタ』という音楽を、二つの世界に偶然存在する共通項として捉えていました。
しかし、青豆の物語の作者が天吾だと考えるなら、作家がその音楽を作品世界に持ち込んでいるのであって、共通しているのは至極当然だと思えてきます。
青豆が見た夜空も自然
コウキ:
そうであるならば、青豆の見た夜空についても説明できます。
青豆が天吾の小説の登場人物なら、当然ですね。
これまで自分は、青豆が見上げた夜空がなぜ変化したのかと思っていました。
しかし、そもそも青豆の世界がフィクションなら、とても自然なことと思えるのです。
ヒナ:
しかも、天吾は、小松の指示で、夜空の光景を細部まで具体化していました。

天吾が、『Air Chrysalis』の書き直しの為に具体化した夜空の光景。天吾がそのイメージを自分の小説に流用したと考えるとこれも自然に思えてきます。
NHK集金人を刺した学生――天吾の潜在意識が生んだ事件?
タク:
もう一つ、青豆が「1Q84」と名付けた世界の中で、僕が気になっているニュースがありました。

NHKの集金人が学生に刺されたというニュースです。
青豆が自分の記憶との違和感を覚えた出来事の一つでした。
天吾の父親はNHKの集金人でしたよね。天吾は幼い頃、父親の集金業務に連れ回されていた。
ヒデ:
天吾にとって、父親との記憶は「日曜日」と関連付けられ、天吾の記憶に暗い影を落としていました。
タク:
だから、青豆の世界にNHKの集金人が刺される事件が登場するのは、天吾の潜在意識の表れなのではないかと思ったんです。
もちろん、天吾が書きたいのはあくまで青豆の物語であって、父親のことなど書きたくないと考えていたと思うんですよね。
でも、天吾は、父親に対する負の感情を小説を通じて発散したいという願望はあったと思うんです。
それが、NHKの集金人が刺されるという事件だったのではないでしょうか。
自分の父親にもこうなってほしかったという願望を間接的に物語に盛り込んだと考えるとどうでしょう。
ヒデ:
非常に面白い指摘ですね。
しかも、青豆の視点からすると、それはあくまで社会で起きた事件として語られている。
青豆にとっては自分とは関係のないニュースでも、作者である天吾にとっては、非常に個人的な意味を持っていた。
マイ:
作家が自分の経験を変形させたり、別の人物に置き換えたりしてエピソードに盛り込むことはよくあることだよね。
そう考えると、青豆が違和感を抱いたニュースも、天吾の記憶や感情から生まれたものとして説明できそうな気がしてきた。
しかし、Leaderは説明できない――創造された人物が作者に問いかける
ヒデ:
ここまで振り返ると、青豆の物語が天吾の書いている小説だという仮説は、かなり説得力があるように思えるのではないでしょうか。
コウキ:
少なくとも、いくつもの偶然が説明できます。
そして、何より、とても面白いです。
タク:
青豆の人物像、初恋の設定、『シンフォニエッタ』、夜空の光景、NHK集金人のニュース……。
マイ:
これだけ並ぶと、もう、そうとしか思えないよね。
ヒナ:
ただ、私はまだ気になるんです。
Leaderとの対面を考えると、この仮説だけでは説明しきれない気がするんです。
Leaderが青豆に語った、天吾の長い小説に関する言葉。
he discovered his own story.
ヒデは、この言葉を手がかりに、青豆の奇数章が天吾の執筆している小説なのではないかという仮説にたどり着いたということでしたね。
ヒデ:
はい。Book 2, Chapter 13 における該当部分が直接のきっかけになり、思い当たりました。
ヒナ:
しかし、その箇所には重大な問題があると思うんです。
Leader自身もまた、青豆の物語の中に登場する人物なのです。
コウキ:
そうなんですよね。天吾が青豆の物語を書いているのなら、Leaderの言葉も天吾が書いたことになる。
天吾は、自分が小説を書いていることを、小説の登場人物に説明させたということでしょうか。
ヒナ:
しかし、Leaderの言葉は、天吾がキャラクターの言葉を借りて、単に世界の仕組みを説明しているだけには思えないんです。
ヒデ:
どういうことでしょうか?
ヒナ:
Leaderの言葉には、天吾自身に向けられた問いかけのようなものを感じるんです。
作者が書いた登場人物なのに、作者の知らないことを知っているように見える。
天吾がLeaderを創造したというより、天吾の創造したはずの世界の中から、Leaderが天吾を見つめ返しているような感じがしてきます。
ヒデ:
作者が登場人物を操っているつもりが、登場人物の方から作者に話しかけてくる。
ヒナさんのご指摘、非常に面白い。
そう考えると、天吾の小説は単なる作中作ではなくなりますね。
僕たちは、天吾が青豆の物語を創造したと考えることで、数々の違和感を自然に説明できると感じていました。
しかし、Leaderの存在は、その理解をさらにもう一段階揺さぶる。
天吾が書いたはずの人物が、天吾の物語について語っている。
しかも、その人物は、天吾自身がまだ理解していない何かを知っているように見える。
いったい誰が、誰の物語を書いているのか。
『Air Chrysalis』から『1Q84』へ――始まりのわからない物語
ヒデ:
ヒナさんのご指摘を踏まえると、そもそも、天吾の小説の中に、LeaderやLitlle Peopleといった、『Air Chrysalis』の世界が入り込んでいること自体が不思議になってきます。
まず、ふかえりは、Sakigakeにおける経験を基に、『Air Chrysalis』を語ります。
天吾はその原稿を書き直し、その世界観を基に、自分自身の長い小説を書き始めます。
その小説が青豆の物語だとします。
ところが、青豆の世界が、SakigakeやLeaderといった『Air Chrysalis』の元となった要素とつながります。
SakigakeやLeaderは天吾の小説世界の概念なのか?
天吾が生み出した小説はSakigakeやLeader、Little Peopleといった『Air Chrysalis』の世界からもたらされたものではなかったか?
タク:
『Air Chrysalis』から天吾へ、天吾から青豆へ、青豆からさきがけへ、そして、また『Air Chrysalis』へ戻ってくる。
マイ:
ぐるっと一周しちゃったね。
ヒデ:
そうなんです。
物語の中の出来事が、物語の外にあるはずの出来事とつながっている。
ヒナ:
原因と結果が、どちらなのかわからなくなってきますね。
コウキ:
ふかえりの物語が先なのか、天吾の小説が先なのか、それとも、さきがけで起きたことがすべての始まりなのか。
ヒデ:
僕は、ここで、エッシャーのだまし絵を思い出してしまいました。
僕たちは、天吾という現実の人間が、青豆という架空の人物を創造したと考えた。
しかし、その架空の人物青豆が、天吾が参考にしたはずの『Air Chrysalis』の世界につながっている。
天吾が物語の外側にいるとは限らない――。
同じ列車に乗った二人――wrenchingは何を意味していたか?
ヒナ:
Leaderの話で、一つ、忘れてはいけないことがあります。
ヒデ:
それは何でしょうか?
ヒナ:
Leaderが語った、青豆と天吾が同じ列車に乗ってこの世界にやって来た、という趣旨の話です。
マイ:
Leaderの話によれば、二人は、同じ世界へ移動して来たということになるんだよね。
ヒデ:
そこで思い出したいのが、マイさんが指摘してくれた、二人が経験したwrenchingという感覚ですね。

二人が経験した共通の感覚wrenching 。
この感覚からは、二人とも「1Q84」という同じ世界にいるようにも感じます。
コウキ:
もし青豆が天吾の小説の登場人物なら、天吾と青豆が同じ世界に移動するというのは、おかしくありませんか?
タク:
作者と登場人物が、同じ列車に乗っていることになりますからね。
ヒナ:
でも、もし作者と登場人物の境界自体が崩れ始めているとしたら?
マイ:
天吾が青豆の世界を書いているつもりで、実は天吾自身もその世界に引き込まれている?
ヒデ:
その可能性を考えると、wrenchingという感覚がより重要なものに思えてきますね。
タク:
何かが、二人を別の世界に引っ張り込んだ。
ヒナ:
あるいは、二つの世界を隔てていた境界そのものが、ねじれてしまった。
コウキ:
そして、Leaderはその仕組みを知っている。
マイ:
少なくとも、私たちよりはずっと知っていそうだね。
ヒデ:
そうですね。
ただ、Leaderの説明をどこまで信じてよいのかも、まだわからない。
僕たちはもう、青豆の世界と天吾の世界を、単純に分けて考えることができなくなってしまいました。
タクシードライバーは、誰に語りかけていたのか?
ヒデ:
さて、ここで、最初の章に戻ってみたい。
タク:
青豆がタクシーに乗っていた場面ですね。
ヒデ:
そう。あのタクシードライバーの言葉が、今になって、さらに、気になります。

僕たちは、タクシードライバーが青豆に対して、語った言葉に様々な読み方があることを確認しました。
ヒナ:
でも、青豆が小説の登場人物なら、あの警句も天吾が書いたものになりますね。
ヒデ:
単純に考えればそうです。
作者天吾が、自らの小説である青豆の物語の冒頭に置いた。
ところが、青豆の物語に出現したLeaderのような存在を考えると、単純にそうとも言い切れない気がしてきます。
ますますわからなくなってきました。
『1Q84』の主人公は誰なのか?
ヒナ:
ここまで考えると、あの質問に対する答えも変わってきますね。
ヒデ:
どの質問ですか?
ヒナ:
『1Q84』の主人公は誰なのかという質問です。

タク:
全員一致で青豆を主人公だと思っていました。
マイ:
青豆の物語が天吾の小説だとしたら、まったく見方が変わってくるね。
コウキ:
青豆は天吾の物語の中の主人公であって、『1Q84』全体の主人公ではないのかもしれない……。
マイ:
そうなると、やっぱり天吾が主人公だよね。
タク:
僕も天吾が主人公という印象にかわってしまいました。
青豆の物語が天吾の内面を表現しているということで、『1Q84』という作品全体が天吾を中心に回っていることになりますから。
ヒナ:
私も、少なくとも現時点では天吾を主人公と考えるようになってしまいました。
ヒデのせいで、私にとって、天吾の小説が、あまりにも大きな意味を持ってしまいました。
ヒデ:
いずれにせよ、『1Q84』の有する奥行きは計り知れないです。
これは、小説が現実を形づくっていく物語なのでしょうか。
それとも、現実が小説を形づくっていく物語なのでしょうか。
僕たちの議論は、まだまだ、迷宮から抜け出すことはできそうにありません。
次回予告――夜空を見上げた天吾
さて、英語訳『1Q84』のこの先にはいったい何が待ち受けているのでしょうか。
議論を先に進めましょう。
次回の検討対象は、Book 2, Chapter 18までの天吾です。
僕たちは、三つ目の夜空を考えることになります。
これまで登場した夜空、
一つ目は、ふかえりの『Air Chrysalis』に描かれた夜空。
二つ目は、天吾が書いている長い小説の中にいる、青豆が見上げた夜空。
そして三つ目は、ふかえりとの謎めいたやり取りを経た後、天吾自身が見上げる夜空です。
ここまでの仮説を踏まえて、Book 2を読み進めていきましょう。
青豆の見た夜空と、天吾の見た夜空がどうつながるのか。
『Air Chrysalis』に描かれた夜空との関係は。
天吾が創造した世界と、天吾が生きている世界。その境界が本当に存在するのか、いよいよ確かめなければならない。
天吾が見上げる夜空には、いったい何が浮かんでいるのでしょうか。
次回、英語訳村上春樹『1Q84』14。
「夜空を見上げた天吾――作者の世界に現れたもの」
このブログ記事へのご意見ご感想がありましたら、コメントを頂けると嬉しいです。
(英語訳『1Q84』が英語多読初心者にとっていかにおすすめであるかはこちらの記事で詳しく説明しました。)

(Audibleの『1Q84』英語訳音源も非常におすすめです。)

(スタイリッシュ英語読書会のコンセプトと初期メンバーの紹介はこちらを参照。)

(これまでの英語訳『1Q84』読書会の記事、一冊目の課題図書『Never Let Me Go』に関する記事はこちらをご覧ください。)

(次に読む一冊が、きっと見つかる。ヒデ厳選のコンテンツをAmazon Storeでチェック。)
(洋書を圧倒的にお得な価格で読むには、Kindle Unlimited)
(洋書の音源を圧倒的にお手軽かつお得に入手するには、Audible)
(洋書の映像化作品を観るには、AmazonPrimeに加入してPrime Videoで視聴するのがおすすめ)



コメント